第12回
31話~33話
2018.01.30更新
【 この連載は… 】 「超訳」本では軽すぎる、全文解説本では重すぎる、孫子の全体像を把握しながら通読したい人向け。現代人の心に突き刺さる「一文超訳」と、現代語訳・原文・書き下し文を対照させたオールインワン。
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第五章 勢篇
31 大勢の兵士を少人数の兵士のように操る方法
【現代語訳】
孫子は言った。およそ大勢の兵士を統率する際に、少人数の兵士を統率するようにうまくできるのは、軍隊の編成技術が優れているからである。
大勢の軍隊を指揮して戦うのに、少人数の軍隊を指揮して戦うのと同じようにできるのは、旗や太鼓などによる伝達法が優れているからである。
味方の全軍すべての部隊が、敵からどのような攻撃を受けようと決して負けないのは、正規の戦法と変化に対応する変則的な戦法をうまく使い分けることができるからである。
味方の軍隊が敵を攻撃するとき、まるで石を卵にぶつけるように容易に敵を打ち破ることができるのは、味方の実(充実した強いところ)で、敵の虚(隙があって弱いところ)を攻撃するからである。
【読み下し文】
孫子(そんし)曰(いわ)く、凡(およ)そ衆(しゅう)を治(おさ)むること寡(か)を治(おさ)むるが如(ごと)くなるは、分数(ぶんすう)(※) 是(これ)なり。衆(しゅう)を闘(たたか)わしむること寡(か)を闘(たたか)わしむるが如(ごと)くなるは、形名(けいめい)(※) 是(こ)れなり。三軍(さんぐん)の衆(しゅう)、必(かなら)ず敵(てき)を受(う)けて敗(はい)無(な)からしむべき者(もの)は、奇正(きせい)(※) 是(これ)なり。兵(へい)の加(くわ)うる所(ところ)、碬(たん)を以(もっ)て卵(たまご)に投(とう)ずる如(ごと)くなる者(もの)は、虚実(きょじつ)是(こ)れなり。
- (※)分数……「分」は分割。「数」は術数。ここでは軍隊の編成技術のこと。
- (※)形名……「形」は「目に見えるもので旗や幟(のぼり)」などを指す。「名」は耳に聞こえるもので、「鐘(かね)や太鼓」など。
- (※)奇正……「正」は定石通りの「一般的な戦法」を指す。「寄」は状況に応じた「変則的な戦法」のこと。
【原文】
孫子曰、凢治衆如治寡、分數是也、鬭衆如鬭寡、形名是也、三軍之衆、可使必受敵而無敗者、奇正是也、兵之所加、如以碬投卵者、虛實是也、
32 正攻法で戦い、奇法で勝利する
【現代語訳】
およそ戦いというものは、通常は正攻法で敵と交戦し、状況の変化に応じて、敵の思いもよらない奇法で勝利を手にするものである。
したがって、正攻法の態勢からうまく奇法をくり出す軍隊というのは、その戦術は、天地の運行のように無限きわまりなく、長江や黄河の水のように尽きることがない。
それは終わってまた始まるのは日月のようであり、また消滅したものが再生するのは四季の変化のようである。
【読み下し文】
凡(およ)そ戦(たたか)いは、正(せい)を以(もっ)て合(あ)い、奇(き)を以(もっ)て勝(か)つ(※)。故(ゆえ)に善(よ)く奇(き)を出(い)だす者(もの)は、窮(きわ)まり無(な)きこと天地(てんち)の如(ごと)く、竭(つ)きざること江河(こうが)の如(ごと)し。終(お)わりて復(ま)た始(はじ)まる(※)は、日月(じつげつ)是(こ)れなり。死(し)して復(ま)た生(しょう)ずる(※)は、四時(しじ)是(こ)れなり。
- (※)正を以て合い、奇を以て勝つ……正攻法で敵と対峙(たいじ)して、不意に奇襲を加えて勝つこと。孫子は正と奇の順であるべきことも示唆しているのではないか。正なしの奇では効果が薄いからである。
- (※)終わりて復た始まる……終わってまた始まることを、太陽の昇ることと沈むことの繰り返し、月の満ち欠けで表現している。
- (※)死して復た生ずる……秋や冬に死滅したように思われる万物が、春になると再び生まれ、夏に成長することをいい、四季の変化を表現している。
【原文】
凢戰者、以正合、以奇勝、故善出奇者、無窮如天地、不竭如江河、終而復始、日⺼是也、死而復生、四時是也、
33 正攻法と奇法の組み合わせはきわめつくせない
【現代語訳】
さらにたとえていうと、基本的な音階は五声(宮(きゅう)、商(しょう)、角(かく)、徴(ち)、羽(う))しかないが、その五声の組み合わせによる変化は無限で、聴きつくせない音楽が生まれる。
また、基本的な色は五色(青、赤、黄、白、黒)しかないが、その五色の組み合わせによる変化は見つくせない色となって生まれる。
さらに基本的な味は五味(甘(かん)、酸(さん)、苦(く)、辛(しん)、鹹(かん))しかないが、その五味の組み合わせの変化は無限で、味わいつくせない味が生まれる。
これらと同じように、基本的な戦いの態勢は正攻法と奇法の二つしかないが、この二つの変化はきわめつくすことができないものとなって生まれてくる。
思いもよらない正攻法と奇法の二つが続々と生まれてくることは、丸い輪が循環するように端がないのと同じである。誰がこれをきわめつくすことができようか。
【読み下し文】
声(こえ)は五(ご)に過(す)ぎざるも、五声(ごせい)の変(へん)は勝(あ)げて聴(き)くべからざるなり。色(いろ)は五(ご)に過(すぎ)ざるも、五色(ごしょく)の変(へん)は勝(あ)げて観(み)るべからざるなり。味(あじ)は五(ご)に過(す)ぎざるも、五味(ごみ)(※)の変(へん)は勝(あ)げて嘗(な)むべからざるなり。戦勢(せんせい)は奇正(きせい)に過(す)ぎざるも、奇正(きせい)の変(へん)は勝(あ)げて窮(きわ)むべからざるなり。奇正(きせい)の相(あい)生(しょう)ずること、循環(じゅんかん)の端(はし)無(な)きが如(ごと)し。孰(たれ)か能(よ)くこれを窮(きわ)めんや(※)。
- (※)五味……甘(甘さ)、酸(すっぱさ)、苦(苦さ)、辛(辛さ)、鹹(塩辛さ)。
- (※)孰か能くこれを窮めんや……誰もこれをきわめつくせない。ひるがえって考えると、孫子は「正と奇を考える方法も、二度と同じ正と奇の組み合わせは使わないようにせよ」といいたいようである。
【原文】
聲不過五、五聲之變、不可勝聽也、色不過五、五色之變、不可勝觀也、味不過五、五味之變、不可勝嘗也、戰勢、不過奇正、奇正之變、不可勝窮也、奇正相生、如循環之無端、孰能窮之、
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