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第4回

自信をもって踏みきること

2024.05.22更新

読了時間

一生、絵だけを描くことに専念したいと考えた著者は、専業で絵を描く画家として、画商さんとの契約も、百貨店での個展も、アートフェアでの展示経験もなく、無所属でさまざまな創作活動を展開しています、本書は、創作者が活動するときに直面する「お金」の問題、接客方法など、今まで語られなかった著者の20年分の手の内を、本文から一部ですが特別公開します!
「目次」はこちら

II 自信をもって踏みきること

1  出会いを糧に進化する

専業で絵を描いている私は2018年に個展を14回、2020年も13回というように、多くの画家の活動と比べて、とても多い個展回数で活動しています。
そしてそのうちの半分は、大都市圏でない街で作品を発表しています。絵を楽しんでくれる人たちは大都市以外の地方にも相当数おられ、それぞれの地方の街へ行かないとその街の美を楽しむ方に出会えない、というのがその理由です。また私は、絵の展示を通してその街の方と出会うので、普通の旅行者より、その土地の文化にまつわる深い話を聞くことができます。それが新しい価値観の発見につながることもあります。
たとえば、福島県いわき市での個展では、この地方には、アイヌ語由来の地名が残っていること、「勿来(なこそ)の関」は和人の国とアイヌ系の国の国境の意味があること(諸説あると思います)などを、お話しくださいました。とても興味深く感動しました。
新しい情報は、次に描く作品のアイデアになります。
画家は絵を通していろいろな人や文化や価値観に出会うことができる、恵まれた仕事だと考えています。私も、ある学生のまっすぐな好奇心、大企業の会長がもつ大らかさとあたたかさ、神職や住職の社会との距離のとり方、「鬼」の研究家のバイタリティーと丁寧さ、などたくさんの出会いから影響を受けて、多様な価値観を知り、人間力が進化しました。個々の生きる姿勢に触れて学ぶことで、この世の見え方も変化していきます。
この新しい価値観の発見と出会いによって、作品の表現が昇華します。そして、その新しい表現をお客さんが、また楽しんでくれるという、好循環が生まれます。

2 自信をもって専業の世界へ踏みきること

専業で活動を行えるようになるためには、どこかで「決心する」必要があります。しかも、この決心がとっても難関なのだと、何人かの作家(専業・兼業の両方)の話をうかがって感じています。
ある程度、作品を求めてもらえるようになっても、兼業のままではどうしても活動の量に限りがあります。作品を通してもっとたくさんの人に出会えるはずなのに実現しなかったり、大きな注文や活動拡大のチャンスをつかみそこなったりしているのですが、兼業の作家は、そのことに気づかないでいるのだと感じています。
私が27歳くらいでサラリーマンをしながら京都で個展をしていた時、とても楽しんで作品を観てくださる方に出会いました。作品やその背景を伝えると、その方はたくさん共感して、感動してくださった後に、こう質問しました。
「次の個展はいつなさいますか」
私は素直に次は1年半後だと伝えたのですが、その方はとてもがっかりした表情で「待てないなあ」と惜しそうに言葉を発しました。その時の残念そうな印象を、今でも記憶しています。

その当時、私はサラリーマンをしつつの兼業の活動だったので、1年半に1回の個展でも十分がんばっているつもりだったのですが、観て楽しむ側からすれば、その期間はもっと短かったのです(10ヶ月くらいが妥当なのだと、その後の経験で理解しました)。彼は、何かを依頼したかったのかもしれませんが、そのタイミングが合いませんでした。

どこかの時期で専業への活動に踏みきらなければ、本質的な意味での発展はないと信じています。

基本的には、決心するタイミングは早めのほうがよいと考えています。生活が安定するのを待っていては、結局、踏みきれないまま年月が経ってしまう。何の根拠がなくても、一定の資金を貯めてトライしてみるのがおすすめです。
もし1年間、専業で活動を全力でがんばって、それでも継続が難しい時は、再び別の仕事をする。そして、また原資を貯めて再トライする。「真剣であり気軽なトライ」によって、専念して生活できる可能性が広がると考えています。
私は「サラリーマンは30歳が定年」と考えて、その通り実行しました。勝手に「うまくいく」と信じて、自立する時期を定めておくのも有効です。

24時間専念して「美」を追求することで、初めて味わえる感覚がたくさんあります。兼業で活動している人の何倍ものスピードで進化できるよろこびを体感していただきたいです。あなたの真の美の世界を切り開いてほしいです。

この章は作家の気持ちのことしか記していません。しかし、この活動のすべての基礎となるこの心のことがとても大切です。作家を支えたいお客さんも、作家がせいいっぱいを尽くしているから支えるのであって、全力でない姿では支えたい気持ちが縮小してしまいます。
専念して、「絵で生活する」という強い想いをもって活動することによって、これから説明するすべての情報は生きてきます。

「何とかなる」を信じること

人が本当に何かを望んだ時、本気でがんばって行動すれば、誰かが手助けしてくれたり、偶然が作用して何とかなるのだと思っています。そうとは限らない、と考える方がおられることも知っています。
ここで大切なのは、「本当に望んだか」「本気で行動したか」です。
この世の中、真に本気の人を見捨てたりしないと強く信じています。本当の心で専業画家を望み、本気で行動したのなら、専業画家になれるはずです。もう一つ大切なことは、「今の損得」を考えないことです。

なぜ学校で、絵で生活する方法を教えてくれないのか

「なぜ学校で、絵で生活する方法を教えてくれないのか」という質問をよく受けます。
思いあたる理由は二つあります。
1.学校の先生そのものが絵で生活をしていない
学校の先生も、先生をしながら制作をして、1〜2年に一度くらいのペースで個展をしている方が多いと思います。仮に「専業で、絵で生活する方法を教えたい」と考えておられても、体験をしていないために難しいのです。
2.美を追求することが大切で、「売る」ということは不純だと考える人もいる
「清貧」にも近い考えで、お金と美の追求は両立しないと信じている人が、今でも時々おられます。絵を売ることが目的となっては、絵の質が低下すると心配していると思うのですが、実際はそうではありません。江戸時代の絵師や大正時代の画家は、日々努力し、依頼主に楽しんでもらえるように工夫をこらし、絵を売ることで生活の糧を得ていました。
描けば描くほど上手になり、真の美の追求を実現したはずです。

私は、学校の先生方の活動を否定するつもりはありません。また、学生には、「教えてもらえること」に限界があるということを知っていてほしいと思っています。

高校で教えてもらったこと

私は高校で、「自ら発見する」ことを教えてもらいました。
美術系の大学へ行きたいと考え、高校に入ってすぐ、美術の越田博文先生に相談をしました。
「画塾で絵の勉強をしたほうがよいのでしょうか」と質問すると、越田先生は、「放課後に学校でデッサンをすればよい」と明言してくださいました。
どんな道具が必要なのか教えてもらい、毎日、放課後、美術室でデッサンをしましたが、なかなか上達はしませんでした(先生は少し教えてくれるか、あまり教えてくれない)。
年月が経ち、3年生の春になっても目覚ましい変化はなく、「自分の絵はいつ進化するのだろう」と感じていました。
3年生の夏のある日、突然、「何かを得た」ような感覚で、スピードよく、それなりの質で描けるようになりました。自分の中では「ついに脱皮した」という印象でした。一気に上達し、自信をもって描けるようになりました。
そして大学受験には、自ら発見した描き方で堂々と挑むことができました。


「デッサン力」は不要であると考えていますが、この絵を今見て、「説得力ある表現」ができていると思います

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著者

福井 安紀

画家・絵師。1970年京都府生まれ。サラリーマンを経たのち、30歳から絵だけで生活する道へ進む。土と石の自家製絵具で制作を続け、2013年、42歳で髙砂神社能舞台の鏡板の松を制作する機会をいただく。45歳のときに、江戸時代の絵師にあこがれ、安価に、すばやくふすま絵を描く「ふすま絵プロジェクト」を立ち上げる。各地の住宅、店舗、ホテル、寺院などでふすま絵、壁画、天井画などさまざまな種類の絵を描き続けている。2023年までに個展150回以上、多数のふすま絵制作など画家活動の限界に挑んでいる。

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