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第1回

山が結んだ父子の絆

2022.03.03更新

読了時間

進学、就職、生き方……。人生は岐路の連続。アルピニストの野口健さんと娘・絵子さんの対話を通じて、「自分の道」を見つけるとはどういうことなのか、を考えていく本が3月3日に刊行。本文から一部を特別公開します!
「目次」はこちら

まえがき

 人生には数えきれないほどたくさんの選択の機会があります。
 自分の選択と決断が、将来にどう影響するかを考えていろいろ悩みはじめるのが思春期の年ごろです。
 この本は、中学生や高校生が直面するさまざまな「選択」「決断」について、親子で対話しながら一緒に考え、向き合っていこう、と提案する本です。

 この本のために対話をしてくれたのは、アルピニストの野口健さんと、ひとり娘の絵子さん父子。絵子さんはただいま17歳(書籍制作時)。ニュージーランドの高校に留学中です。
 ふたりは、絵子さんが小学4年生のときに「父子登山」を始めました。日本国内の山だけでなく、世界の山々にも挑戦。絵子さんは15歳のときに、キリマンジャロ登頂を果たしました。
 これからさらに高い山を目指そうと夢はふくらんでいたのですが、新型コロナウイルス感染症の世界的流行により、自由に海外渡航することがむずかしくなります。
 また、留学を継続する決断をした絵子さんは、しばらく日本帰国を断念せざるを得なくなりました。
「父子登山」もしばらくは休止状態──。
 しかし、「この状況下でも何かできることがあるよね」ということで実現したのが、オンラインによる「父子対話」でした。

 一緒に山に登るようになってから、野口家にもさまざまな選択があり、決断があり、父と子の関係にもいろいろ変化がありました。
 なかでも変化が著しかったのが、絵子さん。子どものときは、引っ込み思案で思っていることを言えず、人の陰に隠れていることの多かった絵子さん、お父さんにも反論ができず、いつも言われたことにうなずいていることしかできませんでした。
 それがいつしか、自分の意思をはっきり口にし、独自の夢や目標を持って、自分の道を積極的に歩みだすようになったのです。
 何が10代の彼女を大きく変えたのか。
 そして、将来につながるさまざまな「選択」や「決断」に対して、父と子はどう向き合い、どう歩んできたのか。
 当時のそれぞれの想いを吐露し、来し方行く末を語り合う濃密な時間が持たれました。

 子どもが10代の思春期を迎えると、家庭内での会話が減り、親子のコミュニケーションが不足しがちだとよくいわれます。とくに、男子も女子も母親とは話すけれど、父親とはあまり言葉を交わさなくなってしまう傾向が多いようです。
 しかし、子どもが直面する「選択」「決断」に対し、家族一緒に向き合うためには、やはり父と子の良好なコミュニケーションが不可欠です。
 現代は、家族のかたちも多様化しています。離婚によるひとり親家庭、単身赴任による別居家族は少なくありませんが、生活の場が別々になっている家族でも、「対話」をする気になればいくらでもできる時代。離れていても、心の距離は縮められます。
「あのとき、もっとああすればよかった……」
 子どもがそんな後悔をすることなく、「自分で納得して、選んだ道を笑顔で進んでいけるようにする」ために、父と子でしっかり向き合い、対話をしてみませんか?
 まずは、この本を親子それぞれが読んで、思うところを話し合うところから始めてもらえたらと願っています。

編集部

(以下、「第2章 山が結んだ父子の絆」より)

ふたりで山歩きをしていると……

 今日は山の話をしようか。

絵子 はい。

 絵子さんとふたりで日本の山を歩いていると、すれ違うときや山小屋でよく声をかけられる。ただ、絵子さんが中学生になったくらいから、「あれっ? 何か誤解されている?」と感じるようなことが増えた。僕を見て、次にチラッと絵子を見て、「見てはいけないものを見てしまった」という顔になる人がいる。声をかけようかどうしようか探っているような雰囲気が伝わってくるんだよね。
「ああ、これはまた誤解されているな」と思って、「娘なんですよ」と言うと、「あっ、お嬢さんでしたか……」と一気に相手の様子がやわらぐ(笑)。

絵子 そういうこと、しょっちゅうあるよね。

 子どものときから絵子は僕を「パパ」と呼んでいたけれど、そういう状況での「パパ!」というのは、微妙な空気になる。世の中にはいろんな「パパ」がいるからね(笑)。それで「お父さん」と言うようにしたんだよね。「お父さん」だと怪しげに思われないみたいで、「野口さん、お嬢さんが一緒ですか、うらやましいですね」とか言われたりして。

絵子 そうそう(笑)。

 僕は、山関係の人からもよくうらやましがられるよ。「自分も子どもと一緒に山に行きたいけれども、なかなか来てくれない。野口さんはいいですね」って。

絵子 私が子ども側の立場からそれについて何か言うとしたら、「子どものみなさん、『親を喜ばせるためにつきあってあげよう』という気持ちで山に行ってみるのもいいですよ」ということかな。

 えっ! 絵子はそういう気持ちで僕につきあってくれていたの?

絵子 そうですよ、最初のころはね。ついていくとお父さんは満足そうだったから。
だけど、行っているうちに、だんだん山の楽しさ、おもしろさを知るようになった。行ったこともないのにイヤだと言うのは、食わず嫌いだよね。食べてみないと、それがどんな味なのかはわからない。「自分はこれが苦手」とか「やっぱり嫌い」というのは、食べてみた後で言えばいいのよね。

 食わず嫌いの話はよくわかるけれど、最初は無理してつきあってくれていたというのが、どこか釈然としないなあ。

絵子 きっかけは、そういうことでもいいんじゃないかってことですよ。

インドア派で運動が苦手な子どもだった

絵子 小さいころから私はすごく内気で、外で活動的に遊ぶことが好きじゃなかった。
運動神経がいいほうではなかったので、体育も嫌いだった。

 家で本を読んでいるのが好きな子だったね。珍しく自分からやってみたいと言ったのがバレエだった。

絵子 うん、5歳のときにバレエを習いはじめた。でも、なかなか上達しなかったのよね。まわりの子たちはグングンうまくなっていくのに、私だけ全然ダメで、だんだんイヤになって、結局5年でやめてしまった。

 トゥシューズの壁が大きかったんじゃない? 子どもは骨がまだ成長中だから、バレエの基礎がしっかりできて、筋力もついてきたと先生からみなされないと、憧れのトゥシューズを履けない。絵子は、トゥシューズを履いていいと言ってもらえる段階にまでなかなかいけなかった。

絵子 ほかの人はどんどんトゥシューズを履きはじめているのに、自分はいつまでも履けない。今は、努力が足りなかったんだということがわかる。だけど、あのころの私はそれがコンプレックスになって、「行きたくない、行きたくない」って思うようになっていた。
小学5年生のとき、「塾に行くので勉強が忙しくなるからやめます」という理由でやめたけれど、本当は努力することから逃げ出しちゃったんだよね。

 僕は小学生のうちから塾に行かせるのは反対という考え方だったから、「塾なんか行かなくていいよ、公園に行って遊んできなさい」と言った。そうしたら、「公園に行っても一緒に遊べるような相手、いないんだもん」って返ってきた。

絵子 同年代の子はみんな塾に行っていたから。私も、塾に行くことがひとつの居場所になったんだよ。

 そうか。塾が小学生の居場所というのは、僕にはちょっと引っかかるけどね。
さっきの話に戻るけれど、絵子は子どものころ、山に行くのが楽しくなかったの?

絵子 山を楽しんでいた……とは言えなかった。お父さんもわかっていたと思うけれど、最初のころは自分から登りたいっていう気持ちじゃなかった。お父さんに「登ろう」と言われたら登らなきゃいけないものだと受けとめていたから、必死に「登らなきゃ、登らなきゃ……」って思いながら登っていた。

 だけど、「イヤだ」とか「行きたくない」って言われた記憶はないぞ。

絵子 いやいや、言わなかったんじゃなくて「言えなかった」の! 私はお父さんに自分の気持ちをストレートに出すことができなかったから。その分、お母さんにはいろいろグチをこぼしていたけどね。

お父さんはちょっと距離のある存在

絵子 お父さんは、山への遠征とかいろいろな活動とかであちこちを飛びまわっていたから、小さいころから家で一緒に過ごした時間が少なかったでしょ。そういうこともあって、私はいつもお母さんと一緒、お母さんにべったりの「ママっ子」だった。お母さんにはなんでも話せて、私のことを一番よくわかってくれていて心やすらぐ存在。

 僕はどうなの?

絵子 お父さんは、明るくて話もおもしろいし、強いし、すごいところがいっぱいあって、ずっと尊敬している。ただ、子どものころの私にとっては怖くて緊張する存在だった。
お父さんがいると、すべてがお父さんのペースでまわりだす。だから、お父さんが帰ってくると、お母さんと私の平和な生活がかき乱されるというか……大変になる。

 そうだったかなあ? 

絵子 そうだよ、子どもっぽく、すごく甘えたというような記憶はないもの。「どこに行きたい? 行きたいところに連れて行ってやるよ」という感じじゃなかったし。

 いや、いつも君たちの意向を聞いていたじゃない。

絵子 かたちだけはね。だけど、そこで私が「ディズニーランドに行きたい」と言っても、いろいろ理屈を言われて却下される。そして、「よし、家族3人で山に行こう」とか言って、お父さんが行きたいと思っていた山に行くことになる。
といっても、家族で一緒に仲良く山歩きをするわけでもなくて、お父さんはひとりでさっさと登っていっちゃって、お母さんと私はふたりで「お父さん、見えなくなっちゃったね」と言いながら歩いていた。

 いや、あれは、先に行ってふたりを見守っていたんですよ。

絵子 そういう感じではなかったと思うけどなあ。
「外にご飯を食べに行こう、何食べたい?」と聞かれて、私とお母さんが何か希望を言ったとしても、結局はお父さんが食べたいものになる。もう決めているのよね。たまに、予約を入れてあることさえある。それなのに、「何食べたい?」って言う。ちょっと勝手すぎませんかって思っていた。

 そうなの? ありゃりゃって感じだよ。だけどさ、それでよく、僕とふたりだけで山に行く気になったね。

絵子 お父さんから「絵子、ふたりで山に行こう」と言われたときも、私はお母さんに言ったの、「お父さんとふたりだけなんて無理だ」って。
そうしたらお母さんが、「山に登れば、きれいな景色がいろいろ見られると思うよ。それに、お父さんは絵子とすごく山に登りたいのよ。行かないと、きっとお父さん、悲しむだろうな。お父さんとの登山は、絵子にとって、とってもいい経験になると思うな」って言ったんだよね。
私はお父さんに対して「緊張する」とは思っていたけれど、お父さんのことが好きだから、お父さんを悲しませることはしたくなかった。それで、「だったら、山につきあうか」と思うようになったの。

 ほう! 知らなかったよ。ということは、お母さんのおかげだったのかな。

絵子 うん。だけど、行くと楽しいことが必ずあるんだよね。お父さんから、いいことをいろいろ教えてもらえる。だから、必ず「行ってよかった」と思う。後になると、全部がいい思い出になっているんだよね。それで、次にお父さんに「行くぞ」と言われるときには、前よりも反抗心が少し薄れている。
そういうことを積み重ねているうちに、山歩きもどんどん好きになっていったし、お父さんとふたりで過ごす時間も好きになった。

 ふ~ん、そうだったのか、聞いてみるものだな。

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著者

野口絵子/野口健

【野口絵子】 2004年生まれ。父、野口健とともに幼いころより登山を始める。14歳でネパール・カラパタール峰(5,545m)に登頂。その後、東南アジア最高峰キナバル(4,095m)や、アフリカ大陸最高峰キリマンジャロ(5,895m)などに登頂。『日立 世界ふしぎ発見!』のミステリーハンターを務める。2022年現在、ニュージーランドに留学中。 【野口健】 アルピニスト。1973年、アメリカ・ボストン生まれ。亜細亜大学卒業。99年、エベレスト(ネパール側)の登頂に成功し、7大陸最高峰最年少登頂記録を25歳で樹立。以降、エベレストや富士山に散乱するゴミ問題に着目して清掃登山を開始。野口健環境学校など子どもたちへの環境教育や、ネパール大震災、熊本大震災の支援をきっかけに災害支援活動などにも取り組む。

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