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第4回

友だちの「多さ」は意味がない

2020.08.19更新

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  不安になったら、落ち込んだら、「ひとりになる勇気」をもってみよう。友だち関係で悩む中高生に絶対読んでほしい本が誕生!齋藤孝先生が伝授する、一生使える無敵の人間関係術!
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「みんな友だち」「みんな仲よく」でなくていい

 

「みんなお友だちです」
「みんな仲よくしましょう」
 子どものころから、よく親や先生にこう教えられてきませんでしたか?
 幼い子どもたちに、
「差別をせず、だれとでも分けへだてせずに仲よくつきあいましょう」
 ということを教えるために、こういう言葉が使われてきました。
 他者性や自立性というものがまだ芽生えていない子どもたちは、こう言われたら素直に、「みんなと仲よくしよう」「友だちになろう」と努力できるのです。
 しかし中学生くらいになると、そう単純にはいきません。
「同級生を全員、『友だち』だと思って仲よくつきあいなさい」
 と言われても、正直、無理ですよね。
「みんな仲よく」がむずかしいことであることを、それぞれが実感しています。
 もう子どもではないのですから、大人の仲間入りを始めているのですから、いつまでも小さな子たちと同じように、「みんな仲よく」「みんな友だち」という言葉、概念にとらわれなくていい、ぼくはそう思っています。
「みんな友だち」じゃなくていいんです。
 一緒にいて楽しい人、気持ちの通じ合う人が「友だち」。
 ただし、友だちになれそうにない人とも、傷つけあわずにおだやかな関係を築いていくことを心がける。
 つまり、「気の合う友だちをつくる」力と、「気の合わない相手ともうまくつきあう」力、二段がまえで考える。
 中学生になったら、こんなふうに意識を切り替えたほうがいいんじゃないか、と思うのです。


 社会学者の菅野仁さんが書いた『友だち幻想──人と人の〈つながり〉を考える』(ちくまプリマー新書)という本があります。
 10年以上前に出版されたものですが、又吉直樹さんがテレビ番組で紹介したことで反響を呼び、再び脚光を浴びて、多くの人に読まれています。
 著者の菅野さんは残念ながら2016年に亡くなってしまいましたが、10代の友だち関係の周辺に漂うモヤモヤの正体をていねいにすくい取った良書です。
 この本のなかで菅野さんは、「誰でも友だちになれて、誰でも仲良くなれる」というのは幻想だ、と書いています。  
 この考え方にぼくも同感です。
 だれとでも友だちになんかなれない。
 それでいいんです。

友だちの「多さ」は意味がない


 最近の傾向として、「友だち」という言葉がちょっと美化されすぎ、重みをもちすぎではないか、という気がします。
「友だちはいいもの」「友情はすばらしいもの」という方向に針が振れすぎていて、みんなそのイメージに振りまわされているところがあるんじゃないかと思うんです。
 たとえば、「友だちは多いほうがいい」というような雰囲気が世の中にありますが、「この風潮は危険だなあ」とぼくは思っています。
 友だちの「数」をみんなが意識するようになったのは、ネットの影響です。
 SNSでの人とのつながりが「友だち」と名づけられ、つながっている人数が数字としてはっきり見えるようになった。
 その数が多いと、「すごい」と賞賛されるようになった。
 しかし、数の多さは、友だち関係の豊かさを示すものではありません。
 そもそも、「申請して、承認されたら友だち」って、実際にはありえないでしょう。
 イヤだと思ったら、ボタン操作ひとつで一方的に関係を絶ち切ることもできるのも、ドライすぎる。
 ときには、本当の名前も知らない、本当はどういう人なのかわからない相手が友だちになっていることもありますね。それで、未成年者が危険な目にあうようなこともいろいろ起きています。
「友だちの友だち」は、友だち?
 いやいや、そんなことはありません。
「友だちの友だち」は、他人です。
 言葉の響きのよさにごまかされてはいけません。
 本当にいろいろな人から好かれ、慕われ、友だちが多い人は、自分の友だちの人数を誇らしげに自慢するようなことはしません。
 大事なのは友だちの多さじゃないんです。
 どれだけいい関係が結べているかです。

「親友」という言葉も、やたらと重みをもちすぎてしまっています。
 これもなかなか危険な言葉です。
 親友とは何か、どこからが親友なのかと問われても、だれも答えられない。感覚的なものでしかない。
 それでも、「親友はいいもの、すばらしいもの」のように思っている人が多くて、
「親友がいない」と言うと、大事なことを語り合える友だちのいない人なんだ、人間的にちょっと問題があるんじゃないだろうか、というような感じになってしまいます。
「親友だと思っていたのに裏切られた」
 という話もよく聞きますが、親友だと思っているから、友だちのなかでも特別な位置づけだという思いがあるから、気持ちのすれ違いによけいに深く傷つき、許せないと思ってしまうわけですね。
 それだったら、最初から親友だなんて思わないでいたほうが幸せというものです。
 親友がいなければいけないと思い込むのも、よくないんです。

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著者

齋藤 孝

1960年静岡県生まれ。明治大学文学部教授。東京大学法学部卒。専門は教育学、身体論、コミュニケーション技法。『身体感覚を取り戻す』(NHK出版)で新潮学芸賞受賞。『声に出して読みたい日本語』(草思社)で毎日出版文化賞特別賞を受賞。『語彙力こそが教養である』(KADOKAWA)、『大人の語彙力ノート』(SBクリエイティブ)などベストセラーも多数。著書発行部数は1000万部を超える。NHK Eテレ「にほんごであそぼ」総合指導。

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