第11回
引窓
2017.12.12更新
歌舞伎を見る前に知っておきたい基礎知識として演目の種類や独特な演出の仕方から、上演頻度の高い人気演目のあらすじと鑑賞ポイントを、マンガでじっくりと解説します。
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- 作者
- 竹田出雲(たけだいずも)、三好松洛(みよししょうらく)、並木千柳(なみきせんりゅう)による合作。
- 初演
- 人形浄瑠璃では一七四九(寛延二)年七月、大坂・竹本座。歌舞伎では同年八月、京都・布袋屋梅之丞。
- 概要
- 世話物の義太夫狂言。全九段だが、現在では二段目の『角力場(すもうば)と八段目の『引窓(ひきまど)』が単独でよく上演される。
明治期の復活上演が大ヒット
『双蝶々曲輪日記(ふたつちょうちょうくるわにっき)』の作者は、『仮名手本忠臣蔵』などの三大名作を書いた竹田出雲、三好松洛、並木千柳の合作ヒットメーカートリオ。人形浄瑠璃で初演されたときはあまり話題にならなかったが、翌年歌舞伎で上演されると大好評。けれどもその後、歌舞伎でも長く上演されず、復活したのは明治になってから。初代中村鴈治郎(なかむらがんじろう)が南与兵衛(なんよへい)を演じ『引窓(ひきまど)』を単独で復活上演したのが評判となり、以後、頻繁に上演されている。
二人の主人公を表すタイトル
『双蝶々曲輪日記』を全九段通すと、力士の濡髪長五郎(ぬれがみちょうごろう)と素人力士の放駒長吉(はなれごまちょうきち)の二人が主人公。ケンカを経てわかり合うストーリー展開を、二人の名前の「長」を重ねて「長々」、これを飛び交う二匹の「蝶々」に見立て、タイトルに表している。
実在した力士がモデル
享保の頃に「荒石」というしこ名で活躍した荒石長五郎がモデルと言われている。濡れた紙には刃物が通らないという俗説があったので、長五郎がケンカをするときは水に浸した紙を額にあてていたというエピソードから、濡髪長五郎という名前が生まれたとも言われている。
放生会(ほうじょうえ)とは(※1)
捕獲した生き物を野に放して殺生を戒める仏教の儀式。
人気力士がなぜ殺人を?
大坂相撲の人気力士・濡髪長五郎は、恩人の息子与五郎(よごろう)のために遊女吾妻(あずま)の身請け話を手助けしたいと考えた。だが、吾妻を身請けしたい平岡郷左衛門(ひらおかごうざえもん)がじゃまをする。そこで、平岡が贔屓(ひいき)にしている素人力士放駒長吉(はなれごまちょうきち)との取組にわざと負けた。それを知った長吉と争いになるが、長吉の姉おせきの機転のおかげで長五郎と長吉は義兄弟の契りを交わす。しかし、平岡にだまし討ちされた長五郎は、平岡を殺してしまった。そして、殺人の罪で追われる身になる。
お早は、以前は遊女だった
もとは吾妻と同じ大阪新町の遊女だったが、与兵衛と駆け落ちしてその女房となる。時々廓(くるわ)の言葉がでるらしく、お早が「おお、笑止(しょうし)」と言いと、お幸が「ああこれ、その笑止はやっぱり廓の言葉」とたしなめるシーンも。屈託のないやりとりからも、二人の良い関係が伝わってくる。
登場人物の誰もが身内を思う(※2)
母の頼みで人相書を渡すとき、与兵衛が「人を殺めて立ち退く曲者、大胆にもこのあたりを徘徊はいたしますまい。河内へ超ゆる抜け道は、堀川を左へとり、川を渡って山越えに…」と、濡髪に聞こえるように逃げ道を教えてから捜査に出かける。こうした登場人物たちの身内を思う場面は随所に見られ、物語が進むにつれ温かく積み重ねられていく。
小道具の引窓がドラマを創る
最後の場面での与兵衛のセリフは「夜が明けたから、今日はもう放生会。放生会は捕獲した生き物を野に放して殺生を戒める日だから、お前も逃がす」という意味。このセリフを言う場面でも、引窓の開け閉めが効果的に使われている。
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