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多様性を「生きる」。違いを「楽しむ」。アフリカ人と結婚した文化人類学者が、いま考えること。 鈴木裕之

第15回

トライバリズムの快楽(前編)

2019.05.07更新

読了時間

文化人類学者であり、国士館大学教授の鈴木裕之先生による新連載が始まります。20年間にわたりアフリカ人の妻と日本で暮らす鈴木先生の日常は、私たちにとって異文化そのものです。しかしこの連載は、いわゆる「国際結婚エッセイ」ではありません。生活を通してナマの異文化を体現してきた血の通った言葉で、現代の「多様性」について読み解いていきます。
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東京の部族民

 園子音監督の映画『トーキョー・トライブTOKYO TRIBE』を見た。

 園監督については、『ハザード』など、まだ資金繰りに苦労していて、ゲリラ的なスピリットが画面から溢れでていた昔の作品が好きだが、人気漫画作品を原作とし、巨大なスタジオに大掛かりなセットを組んで撮影したこの作品も、完全ファンタジー・ヒップホップ系ミュージカルとしておおいに楽しむことができた。

 TOKYO TRIBE。訳して「東京の部族」。

 舞台は架空都市「トーキョー」となっているが、あきらかに我が国の首都、東京である。

 この荒廃した都市で、若者たちが街ごとに徒党=トライブを組んで、対立しながら生きている。

 グループ名は、ムサシノSARU(武蔵野)、ブクロWU-RONZ(池袋)、シンジュクHANDS(新宿)、シヴヤWARU(渋谷)……

 物語は彼らの対立、抗争、暴力、裏切り、友情などを軸に展開するのであるが、私をもっともワクワクさせたのは、若者たちが東京に実在する街ごとに部族化し、異なるファッションに身を包みながら、物理的に対立してゆくという、その設定である。

 私たちは、通常、対立はいけない、暴力はいけない、相手を思いやる心を育てなければいけない、などと教育され、そう公言することを強いられているが、そうした道徳的次元とは別のところで、戦争や抗争などに魅力を感じ、それらをテーマとした小説、漫画、アニメ、映画、ドラマ、ゲームなど大量のソフトを消費している。

 物理的に実現すると壊滅的なダメージを与えるが故、これらのソフトによって代償行為をおこなっているということなのだろう。

 それはそれで良いとして、ではこうした代償行為を求める私たちの欲求は、いったいどこからくるのだろう。

 実際の戦争、マフィアの抗争、近未来のディストピア、宇宙戦争、一大ファンタジー絵巻……毎年、数えきれないほどこの分野のソフトが発売され、巨大産業を形成している。それを支える膨大なエネルギーは、たんなる娯楽の一種として軽く扱えるようなものではない。

 もっと、人類の深い部分に根を持つ「人間性」を構成する何かがある。

 東京の街という、私たちの日常生活を支えている空間が「部族化」するという設定は、「部族は野蛮で、私たちはそうではない」という普段私たちが寄りかかっている常識にちょっとした揺さぶりをかける、そんな刺激を与えてくれた。

民族か、部族か


 かつて文化人類学では「部族」という語が多用されていたが、現在では「民族」「エスニック・グループ」などにとって代られ、ほぼ死語と化している。

「部族」の何がいけないのか?

 この語はヨーロッパが世界中を植民地化した時代に、アフリカ、アジア、ラテンアメリカなどの「原住民」の集団を指し示す際に使われ、それが日常語のみならず、政治学、歴史学、社会学、そしてまさにこの時代に誕生した文化人類学などの学術分野でもあたりまえのように使用されるようになった。

 つまり、英語のtribe、その和訳の「部族」、カタカナ表記の「トライブ」には、「未開の」「野蛮な」といった白人側からの上から目線が内在しているのだ。

 祖先をおなじくする血縁でがんじがらめに結ばれ、おなじ土地に集住して、弓や槍や棍棒で部族間戦争にあけくれる民度の低い人々。

 もし外国人に「日本人は部族だ」と言われたら、あなたはどんな反応をするだろう?

 まずは何を言われているのか、とっさには理解できないだろう。だって、あなたの世界観にそのような命題は存在しないのだから。

 やがて、その言葉の持つニュアンスを理解して、あなたはムッとしながらこう切りかえすであろう。

「日本人は部族などではない、高等民族だ!」

 このような事実に遅ればせながら気づいた我々は、部族という用語の使用を差し控えるようになったというわけである。

 ちなみに「民族」に相当する英語は「ネイションnation」であるが、これは共通の歴史・文化を持つ共同体を意味すると同時に、政治的に統一された結合体、つまり近代国家を構成する「国民」をも意味する。よって自分たちのことを間違っても「部族」と呼ばないヨーロッパ人を指し示す際にも問題なく使用されている。

 だが、部族という語を民族と差し替えることで、ほんとうに問題が解決したのだろうか?

 アフリカの森のなかで暮らす採集狩猟民の小さな集団と、たとえば日本人をおなじ「民族」として定義することは、平等の人権を持つという政治的メッセージにはなるとしても、ほんとうは違うものをおなじものとみなすという「道徳的忖度」により、人間存在の在り方の真の多様性から目をそらしてしまうのではないだろうか。

 最近では「~族」という言い方も差別的だとして、すべて「~人」と表記する人もおおいい。すると多民族国家であるアフリカでは、ある人が「コートジボワール人」(国民)であり、「バウレ人」(民族)であるということになる。これも人権的発想に基づく政治的忖度であろう。たかが日本語表記の問題であるが、これでは近代国家と民族という成り立ちの違う人間集団の、けっして並列的ではない関係性を覆い隠してしまうのではないだろうか。

 たしかに言葉の問題は大切である。人は言葉にもとづいて世界を認識し、思考してゆくのであるから。でも、だからこそ、安易な看板の架け替えで問題を解決したという、政治家的・官僚的思考には注意しなければならない。

「部族」から「民族」へ……ここに、私はなぜか偽善の臭いを嗅ぎとる。そこで解決されたのは、もしかしたら使用する側の罪の意識だけなのではないだろうか。

部族化する異文化理解者


 多様性ワールドを生きる際に欠かせないもののひとつに「共感」がある。

 多様性を客観視し、カタログ化し、世界の見取り図を作成する知の理解とは別に、いや、できればそれと並行しながら、目の前の他者と気持ちを共有し、世界を分かちあう情の理解が重要である。

 だがここで、相手の世界に埋没すればするほど、自分の「部族化」が進んでゆくというジレンマが生じてくる。

 世界と広く浅くつきあう人々がいる。

 地図を広げ、情報を検索し、航空券を買い、現地に赴く。こっちに3日間、あっちに1週間、ここは気に入ったから2週間いようか……有名パワースポットでの自撮り写真や現地の子供たちと撮った写真をフェイスブックやインスタにアップして、「やっぱ、世界って多様だよね」と元気いっぱいの様子。

 あるいは、日々、最新の国際ニュースに目を通し、情報番組の解説やコメントを厳しい表情でチェックしながら、ブログやツイッターで世界の政治的動向にたいして批評家然としたコメントを連発する。

 彼らは世界中のあちこちと等距離の関係を保っている。おそらく自分の国以外に強いアイデンティティを感じることもなく、基本的には世界各地と無関係な生を営むゆえに、若干の個人的好みはあるだろうが、全世界を意識の上で「友」とすることができる。

 だが、その「友情」はあくまでも底の浅い表面的なものである。もし相手との関係性が深くなったなら、全員と仲良くいることなどできはしない。特定の友人ができ、同時に疎遠となる、あるいは敵対する人も生まれてくる。それは私たちの日常生活とおなじことだ。

 私はフィールドワークと結婚を通して、妻の民族である「マンデ」に深くコミットしてきた。

 たんにその文化・社会を調査・理解するだけでなく、マンデ風の名をもらい、イスラム教に改宗し、伝統的な結婚式をおこない、複雑な親族関係に組みこまれ……こうして自分自身を「マンデ化」してきた。その結果、彼らとの共感度は限りなくアップし、骨太かつ深遠なる人間関係が構築された。

 だがそれと同時に、彼らの持つ特殊性、言いかえると「偏見」をも身につけることとなった。

 どんな人であれ、民族であれ、国民であれ、透明な世界観を持つことはできない。各人は自分の置かれた場所から、自分の自我が形成される過程で身につけた色眼鏡を通して世界を把握してゆく。

 マンデはイスラム教徒。神を信じ、キリスト教を不完全だと見なし、不信心者を天国にゆけない不幸な者たちと考える。

 マンデはマリ帝国の末裔。かつてもっとも偉大な国を打ち建てた文明を誇り、他民族に対してはどちらかといえば上から目線だ。

 マンデはサバンナの民。西アフリカではマリ帝国を含め、おおくの王国がサバンナで興亡を繰りかえしっていったが、森林地帯では国が形成されなかったため、森の民を軽んずる傾向がある。

 マンデはグリオの伝統を持つ。その高度に洗練された語りと謡いの伝統を背景に、自分たちの音楽が最も優れていると自負し、近年世界中で人気を博すジェンベ・ブームがそれに拍車をかける。

 私がマンデの民と共感し、マンデ的アイデンティティを身につけてゆくということは、同時にこうした世界観を内面化してゆくということである。それにより、世界に対する距離感も感性もけっして中立的ではなく、特殊にならざるをえない。

 こうして特定の異文化にコミットすればするほど、その者は「部族化」してゆくのである。

特殊化の歓び


 だが、この部族化が快楽であることを、ここに白状しよう

 たとえば、民族衣装を身につけること。

 特定の布を用意し、伝統的な手法で着色し、裁断し、裁縫し、装飾を施すと、その民族独特の衣装ができあがる。それは本来、彼らのモノであり私のモノではないのだが、彼らとの関係性に時間・金・労力を注ぎこんだ結果、彼らから受け容れられ、その衣装を着る権利を与えられる。それは、いつ、どこで、どんな風に着こなすのかという文脈をも含めた着用であり、観光客がお土産で買う「なんちゃって民族衣装」とは一線を画する。

 食事についてもおなじことが言える。

 観光客がレストランで現地の料理を食べることは簡単だ。だが、青空市場で買われた食材が、軒先の料理場で炭火を使って調理され、大皿に載せられて運ばれ、それをみんなで囲んで共食する、そんな完全家庭料理の贅沢を享受できるのは、その文化に受け容れられた者だけの特権である。

 音楽だって、例外ではない。

 いまだ音楽が日常生活のなかに息づいているアフリカでは、民族ごとに特定のリズム、メロディー、ことば、楽器による音楽が発達し、祭りで、儀礼で、農作業で、それにもちろん娯楽の場で生き生きと演奏される。そのなかのひとつを「自分の音楽」と公言できる特権は、誰にでも許されることではない。
 

 早くからイスラム化したマンデの民は、布をたっぷりと使った民族衣装を発達させてきた。それは彼ら独特の色彩感覚と美意識により、アラブの衣装よりも数倍ゴージャスなものとなった。私は妻の家族や友人からこうした衣装を数多くプレゼントされ、それを必要な場面で着ることを期待される。

 アビジャンでは妻の家や友人宅で家庭料理のご相伴にあずかり、イスラム教の祭日などでは私が羊を買い、それを妻の家の前で絞めて、さばいて、調理し、親戚一同で食し、肉の一部は隣人や貧しい者たちに分け与える。

 音楽については、もはや言うまでもあるまい。私の妻とその一族は、音楽を通してマンデの歴史を語り伝えてきたグリオなのである。私は完全に、マンデの音楽世界にとり込まれている。

 衣装も料理も音楽も、民族ごとに特定の形式があり作法がある。それを自分の一部とすること、言いかえれば、自分がそれらの一部となってゆくことは、ある種の歓びをもたらしてくれる。

 自分が他者とつながっているという実感。

 自分の世界を構成する要素が、より豊かになってゆくという充実感。

 自分が他の同胞たちとは違う、特別なものになってゆくという優越感。

 そこには、自分が特殊化してゆく快感がある。

 だが、その特殊化が世界に対する偏見をも含んでいることを意識する者は少ない。

内なる部族民


 私たちは「民族」へと呼び方を変え、「~人」へと表記法を変え、ついに「部族」を世界から追放することに成功した。

 だがそれは、ことばの世界だけのことではないだろうか。

「部族」という文字を消去すれば、「部族的なるもの」も抹殺することができるのだろうか。

 部族的なるものは、近代民主主義の原理とは異なるゆえに、遅れたものとして、悪いものとして、まるで諸悪の根源であるかのように蔑まれてきた。

 だが、ほんとうにそれで良いのだろうか?

 自分のなかでうごめく「部族民」を感じながら、私はそう思う。

 人間性とは、「部族主義<対>民主主義」などという単純な対立に還元できない、もっと別の何かなのではないだろうか?

 部族的なるものの肯定的側面と否定的側面がこんがらがった自分の頭を整理しながら、もうすこし考えてみたい。
(後編へと続く)

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著者

鈴木 裕之

慶應義塾大学出身。国士舘大学教授。文化人類学者。専門はアフリカ音楽。著書に『ストリートの歌―現代アフリカの若者文化』(世界思想社/2000年/渋沢・クローデル賞現代フランス・エッセイ賞受賞)、『恋する文化人類学者』(世界思想社/2015年)ほか多数。1989年~1994年まで4年間、コートジボワールの大都市アビジャンでフィールドワークを実施。その際にひとりのアフリカ人女性と知り合う。約7年間の恋人期間を経て1996年に現地にて結婚。彼女が有名な歌手になっていたことで結婚式は注目され、現地の複数の新聞・雑誌でとりあげられた。2015年、この結婚の顛末を題材にした文化人類学の入門書『恋する文化人類学者』を出版。朝日新聞、週刊新潮、ダ・ヴィンチなどの書評、TBSラジオ、文化放送などのラジオ番組でとりあげられ、大学入試問題にも採用された。

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