第0回
はじめに
2019.01.24更新
『文豪』という言葉にどんな印象がありますか? ここ数年、文豪をモチーフにしたゲームやアニメの影響による『文豪ブーム』で、文豪の人柄に関心が高まっています。この連載では、文豪の末期、すなわち『死』に注目をします。芸術家は追い立てられるように生きて薄命な印象がありますが、文豪はどうなのでしょうか。『死』を見つめることは『生』を見つめること。それぞれの『死』から、多様な生き方を見ていきます。
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ある日、友人とこんな話になった。
「なんかさあ、『文豪』って呼ばれる人たちって、だいたい早死にか自殺だよね~」
「そうだね~、やっぱものを深刻に考えすぎるのかなあ~」
その時はそれで話は終わったが、一人になって考えた。
本当に、そうだっけ?
つらつら思い浮かべるに、近代文学の二大巨頭・夏目漱石と森鴎外はそれぞれ享年49歳と60歳で、当時はともかく現代の感覚でいうと早死にだ。五千円札の肖像になった樋口一葉にいたっては24歳で病死している。
青春の読書に欠かせない太宰治は38歳で心中。芥川龍之介、川端康成、三島由紀夫……彼らも自死だ。
「早死にと自殺」イメージは、間違っていないのかもしれない。
でも、何だか落ち着かなかったので、ちょっとばかりググってみた。
すると、案の定大往生を迎えた文豪もたくさんいたのだ。
たとえば、幸田露伴は80歳、志賀直哉は88歳、井伏鱒二に至っては95歳まで生きた。みんな、自然な老衰死だ。
そこに至って、ふと思った。
「文豪」を、その死を起点に眺めてみたら、結構おもしろいかも、と。
生物である限り絶対に避けようがない死。人生最大の苦ではあるが、時には救済となることもある。
だからこそ、気になるのだ。
文学という手段で人生に取り組んできた文豪たちが、どんな死を迎えたのかが。
迫りくる死の影は、作品に何らかの影響を与えたのか。自死組は死を前にした心情をうかがわせる小説や随筆を書いていることが多い。一方、老衰組は絶筆と絶命の間にしばし時間が開いている場合もある。
死の直前、彼らが見ていたのはどんな風景だったのだろう。
眺め方次第で、様々な「文豪たちの風景」が見えてきそうだなと考えていたところ、誠文堂新光社の編集者A氏とH氏が企画に興味を持ってくださり、このたび文豪とその死をテーマとする連載を始めることになった。
私も、あなたも、いずれ死ぬ。
いささか使い古しの言葉だが、死に方を考えることは生き方を考えることだ。
小説を通して様々な人生を世に問うてきた文豪たちの人生を、死という消失点にむかって遠近法的に見ていけば、混沌とした21世紀に生き、死んでいかなければならない私たちにとっての良いヒントを得られるかもしれない。
そんなわけで、第1回は49歳でベンガル湾に浮かぶ船上で病死した、元祖意識高い系のあの人を取り上げることにした。誰かは、読んでのお楽しみ。
さあ、文豪たちがたどった死出の旅へ、ともに出かけてみようではありませんか。
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