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多様性を「生きる」。違いを「楽しむ」。アフリカ人と結婚した文化人類学者が、いま考えること。 鈴木裕之

第8回

世界は美しい

2019.01.21更新

読了時間

文化人類学者であり、国士館大学教授の鈴木裕之先生による新連載が始まります。20年間にわたりアフリカ人の妻と日本で暮らす鈴木先生の日常は、私たちにとって異文化そのものです。しかしこの連載は、いわゆる「国際結婚エッセイ」ではありません。生活を通してナマの異文化を体現してきた血の通った言葉で、現代の「多様性」について読み解いていきます。
「目次」はこちら

フィールドワークの現場から

 本連載では、私が多様性を生きるなかで考え、感じてきたことを、エッセイとして紹介させてもらっている。

 最初からおおきな見取り図があるわけでもなく、理論的枠組みがあるわけでもない。
 頭と心のなかでモヤモヤしているものを、ワープロに向かいながら整理して綴っている。

 実際にどんなものになるかわからないので、とりあえず前回までは私の結婚と家族にまつわるエピソードを時系列的に追いながら、文章をまとめてきた。

 お気づきになった人もいるかもしれないが、第1回目のイントロにつづいて、2「妻との出会い」、3「結婚」、4「妻の来日」、5「出産」、6「娘の幼稚園卒業」、7「娘の高校卒業」という順番である。

 これで一通りファミリー・ヒストリーも終わったので、これからは「国際結婚」という現場から文化人類学の「フィールドワーク」という現場へと舞台を移し、多様性を生きることについて、違いを楽しむことについて、考えてゆきたいと思う。

 こう言ったからといって、話がフィールドワークの調査報告っぽくなるとか、学術的になるということではない。

 むしろ、フィールドワークの名目で日本とアフリカを往復しながら考え、感じたことのなかで、学術的思考に馴染まないもの、その枠組みに収まりきらないことについて書いてゆきたい。

悪名高き街

 アフリカでもっとも混沌に満ちた都市はどこか?

 内戦でボロボロになった紛争都市を除いて考えた場合、おそらくふたつの答えが返ってくるだろう。

 ナイジェリアのラゴスと、コンゴ民主共和国のキンシャサ。

 平時なのに、無秩序。

 日常生活なのに、非日常的。

 アフリカ人も恐れる悪名高きブラックホール。

 まあ、これはハリウッド映画の宣伝風にすこし脚色した文句だが、両都市ともこれがまったくの誇張であるとは言いきれない実力を備えている。

 過剰な人口密度、インフラの不備、汚職の横行、近代的な意味でのモラルの欠如……こうした第三世界の都市を彩る特徴のあらゆる面において、ラゴスとキンシャサは「ハンパない」のだ。

 そして私がはじめて訪れたアフリカの地が、キンシャサであった。

 キンシャサよ、キンシャサよ、あなたはどうしてキンシャサなの?

 札付きの不良学生に心惹かれる箱入り娘のように、私はキンシャサの魅力にとりつかれてしまった。

 そこには素晴らしい音楽があった。

 おおくの優れた音楽を生みだしてきたアフリカのなかにあって、トップクラスに位置づけられる音楽があった。

 ほとんどの曲がキンシャサの共通語であるリンガラ語で歌われることから、日本では「リンガラ音楽」などと呼ばれている。

 大学3年時の春休みに、日本人のフリーカメラマンを介してパリで偶然出会ったのが、リンガラ音楽のスーパースター、パパ・ウェンバであった。これは例えていえば、アフリカ人の名もなき大学生がいきなり矢沢永吉か桑田佳祐と知りあいになったようなものである。
 リンガラ語がペラペラであったカメラマン氏の通訳を介して、私はパパ・ウェンバと歓談し、キンシャサに行って音楽の現場を体験しようと心に決めた。

キンシャサの洗礼

 生まれてはじめて踏んだアフリカの大地は、キンシャサ空港のアスファルトであった。

 噂にたがわずアグレッシブな出国審査を終え、自称タクシーの運転手にぼったくられながらも目的の下町にたどり着き、安ホテルにチェックインし、ホッと一息つく。

 ここはマトンゲ地区。リンガラ音楽の聖地。

 おおくの有名ミュージシャンが週末に演奏するダンシング・バーがひしめきあっている。

 金曜日の夜10時、あるグループのライヴ演奏があるという。私はカメラバッグを肩にかけて、目的のバーまで歩いてゆく。

 バーの前はひっそりとし、人の気配がない。中止になったのか。

 「今日、演奏はあるのかな?」

 通りすがりの男に尋ねる。

 「ああ、すぐにはじまるよ」

 私はカメラバッグを抱え、道端でじっと待つ。

 閑散とした道に、ときどき通行人のシルエットが浮かびあがっては消えてゆく。

 暗がりに座る私を不安と焦燥が支配してゆく。

 バーの扉が開いたのは、やっと夜中を過ぎた頃。客が集まりはじめたのは1時過ぎ。ライヴがはじまったのは2時をまわった頃であった。

 すくなくとも4時間遅れ。これがキンシャサのスタンダードであった。

 その後、私は彼らの時間感覚とシンクロしながら、有名グループのライヴを次から次へと体験し、そのすばらしさに酔いしれていった。

 だが、こうしたポップスターたちのライヴのほかに、もうひとつ、追いかけたいライヴがあった。それは地方からやってきた人々で演奏される同郷ライヴである。

 これは、2017年の第67回ベルリン国際映画祭で審査員グランプリ(銀熊賞)を受賞し、同年12月には日本でも劇場公開されたアフリカ映画『わたしは幸福(フェリシテ)』で、主人公のシングルマザー、フェリシテが歌手として活動していた、まさにあの世界である。

不幸なフェリシテ

 フランス語で「幸福」を意味する<フェリシテ>と名づけられた女性は、あるバーで歌を歌っている。

 キンシャサではオシャレなブランド服に身を包んで、最新のポップスを演奏するリンガラ音楽のほかに、エレキ楽器と民族楽器をミックスさせた伝統音楽の演奏も盛んである。

 同郷クラブのようなバーがたくさんあり、そこで人々は「お国」の音楽を聴きながら、酒を飲み、歓談し、軟派し、そして踊りまくる。東京でも、北海道、青森、熊本、沖縄などの県名を看板に掲げた居酒屋に同郷人が集まり、郷土料理を食べながら、故郷の話に花を咲かせるなどということがあるが、そのノリを100倍にして、そこに極上の音楽とダンスを加えたもの、とイメージしていただきたい。

 ある日、彼女のひとり息子がバイクの事故を起こし、病院に担ぎこまれる。

 重症だ。はやく手術しないと。だがまず治療費を払わなければ手術してもらえない。

 金策に駆けずりまわるフェリシテ。

 親戚、友人、果ては見ず知らずの金持の家に強引に踏みこんで、いきなり金の無心をする。

 気が強く、男勝りで、愛想のないフェリシテの金策は難航を極める。

 ついに手術は間にあわず、息子は左足をひざ下から失ってしまった。

 ショックから、口もきかず、なにも食べず、表情を失ってしまった息子。

 絶望したフェリシテは、ついに歌えなくなってしまう。

 ちっとも「幸福」でないフェリシテ。

 だが、だらしなく、のん兵衛で、女たらしだが、心優しいある男の献身により、彼女はすこしずつ心を開いてゆき、ついに歌声を取りもどす。

 それだけでなく、彼女は以前どこかに置き忘れてしまっていた笑顔と心のしなやかさをも取りもどしていた。

 ていねいに描きこまれたキンシャサの風俗、音楽的な響きを伴ったリンガラ語の会話、迫力あるバーでの演奏場面、ぶっきらぼうなフェリシテとノボーっとした「だらしな男」との不思議な関係性、夜の森を徘徊する夢として描かれるフェリシテの心象風景……

 この映画を見たとき、私は久しぶりにキンシャサのことを思いだした。

 あれはまだアビジャンに来る前。大学院修士課程の頃。

 駆けだしの研究者の卵として、希望に燃え、パワーにあふれ、そしてすこし焦っていた。

テーマの設定

 私がキンシャサに赴いた目的はふたつあった。

 ひとつはリンガラ音楽の現場を楽しむこと。

 もうひとつは修士論文を執筆するための資料を集めること。つまりはフィールドワークである。

 いまでこそ「グローバル化」をキーワードに、第三世界のポップスについての研究は盛んにおこなわれているが、当時(1988年)は欧米でワールドミュージック・ブームに火がつきはじめた頃のこと。

 ある社会現象が起きたとき、それが研究者に認識され、学問の俎上に載せられるまでには数年のタイムラグを要する。文化人類学の分野において、ポップカルチャーを研究対象とすることなどまだまだ「ありえない」と思われていた。

 「リンガラ音楽研究」を前面に出したいのはやまやまであったが、もっと「民族的」で「村的」なコンセプトでないと、対応する分析枠組みがないため、修士論文のテーマとなりえない。そこで、当時はまだ新鮮味のあった「エスニシティ」というキーワードで考えてみることにした。

 「エスニシティ」とは「民族性、民族らしさ」といったような意味で、近代都市のような多民族的状況のなかで、人々が意識的に自己の民族的特性を主張し、民族的活動を実践するような場合に用いられる分析概念である。

 アメリカで黒人がアフリカ由来の衣服を着たり、ブラジルで日系人が日本の祝日を祝ったり、日本でナイジェリア人が同郷の互助組織をつくったり……こういった場合に、どんな枠組みで人々が集団化し、どのように民族的独自性を実践しているのか。

 キンシャサにおける同郷ライヴの存在を知った私は、「これだ!」と思った。

 近代都市における伝統的民族音楽の実践。(当時としては)新しく、かつ、文化人類学の枠組みに収まる良いテーマだ。

データをとれ

 ホテルの従業員や近隣住民に、同郷バーの場所を知らないか尋ねてみる。

 実際にいくつかのバーに通い、オーナーやミュージシャンのご機嫌をとる。

 仲良くなりはじめたら、写真を撮り、録音もさせてもらう。

 そして質問の嵐がはじまる。

 あの民族楽器の名前は?

 この曲の意味はなに?

 どんな客がやってくるの?

 彼らの踊っているダンスの名前は?

 ……

 だが、所詮、無理な話であった。

 滞在期間は2カ月足らず。当時私はフランス語は話せず、使えるのは片言のリンガラ語のみ。いっぽう同郷ライヴで使われるのは地方の言語ばかり。こころよく迎えられることもあれば、警戒されて拒否されることもある。

 だめだ、データがとれない。論文が書けない。

 日に日に焦りが募り、目の前で展開される異文化満載の生活も、あれほど憧れていた音楽も、楽しむ余裕がなくなっていく。

 本末転倒とは、まさにこのことである。

 音楽を楽しみにきたはずなのに、自分で勝手に枠組みを決めて、その枠にヒットする現実ばかりを探し求めて、焦り、不機嫌になり、やがてデータをくれない相手が愚かであるかのように、効率の悪い社会が悪いかのように思いこみ、不満を増大させてゆく。

 もし、私の調査しているバーにフェリシテがいたら、どうなっていただろう。

 「息子の手術代が必要なんだ。お金をすこしもらえないかい」

 私は彼女の仏頂面を見て、こう思う。

 (それは私の調査項目にはない。じゅうぶんな資金があるわけでもない。かわいそうだが、なにもしてあげられない)

 そして、こう切りかえす。

 「それはたいへんだね。ところできのう歌っていた曲についてだけど……」

 彼女にとっては人生の一大事だが、調査のテーマから外れるという意味において、それは「ノイズ」として処理されてしまう。彼女の愛情や悲しみにつきあっている暇などない。

 こうして調査者は、データにも情報にも還元できない「生」から自らを疎外し、目の前で展開される唯一無二のリアリティから遠ざかってゆく。

神からの贈り物

 楽しみから焦りへと変わっていった私のキンシャサ滞在。

 もうすぐ帰国というある日の夕方、心の潤いをなくしていた私の眼に信じられない光景が飛びこんできた。

 ある調査を終えてホテルに帰るため、私は乗り合いタクシーの後部座席にカメラバッグを抱えて座っていた。

 タクシーは長い直線道路を走っていた。

 疲れきった私は、窓の外をなんとはなしに眺めていた。

 すると、突然、真っ赤な夕焼けが街全体を照らしはじめた。

 それは、キンシャサではじめて見る、まっことみごとな夕焼けであった。

 そのとき、それまで見たことのない光景が目の前に広がった。

 道端を歩く人々である。

 砂地の路肩を、人々がゆっくりと歩いている。

 笑いながら議論する友人グループ、

 耳元でささやきあう恋人たち、

 母に手を引かれ、べそをかく半泣きの男の子、

 売れ残りの果物の入った籠を頭上に載せながら家路を急ぐ女性、

 ミニスカ美人を連れた金のありそうなビジネスマン……

 彼らの表情が、手の動きが、足の運びが、真っ赤な光に照らしだされ、まるでスローモーション映像のように、はっきり、細かく、みずみずしい質感を伴って、私の網膜に焼きつけられてゆく。

 その映像のすばらしさが、人々の表情の優しさが、彼らの動きのしなやかさが、私のささくれだった心を解きほぐしてゆく。

 人種にも、民族にも、人口統計にも、所得分布にも、政治的イデオロギーにも、人類のつくりだした社会的区分のなにものにも還元されない「存在」そのものが、光り輝きながら、その姿を現しているかのようであった。

 それまでデータばかりを探していた私。

 すでに落としどころが決まっているパズルのピースを探していた私。

 だが、ほんとうの「生」っていうのは、そんなもんじゃないよ。

 世界は、こんなに美しいんだよ。

 神が天の扉をすこしだけ開き、そう語りかけてくれたような気がする。

 きっと他の人から見れば、アホな調査者のバカげた感傷としか思われないだろう。

 そうなのかもしれない。

 だが、次のようなことばに出会ったとき、やはりあの時の光景は神からの贈り物であったと、勝手ながら確信するのである。

 「この世界を、個人的な願望を実現する場とせず、感嘆し、求め、観察する自由な存在としてそこに向かい合うとき、われわれは芸術と科学の領域に入る」(ジェリー・メイヤー&ジョン・P・ホームズ『アインシュタイン150の言葉』67ページ、ディスカヴァー21)

 この場合の「芸術と科学」とは、ゴッホの絵がいくらで落札されたとか、論文を何本書かなければ教授になれないとか、そういった俗のレベルではなく、ピュアな「真理」を探究するという聖なるレベルの話であろう。

 あのときの調査をもとに書いた私の未熟な修士論文は、大学の図書館の隅で埃をかぶっているが、キンシャサで見た夕焼けの光景は、多様性ワールドを生きるための基準点として、いまでも私の心のなかで輝きつづけている。

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著者

鈴木 裕之

慶應義塾大学出身。国士舘大学教授。文化人類学者。専門はアフリカ音楽。著書に『ストリートの歌―現代アフリカの若者文化』(世界思想社/2000年/渋沢・クローデル賞現代フランス・エッセイ賞受賞)、『恋する文化人類学者』(世界思想社/2015年)ほか多数。1989年~1994年まで4年間、コートジボワールの大都市アビジャンでフィールドワークを実施。その際にひとりのアフリカ人女性と知り合う。約7年間の恋人期間を経て1996年に現地にて結婚。彼女が有名な歌手になっていたことで結婚式は注目され、現地の複数の新聞・雑誌でとりあげられた。2015年、この結婚の顛末を題材にした文化人類学の入門書『恋する文化人類学者』を出版。朝日新聞、週刊新潮、ダ・ヴィンチなどの書評、TBSラジオ、文化放送などのラジオ番組でとりあげられ、大学入試問題にも採用された。

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