第2回
友だちはどうして必要?
2020.08.05更新
不安になったら、落ち込んだら、「ひとりになる勇気」をもってみよう。友だち関係で悩む中高生に絶対読んでほしい本が誕生!齋藤孝先生が伝授する、一生使える無敵の人間関係術!
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第1章 「友だち」ってなんだろう?
友だちはどうして必要?
きみたちに聞きます。
「友だちって必要ですか?」
「あたりまえじゃないですか!」
「友だちがいなかったら、さびしい」
という声があちこちから聞こえてきそうですね。
では、もうひとつ聞きます。
「どうして友だちが必要なんですか?」
「人間はひとりでは生きていけないから」
「支え合ったり、助け合ったりするため」
ひょっとしたら、「そんなこと考えたことない……」という人もいるかもしれない。
ぼくはこう考えています。
友だちが必要かどうかは、人生の時期、年齢によっても違うし、人によっても違う。
大人になったら、友だちよりも、仕事とか、恋人とか、家族とかのほうがより大切に思える時期が来るし、「自分には友だちはいらない」と考える人も増える。
だけど、子ども時代、そして中学生から高校生にかけての時期には、友だちは必要。
どうしてか。
「友だちが必要」というよりも、「友だちをつくろうとする行為、行動」が必要だから。
きみたちも感じているだろうけど、友だちづきあいって楽しいことばかりじゃないです。
面倒くさいと思うこともある、イヤなことも起きる。
そういうなかで、自分以外のほかの人とどうやって関係を結び、どうやって共存していくか、工夫や努力をする──そういう行動スタイルを学習することが必要なんです。
友だちづきあいを通じて、社会を生き抜いていくために身につけておきたい人間関係の練習をしているのです。
友だちづきあいって、なぜうまくいかないのかな?
どうして中学生ぐらいになると、友だちの悩みが増えるのでしょう?
それは、きみたちが成長して、「もう子どもではなくなった」ことにあります。
からだの成長だけでなく、脳もどんどん成長して考える力がつき、人との関係性が変わってくるんですね。
まず、子ども時代のように簡単に友だちになれなくなる。
幼い子どもは、だれとでもすぐに友だちになれてしまいます。
一緒に遊べたら、もう友だち。
小学生も低学年のうちはまだそういう時期なので、ちょっと話すきっかけがあるだけで簡単に仲よくなれます。
友だちのハードルがすごく低い。
ぼくが小学校に入って最初に友だちになった子は、スズキくんといいました。
仲よくなった理由はとても単純。席が名簿順に並んでいて、サイトウ、スズキで席が前と後ろだったから。
毎日一緒に帰り、お互いの誕生会にも呼び合うようになりました。
小学生のころというのは、ちょっとしたきっかけで、どんどん友だちになれる。
ぼくもたくさん友だちがいました。
みんなも、小学生の低学年のころには「友だち」と言える子がけっこうたくさんいたんじゃないかなあ。
ところが、脳の成長によって10歳ぐらいから自我、自意識が発達してきて、「自己」と「他者」という認識が強くなってきます。
「自分ってなんだろう」と考え、性格とか容姿とかを気にするようになる。
「ほかの人の目」を強く意識するようにもなり、「自分がどう見られているのか」に過敏になります。
周囲の人の目が気になって仕方なくなる。
他人と自分をくらべるようにもなり、人をうらやむ気持ちやねたむ気持ち、自分のほうが優位だとアピールしたい気持ちといったものもわいてきます。
複雑な感情がまざり合い、友だちづきあいも単純ではなくなってくるのです。
友だちに求めるものも変わります。
話が合うかとか、共感できるかとか、内面的なものを求めるようになります。
興味のあることや好きなことについて、共感しあえる友だちがいると、すごく楽しい。いくらでも話していられるよね。
ぼくも中学生のころ、学校でたっぷり話しているのにまだ話したくて、学校帰りに延々と立ち話をしていた記憶があります。
悩みなんかも友だちに聞いてもらいたい。
小学生のころは、何か困ったことがあると親に話します。
しかし、中学生ともなると、自分のことを親に話すのはわずらわしいとか、親には話しにくい、と思うようになります。
とくに好きな異性のこと、性的なことなんかは、親には知られたくない。
自分のことを話して、気持ちを共有してほしいのは、同性の気の合う友だち。
そういう友だちがほしい。
だけど、気持ちの通じ合う友だちって、そんなに簡単にはできないわけです。
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