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第5回

ふたりの心をつないでくれたのは山だった

2022.03.31更新

読了時間

進学、就職、生き方……。人生は岐路の連続。アルピニストの野口健さんと娘・絵子さんの対話を通じて、「自分の道」を見つけるとはどういうことなのか、を考えていく本が3月3日に刊行。本文から一部を特別公開します!
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ブリザードで視界が悪い中で、キリマンジャロに登頂

ふたりの心をつないでくれたのは山だった

 キリマンジャロから下山してきたとき、僕はグッタリと疲れていた。テントに着いて、ザックを下ろして、「ああ、終わった……」と思った。
僕以上に絵子のほうが疲れているはず。さぞかし疲労困憊状態だろうと思った。「終わったね」と言ったら、「ううん、次が見えてきた」って言ったでしょ。そして今みたいに「今回は景色がなかったから、もう一回キリマンジャロに登って朝日を見ないとね」と言った。
それだけじゃなくて、「でも、5895メートルのキリマンジャロの次は、やっぱり6000メートルの世界だよね」と言った。もう驚かされっぱなしだったよ。

絵子 キリマンジャロはたしかに大きな目標だった。だけど、ゴールじゃないと思えてきたの。キリマンジャロは、これからまだまだ続く自分の登山のひとつの通過点だなって。
キリマンジャロに登るまでは、その先というのはまったくイメージできなかったんだけど、登頂を果たせたことで、見えてきた。まさに、あの下山途中の霧が晴れて見渡せるようになったときの感じ。

 それって、一人前の「山屋」の発想だよ。目標にしていた山に登頂できた瞬間に、新たな挑戦目標が見えてくる。ひとつの山を登ることで、次の目標、次の景色が見えてくるのは山屋の発想だ。

絵子 山に登りはじめたころは、私がお父さんにつきあっているんだという気持ちだった。だけど、キリマンジャロに登っているときは、ずっとお父さんが私につきあってくれているんだ、という気がしていた。
最後の吹雪のときはとくに、頼りにできるお父さんがいるから登れた。お父さんと一緒じゃなかったら、きっと登れなかった。なんだかお父さんが戦友みたいに思えたんだよね。

 戦友? 平成生まれが「戦友」とはまた意外な言葉を使うね。

絵子 同じ目標に向かって一緒に闘っている仲間という意味で言ったんだけど。

 なるほどね。絵子がキリマンジャロに行きたいと言ったところから、僕の新たな挑戦も始まった。自分のペースで登るのとわけが違う。自分自身、通常の1.5倍ぐらい体力をつけなきゃと思って、僕自身のトレーニングのスイッチも入った。
そういう意味で、絵子も成長し学んでいくけれど、同時にこっちも一緒に成長して、一緒に学んでいくところがある。同じ目標にいのちをかけて一緒に挑むということでは、たしかに山のパートナーは絵子の言う戦友みたいなものかもしれないな。

絵子 子どものころ、お父さんは私にとって、尊敬できるけれど怖い、近づこうにも近づけない存在だった。少し遠い関係。よその家庭に比べて、うちの父子関係は少し距離がある関係だったと思う。
だけど、山があったからお父さんと近づけた。山がなかったら、お父さんとこんなふうに近い関係になれなかったと思う。今が一番近い関係だね。
私に「山に行かないか」って言ってくれて、本当にありがとう。

次は6000メートル、コロナが収束したら必ず行こう!

 子どもが何に興味を持つか、やっぱり最初のきっかけは親の影響によるんじゃないかと僕は思っている。親が連れて行くところから、関心ができる。 
ニュージーランドやオーストラリアはバックパッカーが多いでしょ。あのバックパッカー文化はどこから始まっているのかと考えると、やっぱり小さいときから家族でキャンプに行き、テントに寝泊まりしていた経験がベースにあると思う。
親が野球好きで小さいころから球場に連れて行ってもらって野球を見ていたら、やっぱり野球への関心が高くなり、カッコいい選手に憧れるようになる。
映画でも本でも、なんだってそうだよね。親が本を読まなかったら、本屋さんに行く習慣がない。そうしたら、子どもだって本が好きになるチャンスがない。
僕は小さいころから親父にいろいろなところに連れて行ってもらった。僕が今のような活動をするようになったのは、その影響が大きいよ。

絵子 私もお父さんに連れて行かれなければ、今みたいに山が好きになってはいなかった。

 親というのは、子どもが何かに興味を持つようになるきっかけをつくってあげる存在だと思う。いろいろな体験を通して「こんな世界があるんだよ」と気づかせてあげる。
放っておいても子どもに好奇心が芽生えるようなことって、あまりないんじゃないかな。ただ、いろいろ知ったあと、本人がそれに真剣に興味を持つようになるかどうかはその子次第だけどね。
無理やり強要するのも違うと思うから、僕は絵子さんの意思をいつも確認してきたつもりだった。だけど、意思の疎通ってなかなかむずかしいものなんだということが、今日話していてわかったよ。

絵子 私はお父さんに自分の気持ちをはっきり言うことができなかったけれど、今はだいぶ言えるようになったと思う。

 新型コロナウイルスがいつごろ収束するのか、まだはっきりした様子が見えない。
2021年の春、ネパール政府は観光ビザを出しますと言ってヒマラヤ登山を解禁したけれど、すぐにコロナ感染があった。エベレストに500人が挑戦して、100人がコロナウイルスに感染したと言われている。登山隊が来れば、シェルパには仕事ができるけれど、それは同時にシェルパたちをコロナの不安にさらすことになる。そういう状況の中で、はたして100パーセント集中して山に登れるのか。
100パーセント集中できないような状況の中で、ヒマラヤに行くべきじゃないと僕は思っている。今はまだ、足を止めるべきときだと思う。

絵子 うん。

 だけど、ネパールでもワクチンが普及したら、必ず行こうな。

絵子 うん、行こう。今では私も、それが17歳でも18歳でも19歳でもいいと思えるようになった。ヒマラヤは逃げないものね。

 そうだよ、ヒマラヤは逃げない、僕らがあきらめない限りね。

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著者

野口絵子/野口健

【野口絵子】 2004年生まれ。父、野口健とともに幼いころより登山を始める。14歳でネパール・カラパタール峰(5,545m)に登頂。その後、東南アジア最高峰キナバル(4,095m)や、アフリカ大陸最高峰キリマンジャロ(5,895m)などに登頂。『日立 世界ふしぎ発見!』のミステリーハンターを務める。2022年現在、ニュージーランドに留学中。 【野口健】 アルピニスト。1973年、アメリカ・ボストン生まれ。亜細亜大学卒業。99年、エベレスト(ネパール側)の登頂に成功し、7大陸最高峰最年少登頂記録を25歳で樹立。以降、エベレストや富士山に散乱するゴミ問題に着目して清掃登山を開始。野口健環境学校など子どもたちへの環境教育や、ネパール大震災、熊本大震災の支援をきっかけに災害支援活動などにも取り組む。

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