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多様性を「生きる」。違いを「楽しむ」。アフリカ人と結婚した文化人類学者が、いま考えること。 鈴木裕之

第3回

損して得とれ

2018.11.05更新

読了時間

文化人類学者であり、国士館大学教授の鈴木裕之先生による新連載が始まります。20年間にわたりアフリカ人の妻と日本で暮らす鈴木先生の日常は、私たちにとって異文化そのものです。しかしこの連載は、いわゆる「国際結婚エッセイ」ではありません。生活を通してナマの異文化を体現してきた血の通った言葉で、現代の「多様性」について読み解いていきます。
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平等は無理

 多様性を生きる秘訣は、と聞かれたら、「譲りあいの精神」と「忍耐」、と迷わず答えよう。

 さまざまな人々がひしめき合う多様性の世界。異なる者どうしが出会ったとき、その立場は対等でなければならないのだろうか?

 「平等」は近代民主主義の根幹をなすコンセプトだ。なんといっても、「ひとり一票」の平等の権利を実現するために、人々は血を流してきたのだから。どこかの国では、1票の格差を解消するためにという理由で、「無駄な議員は減らせ」という時代の流れに逆行しながら、議員定数を増やしているほどである。

 だが複雑な多様性の世界においては、この単純な平等観は必ずしも機能しないし、ときには足を引っぱることにもなりかねない。

 もっとおおきな、より高次なヴィジョンを持った者だけが、充実した多様性ライフを送ることができる。

文化に縛られて

 人間は、自分で思っているほど自由ではない。日本語をしゃべっている時点で、すでにあなたは他の言語から疎外されている。

 人はある特定の文化のなかに生を受け、成長する過程で独自のバイアスのかかった考え方に馴らされ、知らず知らずのうちに型にはまった振る舞いを身につけてゆく。やがて、自分の世界観がじつはさまざまな可能性のなかのひとつに過ぎないのに、それが唯一無二のものであると思い込んで生きるようになる。

 こんな独善に縛られた者どうしがランダムに出会う場、それが多様性の世界だ。

 そこで人はまず自分の常識にしたがって振る舞う。だが、どうもそれが通用しないようだ。自分が当たり前だと思っていたことが相手に通じない。やってはいけないと思っていたことを、平気でする奴がいる。気持ちが通わない。表情が読みとれない。戸惑うあなた。戸惑いは焦りとなり、焦りは憎しみとなる。

 まるで自分の存在が否定されたかのように感じたあなたは心を閉ざし、こうつぶやく。

 「だから、ガイジンは嫌いだ」。

 このとき、あなたは心のどこかでこう思っているのではないだろうか。

 自分の世界が浸食されている、

 自分の権利が侵害されている、

 自分の「分」が減らされている、と。

いよいよ結婚式

 私がコートジボワールの大都市アビジャンで妻ニャマ・カンテと知りあったのは1989年、かの地で結婚式をおこなったのは1996年。足かけ7年の交際の末であった。

 知り合った頃、伝統的な祭礼で踊っていた彼女は、その後、国際的な活動を繰りひろげていたアビジャンのミュージカル劇団<コテバ>に入団し、役者・歌手・ダンサーとして活動をはじめ、ときに欧米やアフリカ諸国をツアーして回るようになった。やがて劇団のセンター格の3人娘によるコーラス・グループが結成されるとそのひとりに選ばれ、いわゆる「歌って踊れる」アイドル歌手として活躍するようになっていた。まさに、彼女が人気絶頂のときの挙式であった。

 このときの結婚式は、完全に伝統的なしきたりに則っておこなわれた。近代化された大都市アビジャンでは、アフリカの人々でさえ結婚の際に伝統的な手続きを端折ることもおおく、人によっては西洋式の挙式しかおこなわない場合もある。妻の家族は伝統を重んじるタイプであり、また私の方は文化人類学的興味もあり、式は伝統のフル・ヴァージョンが採用されることとなった。

 結婚式は、申し込みから複雑な交渉の過程を経て日取りが決まり、8日間にもわたってさまざまな儀式や祭礼が執りおこなわれる。

 結婚はふたつの親族間でのやりとりなので、申し込み・交渉のために現地で友人や知人にたのんで即席のスズキ一族を仕立てあげたり、伝統で決められた金品を用意して花嫁側に渡したりした(このあたりの詳細は、拙著『恋する文化人類学者』を参照していただきたい)。

 当時、彼女は歌手として活躍していたため、式には親族、友人、知人から、あまりよく知らない人まで含めて、総勢数千人の人々が押し寄せ、新聞・雑誌まで賑わせる華やかなものとなった。

贈り物地獄へようこそ

 無事に結婚式を終えてホッとした私を待っていたのは、これまた複雑怪奇な親戚づきあいであった。

 彼女はマンデと呼ばれる民族に属すが、マンデでは「贈り物」文化が発達しており、事あるごとにお土産や現金を渡すことを期待されている。これは社会的に規範化されたコミュニケーションの様式で、たとえば彼氏が彼女にプレゼントを贈るのはあたりまえで、贈り物の切れ目が縁の切れ目となる。反対に、彼女から彼氏へ、というのは期待されていない。

 もっとも重要なのは、親族間での贈り物である。

 マンデでは夫は妻の年下のキョウダイ(妹、弟)および祖父母と必要以上に馴れなれしくし、特に妹と祖母とはおたがいに「我が夫」「我が妻」と呼びあい、ときに下ネタまで言いあいながら、まるで夫婦のように振る舞う、という習慣がある(文化人類学で「冗談関係」と呼ばれる)。そして、「妻」はあたりまえのようにプレゼントや小遣いを要求し、「夫」はそれに応えなければならい。なお、祖父は「妻=祖母」を介して私のライバルとなるので、たがいに牽制したり喧嘩したりする(もちろん、冗談のレベルで)。同様に、妻と妹は「夫=私」を介してたがいにライバルとなり、やはり牽制しあう。

 反対に、妻の両親や年上のキョウダイ(兄、姉)とは敬意を持って接しなければならない(こちらは「忌避関係」と呼ばれる)。そして、これはこれで、敬意を持って贈り物をしなければならない。

 その他、長老から遠い親戚まで、要所々々に贈り物強制ポイントが存在し、私は、いつでも、どこでも、永遠に贈り物や現金をあげつづけなければならない、ということになる。

 「私へのプレゼントはどこ?」

 「ワシにお土産はないのかね?」

 そう言われて、はじめて相手が贈り物を渡すべき関係にあることを知ることになる。その都度、私のバッグから土産品が消え、財布の現金が減ってゆくのであった。

やがて文化が味方となる

 これでは、まるで詐欺ではないか。

 結婚の仮面をかぶったボッタクリではないか。

 底なしの贈り物地獄に放り込まれた私は、戸惑い、腹を立て、やがて恐怖さえ覚えるようになる。自分はハメられたのだろうか?

 全体が見えない。じゅうぶんな情報が与えられない。疑心暗鬼になった心は固くなり、外界にたいして閉ざされ、その奥底にどす黒いものが溜まってゆくのが感じられる。異文化に放り込まれたおおくの人が経験する状況ではないだろうか。

 だが焦ってはいけない。暗闇に少しずつ目が慣れてくるように、だんだんと周りの状況が見えてくるようになる。すると、彼ら自身が贈り物文化を重荷に感じながら、同時に楽しんでいる姿が目に入ってくる。

 たしかに外国人という事で、すこしはボッタクられていたかもしれない。だが、彼らの「贈り物の輪」に組み込まれ、そこに踏みとどまっているうちに、経験値が増え、贈り物の相場も理解し、輪の全体像が見えてくるようになる。固かった私の心も緩やかになり、いつのまにか対等の立場で受け入れられている自分がそこにいる。

 すると、お土産を買うとき、もちろんできるだけ安く済まそうとは思うが、たんなる義務ではなく、相手の喜ぶ顔を想像するようになる。小遣いを渡すときも、ボッタクリではなく、必要経費と考えるようになる。

 彼らの文化の一部が内面化され、私は彼らに一歩近づく。彼らはそれを無意識のうちに感じとり、誰からも押しつけられない本物の「絆」が深まってゆく。

 こうして、文化を味方につけた私は、かつての自分と同じ立場の新米外国人などがいると、マンデの民といっしょになって法外な値段をふっかけながら、その戸惑う顔を見ては、大爆笑するのである。

不平等な関係性

 異なる者が出会う多様性の世界。そこは異なる文化がぶつかりあう場でもある。

 たとえば結婚式はどうしたらいいだろう? これは一定の様式にしたがった儀式で、通常、文化ごとに厳格な方法が決まっている。ふたつを混ぜて折衷式にするのか。近代化された世界ではそれも容易であろうが、相手の「伝統」度が高い場合、その可能性はかぎりなくゼロになる。彼らにとって「しきたりを守る」のは至上命令。結局、あなたが折れることになる。

 妻の妹も歌手であるが、ある年のアメリカ・ツアーの際、ひとりの白人男性に一目惚れされ、求婚された。彼はアビジャンまできて婚約したのだが、そのとき私は「先輩」として、マンデのしきたり、結婚式の進め方などについてアドバイスしてやった。愛する未来の妻のために、アビジャンでマンデ式の結婚式を挙げようと決心した彼は、それまでの人生で聞いたこともなかった奇妙で複雑なニュアンスを理解しようとがんばっていたのであるが、短期間にインプットされた大量の情報を処理できなくなったのか、あるとき突然叫びだした。

 「どうして、私だけが相手に合わせなければならないんだい。これでは、あまりにも一方的すぎるよ!」

 そう、それが最大の問題なのだ。「一方的」だということが。

 自分は多様性を尊重し、異なる他者を受け入れようと努力している。だから相手も同じように努力すべきだ。

 これは平等の思想である。思想とは理念であり、頭の中でのシミュレーションにすぎない。それはつねに現実の生によって裏切られてゆく。

 相手があなたと同じようにある程度の学校教育を受け、政治意識も高く、いわゆる「市民」的な考えの持ち主であれば、対等の関係はありえるかもしれない。なぜならふたりはおなじ「言語」を操り、同じ理念を共有できるであろうから。

 だが現実の世界では、そんな狭い市民的世界観など吹っ飛んでしまう。伝統が、しきたりが、人々の思考と行動を規定している。彼らは無意識のうちに、「いつものように」行動し、あなたにもそれを要求する。もちろん、外国人であるあなたに手心を加えることはあるだろうが。

 日本で「良いガイジンさん」と呼ばれるのは、日本文化に染まり、日本のしきたりを尊重する外国人である。それができないガイジンは、多かれ少なかれ、疎外される運命にある。日本人の集合的無意識のなせる技である。

 さて、先のアメリカ人男性であるが、その真摯な努力にもかかわらず文化の距離をついに埋められず、婚約解消となってしまった。

 日本とマンデは、よく似ている。

我慢の向こうに見えるもの

 多様性とは「相互理解」のための仕掛けである、と前回書いてみた。

 この「相互」を、平等の思想に基づいた対等の関係であると思ってはならない。それは各人が、各場面で、その状況に応じて対応すべき、複雑で個別的なものである。

 最初はあなたが一方的に従わなければならないかもしれない。逆の場合もあり得るが、多様性理解への志の高い方が、そうでもない方に従うという図式が一般的であろう。まずは「譲りあいの精神」だ。

 当初はマイペースな相手にとにかく振りまわされる。自分の慣れ親しんだ文化を封印し、努力するあなた。そんな気持ちを察しもせず、あたりまえのように自分の文化を押しつけてくる。だが、すこし辛くても、ちょっと不安になっても、とりあえず続けてみる。「忍耐」の時期だ。

 相手とおおくの時間を過ごし、経験を共有するなかで、あなた自身が成長し、やがて、どこかで、関係性が対等になったと感じはじめる。彼らにとって、あなたはすでになくてはならない人となっている。これでやっと「相互」のレベルに到達した。

 彼らの眼差しが優しい。彼らの微笑みが暖かい。なんとなく「理解」できている感じ。

 この時、あなたは、自分の世界が浸食されず、自分の権利が侵害されず、自分の「分」が減らされていないことに気づく。

 むしろ、自分の世界が豊かになったような充実感で満たされる。

 人々が平等を主張しながら、権利の分捕り合戦を繰り広げているあいだ、あなたの世界はすでに相互理解で潤っている。

 こうして、最初に損をし、最後に得をした者の多様性ライフは、じつに楽しい。

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著者

鈴木 裕之

慶應義塾大学出身。国士舘大学教授。文化人類学者。専門はアフリカ音楽。著書に『ストリートの歌―現代アフリカの若者文化』(世界思想社/2000年/渋沢・クローデル賞現代フランス・エッセイ賞受賞)、『恋する文化人類学者』(世界思想社/2015年)ほか多数。1989年~1994年まで4年間、コートジボワールの大都市アビジャンでフィールドワークを実施。その際にひとりのアフリカ人女性と知り合う。約7年間の恋人期間を経て1996年に現地にて結婚。彼女が有名な歌手になっていたことで結婚式は注目され、現地の複数の新聞・雑誌でとりあげられた。2015年、この結婚の顛末を題材にした文化人類学の入門書『恋する文化人類学者』を出版。朝日新聞、週刊新潮、ダ・ヴィンチなどの書評、TBSラジオ、文化放送などのラジオ番組でとりあげられ、大学入試問題にも採用された。

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