第32回
91話~93話
2018.02.28更新
【 この連載は… 】 「超訳」本では軽すぎる、全文解説本では重すぎる、孫子の全体像を把握しながら通読したい人向け。現代人の心に突き刺さる「一文超訳」と、現代語訳・原文・書き下し文を対照させたオールインワン。
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91 断固たる覚悟をつくる
【現代語訳】
兵士たちは非常に危険な状況におかれると、もう恐れることはなくなる。逃げ場がなくなるので断固たる覚悟ができ、敵国深く侵入することで心は一つになり、戦うしかなくなれば必死に戦う。
こうして兵士たちは教え導かなくても規律を守り、将軍が求めなくても力戦し、将軍が盟約させなくても互いに親しみ合い、将軍が命令しなくても任務に忠実となる。
【読み下し文】
兵士(へいし)甚(はなは)だ陥(おちい)れば則(すなわ)ち懼(おそ)れず、往(ゆ)く所(ところ)無(な)ければ則(すなわ)ち固(かた)く、深(ふか)く入(い)れば則(すなわ)ち拘(こう)し、已(や)むを得(え)ざれば則(すなわ)ち闘(たたか)う。是(こ)の故(ゆえ)に其(そ)の兵(へい)修(おさ)(※)めずして戒(いまし)め、求(もと)めずして得(え)、約(やく)(※)せずして親(した)しみ、令(れい)せずして信(しん)なり。
- (※)修(修める)……正しくする。習う。優れている。教え導く。
- (※)約……結ぶ。誓う(盟約する)。約束する。ここでは「将軍に忠誠を誓うことを盟約する」と解される。なお、「兵士たちが仲よくして争わないことを将軍の前で約束する」と解する説もある。
【原文】
兵士甚陷則不懼、無所徃則固、深入則拘、不得已則鬭、是故其兵不修而戒、不求而得、不約而親、不令而信、
92 占いや迷信ごとなどの余計な疑いはなくさせる
【現代語訳】
占いや迷信ごとなどを禁じ、余計な疑いを持たないようにさせれば、兵士は死ぬまで心乱さず戦う。
兵士に余分な財貨を持たせないのは、財貨を嫌っているからではない。ここで死ぬことを覚悟して戦わせるのは、長生きすることを嫌っているからではない。
決戦の命令が下された日、座っているものは涙で襟を濡らし、横たわっている者は涙がほおを伝う。
このような兵士を戦うしかないところに投入することで、昔の勇者として有名な専諸(せんしょ)・曹劌(そうけい)(※)のような兵士になる。
【読み下し文】
祥(しょう)(※)を禁(きん)じ疑(うたが)いを去(さ)らば、死(し)に至(いた)るまで之(ゆ)く所(ところ)無(な)し。吾(わ)が士(し)に余財(よざい)無(な)きも、貨(か)を悪(にく)むに非(あら)ざるなり。余命(よめい)無(な)きも、寿(いのちなが)し(※)を悪(にく)むに非(あら)ざるなり。令発(れいはつ)するの日(ひ)、士卒(しそつ)の坐(ざ)する者(もの)は涕(なみだ)襟(えり)を霑(うるお)し、偃臥(えんが)する者(もの)は涕(なみだ)頤(あご)に交(まじ)わる。これを往(ゆ)く所(ところ)無(な)きに投(とう)ずれば、諸(しょ)・劌(けい)の勇(ゆう)なり。
- (※)祥……さいわい。めでたいこと。しるし。占いごと。ここでは「占い」や「迷信」のたぐいの意味。
- (※)寿し……「じゅ」「ことぶき」「いのちながし」などと読む。ここでは「いのちながし」と読み、長生きのこと( 拙著『全文完全対照版 論語コンプリート』P114参照)。
- (※)専諸・曹劌……二人とも春秋時代の命を惜しまなかった勇者として知られる。専諸は呉の公子光(こう)の食客で呉王僚を刺殺して殺され、これで公子光は呉王になれた。曹劌は魯(ろ)の将で、大国・斉(せい)に敗れたとき、桓公を短刀で脅し、奪われた領土を回復した。
【原文】
禁祥去疑、至死無所之、吾士無餘財、非惡貨也、無餘命、非惡壽也、令發之日、士卒坐者、涕霑襟、偃臥者、涕交頥、投之無所徃者、諸劌之勇也、
93 呉越同舟(ごえつどうしゅう)
【現代語訳】
戦争をうまく行う者は、たとえていうと、率然のようなものである。率然とは常山にいるという蛇(へび)のことである。その蛇は、頭を撃つとただちに尾が助けにくる。その尾を撃つと頭がただちに助けにくる。その真ん中(腹)を撃つと頭と尾がともに助けにくるのだ。
そのことを踏まえた上で、「軍隊をこの率然のようにすることができるのか」と質問されるかもしれない。
それは「できる」と答えよう。
そもそも呉の人と越の人は隣国同士でお互いを憎しみ合っている仲であるが、たとえば同じ舟に乗り合わせ、川を渡るときに強風にあって舟が沈みそうなときは、お互い助け合うもので、それは左右の手のように一致協力しながら助け合うようなものである。
【読み下し文】
故(ゆえ)に善(よ)く兵(へい)を用(もち)うる者(もの)は、譬(たと)えば率然(そつぜん)の如(ごと)し。率然(そつぜん)とは、常山(じょうざん)(※)の蛇(へび)なり。其(そ)の首(かしら)を撃(う)てば則(すなわ)ち尾(お)至(いた)り、其(そ)の尾(お)を撃(う)てば則(すなわ)ち首(かしら)至(いた)り、其(そ)の中(なか)を撃(う)てば則(すなわ)ち首尾(しゅび)俱(とも)に至(いた)る。敢(あ)えて問(と)う、兵(へい)は率然(そつぜん)の如(ごと)くならしむべきか。曰(いわ)く、可(か)なり。夫(そ)れ呉人(ごひと)と越人(えつひと)(※)と相(あい)悪(にく)むも、其(そ)の舟(ふね)を同(おな)じくして済(わた)りて風(かぜ)に遇(あ)うに当(あ)たりては、其(そ)の相(あい)救(すく)うや、左右(さゆう)の手(て)の如(ごと)し。
- (※)常山……河北省曲陽県にある山の名。
- (※)呉人と越人……隣国同士で呉の人と越の人は仲が悪かった。なお、「呉越同舟」という言葉はここの文章から出ている。もともとの意味は、「仲の悪い者同士でも共通の目的があれば協力し合う」ということを意味する。今では、仲の悪い者同士が一緒にいること自体をいうことが多い。
【原文】
故善用兵者、譬如卛然、卛然者常山之虵也、擊其首則尾至、擊其尾則首至、擊其中則首尾俱至、敢問、兵可使如卛然乎、曰、可、夫吳人與越人相惡也、當其同舟而濟遇風、其相救也、如左右手、
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