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本当の「心の強さ」ってなんだろう?

第7回

本当に強い人は「穏やかさ」を保っている

2021.09.10更新

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本当に強い人は「穏やかさ」を保っている

 何かの世界でトップを走っている方や、起業して成功されている方と話していると、「メンタルの強さ」とともに、「頭のよさ」を感じることがよくあります。
 この「頭のよさ」とは、勉強ができたとか学歴がすごい、といったことではありません。
 自分の状態を「整える」ために何をしたらいいかをよくわかっていて、それが実践できている頭のよさです。
 自分の感情をコントロールし、自分で自分を整えられるということは、いまの自分には何が欠けていて、何をすれば立て直せるかをつかめているということ。
 どんな状況におちいっても、そうやって自分を「整える」ことができれば、焦ったり嘆いたりする必要はありません。粛々とそれを実行すればいいだけ。
 荒波にもまれるなかでメンタルをきたえてきた人は、そういう思考と行動スタイルが身についているようです。だから、非常にすっきりとものごとを考えることができている感じがするのです。
 さらに、そういう方にぼくは「穏やかさ」を感じることが多いです。安定した明るさ、柔和さで、人と接するので、話していてとても気持ちがいい。
 考えてみれば、とても単純なこと。心の不穏な状態を解消できれば、安定した状態をどんどん増やせるわけで、結果的に穏やかでいられる時間がどんどん長くなっていきます。
 本当に心の強い人とは、そういうセルフコントロールに長けた人だと思うのです。
 ぼくは、本当に心が強いとはこういうことだと定義したいと思います。

 ①自分の精神状態を整えるために何をしたらいいかがわかる
 ②実際に調整していく力がある=立ち直る力をもっている
 ③感情的にならず、つねに穏やかで安定した心を保つことができる

「穏やかで心が安定しているのが強さだ」と言っても、10代のきみたちにはピンと来ないかもしれません。
 そんなことじゃなくて、自分の言いたいことをしっかりと主張できるとか、人に揺さぶられても平気な強さをもつといったことのほうが、ずっと大事なように感じるでしょうね。
 でも、結局のところ、心の強さってだれかと勝負するものじゃないんです。自分自身との闘いです。己に克つ、つまり「克己心」です。だから、どんなことがあっても自分で自分をちゃんと整えることができれば、それが最強なんです。
 そういうメンタリティがあれば、言いたいことはきちんと言えるようになるし、人にあれこれ言われたりされたりしても、毅然と立ち向かえるようになります。
「強く見られたい人」は、威圧的な態度に出たり虚勢を張ったりしがちですが、正真正銘強い人は、ほかの人から強いと思われるかどうかなんて関係ないんですよ。
 自分が穏やかでいられれば、まわりの人も穏やかに接してくれる。相手に穏やかであってほしいから、自分も穏やかにふるまう。

 ぼくは、「どんなときにも上機嫌でいよう」とよく言っていますが、どんなときにも機嫌よくいようとすることは、人とのコミュニケーションとして大事なだけでなく、自分自身を整えるためにも大切なことです。
 愉快でないこと、快くないことがあったとしても、上機嫌でいる。
 何があっても、何がなくても上機嫌、それが「にもかかわらず上機嫌」ということですが、心が安定して穏やかであれば、これはむずかしいことではありません。
「どんなときにも上機嫌でいよう」と決めてそれを実行すると、「穏やか」な心の状態を増やしていくことができます。
 それを実践しつつ、不快なできごとで心が乱れるときには、ネガティブな気持ちを引きずらないようにひとまずニュートラルに戻し、心の「負債」を翌日にもちこさないようにして一日を終える。
 こういうふうにしていると、安定した心をもてるようになっていきます。
 安定、穏やか、上機嫌……本当の強さの秘訣って、意外なところにあるんです。

心の「種火」を消さないで!

「ああ、もう心が折れそう……」
 精神的に深いダメージを受けることで、闘志がわかなくなってしまうことを「心が折れた」と表現します。
 この「心が折れる」という言葉を最初に使いはじめたのは、格闘技の選手でした。正確には、相手の心を折る、という表現でしたが。
 激しいトレーニングできたえ抜いている選手でも、気力がなえてしまったら闘うことができなくなる。意欲や活力の源になっているメンタルの根幹がやられてしまうと、勝負のリングに立つこともむずかしくなってしまいます。
「心が折れる」とは、自分の情熱をかきたてている心の火が消えてしまうようなことじゃないか、とぼくは思っています。

 きみは、たき火の火おこしをした経験、ありますか?
 いまは便利な着火剤がいくらでもあるから、簡単に火をおこすことができるけれど、大昔のような方法で一から火をおこそうとすると、それはそれはたいへんです。
 苦労して小さな火種をおこすことができたら、そこから薪や炭を使って大きな火に育てていくわけですが、とにかく「種火」が消えてしまわないようにすることは、ものすごく大切なんです。

 ぼくらの心も「種火」が重要だと思うんですね。
「知情意」の「意」、意欲や行動力というのは、心の熱量がある程度高くないとわいてきません。
「そんなの興味ない、べつにやりたくない」とか、「自分にはどうせ無理に決まってる」といった冷めた心の状態では、行動力がわいてこないんです。
「ダメでもともとと思って、挑戦しようかな」
 そんな気持ちが一瞬わいたとしても、火の気のないところでその気持ちをかきたてようとするのは至難の業です。
 いつも心に「情熱の種火」をつけておく。
 自分のなかに何かがポッとわいたとき、その小さな火を大きな情熱の火へと育てていけるように、つねに心の種火を燃やしつづけておくのです。

 では、心の種火はどうすればつけておけるのか。
 自分が「熱くなれるものをもつ」ことです。
 イチローさんが引退会見のときに、子どもたちへのメッセージとしてこんなことを語っていました。
「野球だけでなくてもいいんですよね、始めるものは。自分が熱中できるもの、夢中になれるものを見つければそれに向かってエネルギーを注げるので、そういうものを早く見つけてほしいと思います。
 それが見つかれば、自分の前に立ちはだかる壁にも向かっていくことができると思うんです。それが見つけられないと、壁が出てくるとあきらめてしまうということがあると思うので。
 いろんなことにトライして、自分に向くか向かないかよりも、自分の好きなものを見つけてほしいなと思います」
 イチローさんは、野球という「熱くなれるもの」を早くに見つけることができた人です。小学生のころから、野球への情熱にあふれ、「一流のプロ野球選手になる」ことを夢見ていました。
 心の種火、情熱の種火が強力だったから、自分の意欲や行動力をどんどんかきたて、心燃やしていくことができたのです。

 きみたちは、まだそういうものに出合っていないかもしれません。
「いまは好きだけど、これが生涯を貫くものになるかどうかなんて、全然わからない」という感じが多いでしょうね。
 それでもいいんです。いま自分が熱くなれるものにしっかり情熱を注ぐことが、心の種火になります。
 どんなことをしていると、自分は熱い気持ちになるのか。そのときの気分の高まりをしっかり覚えておきましょう。
 心に種火をもつ人は、まったく違うことに対しても、心の熱量を上げて意欲的に取り込むことができます。
 意欲、行動力、再起する力がわきやすいようにするには、冷めた心ではダメなのです。

第1章のまとめ

1 感情の波に振りまわされるな!
2 心の平穏は「知情意(考える、感じる、現実を動かす)」のバランスで整える
3 心のクセは「思考」と「行動」を変えて直す

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著者

齋藤 孝

1960年静岡県生まれ。明治大学文学部教授。東京大学法学部卒。専門は教育学、身体論、コミュニケーション技法。『身体感覚を取り戻す』(NHK出版)で新潮学芸賞受賞。『声に出して読みたい日本語』(草思社)で毎日出版文化賞特別賞を受賞。『語彙力こそが教養である』(KADOKAWA)、『大人の語彙力ノート』(SBクリエイティブ)などベストセラーも多数。著書発行部数は1000万部を超える。NHK Eテレ「にほんごであそぼ」総合指導。

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