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これ、なんで劇場公開しなかったんですか? スクリプトドクターが教える未公開映画の愉しみ方
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第5回

真面目なB級映画は、不真面目なA級映画よりも遙かに面白い!

2016.09.13更新

読了時間

脚本家、映画監督、スクリプトドクター(脚本のお医者さん)、心理カウンセラー等、多方面で活躍する著者初の映画コラム! 日本における数ある〈劇場未公開映画〉のなかから「これ、なんで劇場公開しなかったんですか?」と思ってしまうほど見応えのある良作を取り上げ紹介。お店ですぐにレンタルできる作品を、洋画中心にセレクトしていきます。


 たまにはアクション映画でも観てスカッとしたいなぁ。

 でも、CGで巨大なビルが崩れたり爆発したりするのは見飽きたから、生身の俳優がアクションするやつがいいんだけど……。

 もっと言うと、上映時間があんまり長くない方がいいなぁ。100分を切るくらいならなお良し。


 そんなあなたにピッタリな作品があります。

 今回ご紹介するアメリカ映画の劇場未公開作品『NINJA』です。

 CGのビル爆破はありませんし、肉弾アクションも満載です。

 しかも上映時間は86分! 100分どころか90分を切っているので、あっという間に観終わります。


 うーん……でも、アメリカ映画でニンジャものだなんて、どうせ国辱映画でしょ?

 と不安に思われるかもしれませんが、そんなことはありません。

 たしかにおかしなところがまったくないわけではありませんが、二昔前のニンジャ映画に比べれば充分許容範囲です。むしろ日本や日本人へのリスペクトは極めて高く、作品としての完成度も申し分ありません。

 それでは、あらすじをご紹介します。


 舞台は現代日本。滋賀県の山中。甲賀流の血を引く宗家・タケダ(伊川東吾)の忍者道場では、今日も多くの忍者予備軍が過酷な訓練を繰り返しています(ホラ見ろ! やっぱり国辱じゃないか! という声が聞こえてきそうですが、とりあえずここは受け入れてください。笑)。

 多くの生徒のうち、タケダの愛弟子はアメリカ人のケイシー(スコット・アドキンス)と、兄弟子にあたる日本人のマサヅカ(伊原剛志)のふたりです。

 日々、切磋琢磨する彼らでしたが、マサヅカは内心複雑な思いを抱いていました。

 彼は生まれて間もなくタケダの弟子となり、長年道場で暮らし、甲賀の伝統を重んじ、宗家になるためだけに生きてきたという自負があります。孤児としてタケダに拾われ、途中から弟子となったケイシーに対し、単なる嫉妬心を越えた激しい憎悪を抱いていたのです。

 一方、いずれは宗家を継ぐことになるタケダの娘・ナミコ(肘井美佳)とケイシーは、プラトニックながら互いに好意を寄せる間柄。タケダはそんなふたりを好ましく見守ります。


 そんなある日、タケダはケイシーとマサヅカに木刀による組稽古をさせます。

 ところが、ケイシーと向きあううち、怒りの感情をコントロールできなくなったマサヅカは、あろうことか真剣を抜き、危うくケイシーを殺しかけてしまうのです。

 この一件でタケダから破門を言い渡されてしまったマサヅカは道場を去るしかありませんでした。掟破りの行動をとったとはいえ、ケイシーとナミコにとってマサヅカは幼いころから共に稽古に励んできた仲間です。彼の今後の身の上を考えると、ふたりは複雑な思いを抱かざるをえません。

 時は過ぎ、タケダの道場。

 海外からの来賓を前に、甲賀に伝わる伝統品「鎧櫃(よろいびつ)」を披露しようとしているタケダ。鎧櫃は数千年ものあいだ甲賀の宗家で継承されてきたいわば宝物です。中に収められているのは秘伝の忍具一式。手にした者は超人的な力を得て、まるで鬼神のように無敵の存在になる、と言います。

 タケダはナミコに継承するため、鎧櫃を開陳しようとするのですが、そこになんとマサヅカが姿を現すのです。

 すっかり様変わりした彼の様子にケイシーもナミコも、そしてもちろんタケダも愕然とします。マサヅカは破門されたのち、忍術を武器にフリーの暗殺者として暗躍していたのでした。鎧櫃を継承するのは自分しかいない、と宣言するマサヅカ。

 その場はなんとか事なきを得るも、すでに狂気の淵に立っているマサヅカは、遅かれ早かれ鎧櫃を奪いに来るに違いありません。

 タケダはニューヨークに住む級友で大学教授のギャリソンに鎧櫃を預けることにします。

 鎧櫃とともにニューヨークへと飛ぶケイシーとナミコ。ギャリソン教授と合流した彼らは大学の厳重な保管庫に鎧櫃を隠します。

 ところがその頃、日本ではタケダの読みが当たり、マサヅカが道場を急襲。弟子を次々と殺害したのち、鎧櫃の在処を決して口にしようとしないタケダの首をも切り落とすのです。

 鎧櫃を手に入れるべく、ニューヨークへ向かうマサヅカ。同時にマサヅカの指示で動き始めた暗殺部隊がギャリソン教授を殺害。

 ケイシーとナミコは教授殺害の容疑者にされてしまい、警察からも追われるハメに。孤立無援のなか、次々と襲い来るマサヅカとその刺客らに立ち向かうべくケイシーとナミコは立ち上がります。


 『NINJA』は全編を通じて生身の肉体を駆使した怒濤のようなアクションが展開する快作です。キャスト自身、そしてスタントマンたちの力量が遺憾なく発揮され、実に見応えがあります。

 しかし、それだけではありません。この映画でまず驚かされるのは前半30分がほぼ日本語で展開することです。前半は日本が舞台なんだから当然でしょ? と思われる方もいるかもしれませんが、この作品がアメリカ製のエクスプロイテーション映画であることを考慮すれば、極めて異例なアプローチと言えます。

 エクスプロイテーション映画というのは、芸術性よりも金銭的利益に主眼を置いた、いわゆるB級映画と呼ばれる類いの作品を指します(厳密に言えば、本来の「B級映画」とは意味合いが異なるのですが、現在、世間で広く認知されている「B級映画」に近いニュアンスとして解釈してください)。

 エクスプロイテーション映画は安価な制作費の下、急ごしらえで作られることが多く、言葉は悪いですが、想定される観客の知的レベルも決して高くはありません。実際、1970年代〜80年代のアメリカでは、低学歴層や移民などに向けたエクスプロイテーション映画が大量に作られ、都市部の繁華街の映画館やドライブインシアターでひっきりなしに上映されていました(クエンティン・タランティーノがこよなく愛する「グラインドハウス映画」と呼ばれる作品群もこの領域に入ります)。

 いずれにせよ、そういった(言葉は悪いですが)知的レベルの低い客層をメインターゲットに据えている以上、後半部への伏線や情報が大量に登場する前半30分を「英語字幕」で展開させるのはリスクが高く、通常は避けたがるものです。

 仮に日本語で撮影したとしても台詞を英語に吹き替えるか、劇中では日本語で会話していることになってはいても俳優たちは英語で会話をする、というのが常套です。

 でも、そうはしていない。この点にまず本作の独自性があります。


 さらにもうひとつ驚いたのは、日本人の役は実際に日本人が演じているという点です。おかしな日本語が出てくることも、おかしな日本人が出てくることもありません。

 これも「そんなの当たり前じゃん」と思われるかもしれませんが、エクスプロイテーション映画としては、やはり異例です。通常、日本人役には「カタコトの日本語を話すアジア人俳優」がキャスティングされるケースがほとんどで、着物の着付けが左右逆だったり、やたらとペコペコお辞儀をしたりするのは残念ながらごくごく当たり前のことなのです(あれはあれで「独特の味わい」があったりもするのですが。笑)。


 この辺りの生真面目さは、監督のアイザック・フロレンティーンが極度の親日家だからかもしれません。フロレンティーンはイスラエル出身の映画監督ですが、元々は空手家でテルアビブに自身の道場も持っています。当然日本文化への造詣も深く、何より日本人の登場人物に対して深い敬意をもって演出していることが本作を見ているとよく分かります。

 それ故、多少おかしなところはあるものの、ほとんど気になりません。


 そんな監督の姿勢に応えるように、俳優陣はとても健闘しています。

 タケダを演じた伊川東吾さんは、日本人として初めてロイヤル・シェークスピア・カンパニーの正式劇団員になった俳優で、主にイギリスを拠点に活動。ハリウッド作品にも多く出演しています。

 マサヅカを演じているのは日本でも有名な伊原剛志さんですが、元々は千葉真一さん率いるアクション集団JAC出身ということもあり、本作では華麗なアクションを披露しています。

 ナミコを演じているのは肘井美佳さん。スターダストプロモーション所属の女優さんですが、日本ではNHKの英会話番組でおなじみですね。英語が堪能なのに加えて、日本武術太極拳選手権大会で女性としては全国一位になった経歴もあり、伊原さん同様、激しいアクションにも挑戦しています。

 そして、主人公ケイシーを演じているのはスコット・アドキンス。元々はスタントマン出身のイギリス俳優です。フロレンティーン監督とのコンビ作は数多く、本作の前に撮られた『デッドロックⅡ』(こちらも日本では劇場未公開)の主演で頭角を現しました。

 イスラエルの格闘技クラブ・マガや中国拳法にも精通している彼は、本作でも華麗で激しいアクションを披露しています。

 なかでも中盤で展開する「地下鉄車両内での大乱闘シーン」は見応え充分。肘井美佳さんと共に、狭い空間を活かした難しい殺陣で観る者を圧倒します。

 この辺りは本作の殺陣師でもある野口彰宏さんの腕が光っています。野口さんはアクション監督や殺陣師として世界中の映画で活躍されている日本人。フロレンティーン監督とは『パワー・レンジャー』シリーズで共に仕事をしているようなので、その流れもあっての起用かもしれませんね。


 さて、この作品。俳優やスタントマンのアクションが素晴らしいのはもちろんですが、内容的にも興味深い点が多々あります。

 なかでもぼくが着目したのは敵対者であるマサヅカの行動原理です。彼の外的なモチベーションは「鎧櫃が欲しい、宗家を継ぎたい」という「所有欲や権力願望」なわけですが、それはあくまで表向きのもの。実際に彼を突き動かしている内的なモチベーションは、一貫してカインコンプレックスです。

 カインコンプレックスはユングが提唱した精神分析の概念ですが、ベースになっているのは旧約聖書の『創世記』偽典「ヨベル書」に登場する兄弟カインとアベルの物語です。

 カインとアベルは、アダムとイヴが「禁断の果実」を口にしたことで最終的にエデンの園を追放されたそのあとで生まれた彼らの子どもです。

 成長したカインとアベルは、それぞれ農耕と羊の放牧に精を出します。

 ある日、ふたりは古代イスラエルの唯一神ヤハウェ(=エホバ)にそれぞれ収穫物を奉納しますが、ヤハウェはアベルの供え物にのみ目を留め、カインの供え物を無視します。嫉妬に駆られたカインは野原にアベルを誘い、殺害。ヤハウェにアベルの行方を尋ねられたカインは「知りません。私は弟の監視者なのですか?」と逆に尋ねたと言います(これが人間が初めてついた嘘、だとされています)。

 やがて、大地に流されたアベルの血がヤハウェに真実を伝えるに至り、カインはエデンの東にある「ノドの地」に追放されるのです。

 非常に大ざっぱなまとめではありますが、これが「カインとアベル」の物語です。

 ここで描かれているカインの嫉妬心をベースに、兄弟や姉妹に対して生まれる普遍的な劣情や怒りの感情を「カインコンプレックス」と呼びます。

 カインコンプレックスをモチーフにした映画としては、ジェームズ・ディーンの『エデンの東』が有名ですが、ジョージ・ルーカスの『スターウォーズ・新三部作』でも、若き日のダースベイダー(=アナキン・スカイウォーカー)とオビワン・ケノービとの関係性にカインコンプレックスの影響が見てとれます。


 本編中では、ケイシーとナミコがニューヨークに渡ったのち、道場を襲ったマサヅカがタケダを殺害するくだりで、明確なカインコンプレックスが描かれています。

 猛毒の吹き矢でタケダの首を突いたマサヅカが、瀕死のタケダから鎧櫃の在処を聞き出そうとする場面。

 以下、タケダとマサヅカの台詞(日本語で交わされます)を採録します。


—————————————-

小瓶を手に瀕死のタケダに近づくマサヅカ。


マサヅカ「解毒剤はこれしかない。もうすぐ毒が心臓に達する」

タケダ「(苦しげに)……」

マサヅカ「鎧櫃を俺に渡せ」

タケダ「(苦しげに)私が誤っていた。お前のようなヤツを作ってしまった……」


タケダは鎧櫃の在処を言わないばかりか、解毒剤を欲しようともしない。

 

マサヅカ「何故なんだ」

タケダ「(苦しげに)不動心。……動じない心。お前は習得することができなかった」

マサヅカ「俺を認めてくれよ。認めてくれよ!」

タケダ「(それには応えず)私は死ぬ。お前に分かってもらうために……」


マサヅカは苦悶の表情を浮かべながら、タケダの首をはねる。

—————————————-


 以上です。

 おそらくこのシーンは英語で書かれた脚本の台詞を俳優たちが自ら日本語として探り直して演じたものと思われます(母国語以外の言語で撮影される映画では、そういうことはよくあります)。

 その分いささか翻訳調(特にタケダの台詞)と言いますか、一般的に日本人の脚本家が書く日本語の台詞とは若干ニュアンスが異なり、わずかに統一感がないようにも感じますが、いずれにせよ伊原剛志さんの芝居が真に迫っていて、観る者の胸を打ちます。

 実際、「認めてくれよ!」という台詞はややストレートすぎて、日本人の脚本家にはなかなか書けない台詞です。しかし、ここでマサヅカが愚直なまでに「承認欲求」を訴えかけるのは、師であり育ての父でもあるタケダとの「ふたりだけのシーンだからこそ」の説得力があり、マサヅカの内面を相対化させたとても良いシーンに仕上がっています。


 マサヅカとは対照的に、タケダやナミコの愛を浴びて育った主人公のケイシー。彼の精神は実に健全ですが、無邪気さ故の残酷さを孕んでいます。その点も描いているところが本作の誠実なところです。

 クライマックスで、ケイシーはマサヅカとの一騎打ちを避けられなくなるわけですが、その際、マサヅカが喉から手が出るほど欲しがっていた鎧櫃を開け、大切に保管されていた秘伝の忍具をアッサリと身に纏い、悠然と立ちはだかるのです。

 この微塵も悪意のないケイシーの配慮のなさが、それ故マサヅカの敗北を決定づけます。


 一見するとこの映画は、マサヅカの心理描写に重きが置かれ、ケイシーの内面にはあまり肉薄していないようにも見えます。

 しかし、落ち着いてじっくり見ていくと、カインコンプレックスに端を発した「天才と凡人」の埋まらない溝としてケイシーが描写されていることに気がつくのです。

 何のてらいもなく忍具を身につけてしまうケイシーを観ていて、ぼくは小山ゆうの傑作漫画『がんばれ元気』の主人公、堀口元気を思い出しました。彼は健全の極みのような爽やかな男ですが、たったひとつのことだけを信じている天才(彼の場合は父を殺害したボクサー・関拳児を倒すことでした)というのは、それ故に無神経な振る舞いをするもので、周囲に存在する多くの凡人を巻き込み、意図せず不幸に陥れるものです。

 『アマデウス』でのモーツァルトとサリエリしかり、『ピンポン』でのペコとスマイルしかり、また最近では『アナと雪の女王』での無邪気さ故に姉を苦しめる次女アナと、秘めたる苦悩を背負ったまま物語を終えざるをえなかった姉・エルサしかり……。


 そんな本作の脚本を担当したのは、プロデューサーも兼任しているボアズ・デヴィッドソンとマイケル・ハーストの両名です。

 デヴィッドソンは、1970年代後半に日本でも大ヒットを記録したイスラエル製の青春映画『グローイングアップ』シリーズの監督をしていた人物としても有名です。同シリーズの世界的なヒットを受けてアメリカに進出、同じくイスラエル出身のプロデューサー、ヨーラン・グローバスとメナハム・ゴーランの下で数多くのジャンル映画の監督や脚本、プロデュースを続けてきました。

 また、グローバス&ゴーランが立ち上げた映画会社キャノンフィルムの稼ぎ頭だった人物でもあり、同社が倒産したあとは、制作補としてともに活躍していたアヴィ・ラーナーが興した独立系映画会社ヌー・イメージに参加。プロデュース業を中心に活躍しています(ちなみに本作『NINJA』もヌー・イメージの作品です)。

 一方、リライター兼共同脚本家のマイケル・ハーストは、主にジャンル映画畑の脚本家として活躍してきた人物です。ボアズ・デヴィッドソンの下、ヌー・イメージで脚本を担当した『キラー・モスキート/吸血蚊人間』はなかなかの良作で、テレビ映画という制約の中では大健闘していました。人気ホラーシリーズの4作目にあたる『パンプキン・ヘッド/禁断の血婚』等の監督作もあります。

 ハーストは個人的にはもう少し評価されても良い脚本家だと思いますが、ぼくの知るかぎり日本の映画ファンや映画評論家が彼を取り上げたことは、残念ながら一度もありません。

 今回ふたりが担当した脚本の見所は、マサヅカのカインコンプレックスだけでなく、ジャンルの軌道を重視した「構成」にもあります。

 特に興味深いのは中盤。さきに取り上げた地下鉄でのバトルシークエンスが終了する流れで、駅に到着した刹那、降車したケイシーとナミコが警官隊に包囲されてしまうのですが、ここからふたりは警察に拘束され、個別の取調室で事情聴取を受けます。ケイシーは必死にマサヅカの危険性を訴えますが、警察は証拠を発見できず一向に信用しようとしません。そんな矢先、警察署のブレーカーが落ち、警官たちは右往左往します。ケイシーはマサヅカの仕業だと見抜きますが、時すでに遅し。警官たちは次から次へとマサヅカに惨殺され、ほぼ壊滅してしまうのです。


 その流れ、どこかで見たことがあるぞ、と感じた方も多いかもしれません。

 ジェームズ・キャメロンの出世作『ターミネーター』の1作目での「トンネルでのカーチェイス」から「警官隊の包囲」に遭い、「警察署での拘束」を受けて「ターミネーター襲来により警官隊全滅」という流れとよく似ています。おそらくは意図的に踏襲したものと見て、まず間違いないでしょう。

 しかし、単なるパクリと片付けるにはあまりにもったいない、実に的確な引用だとぼくは思います。本作は後半で独自の展開に突入するということもあり、『ターミネーター』からの引用は、物語の「折り返し地点」として効果的に機能しているためです。

 いま挙げたくだりに限らず『NINJA』の脚本は(とりわけ構成そのものに関しては)、アクション映画特有の見せ場に依存することなく、ベースとして「スリラーの軌道」を巧みに流用したものになっています。観客の認知能力を最大限引き出すためのシチュエーションの組み方、また興味の持続を狙った「シーンのブリッジ」など、全体的に多少の既視感はありますが、実に丁寧に組まれています。

 ネット上で本作のレビューを検索すると、アクションシーンの描写を褒める人は多いものの、ストーリーに関しては「チープ」とか「見るべきところがない」といった評価が多いようです。


 正直言って、その手の解釈はあまりにも表層的すぎるのではないか、と感じます。

 どうも混同されることが多いようですが、ストーリーと構成の関係性は元来イコールではなく、むしろまったく別のものです。

 ここはスクリプトドクターという立場もあって、あえて言い切りますが、『NINJA』の構成はかなり優れた部類に入ります(まぁ、でも、ニンジャという題材の奇抜さやストーリーラインに引っぱられる人が多いので、なかなか理解はされにくいのでしょうね……)。

 こういった「ストーリーの内容そのものとは関係のない純粋な意味での構成自体の才能」というのは、映画ファンや映画評論家から着目される機会が極めて少なく、実際評価されることがほとんどない技術です。

 しかし、この映画の脚本家陣の功績を「チープ」とか「見るべき点がない」といった一言で片付けられてしまうのは、さすがに気の毒な気がしますね。


 ちなみに本作はアメリカ映画ではありますが、撮影自体は全編ブルガリアで行われています。日本のシーンもニューヨークのシーンもいくつかの実景ショットを除けば、すべてブルガリアロケです。

 この辺り、肘井美佳さんの公式ブログ『りんご☆ライフ』に、かなり詳しい当時の撮影日誌が掲載されているので、ご興味おありの方はアクセスしてみてはいかがでしょうか(2008年の「ハリウッド撮影日誌」のコーナーです)。

 いわゆるエクスプロイテーション映画とはいえ、そこはやはりアメリカ映画。撮影規模の大きさやスケジュールのゆとり感(大手スタジオの映画に比べれば格段に過密だったとはいえ、それでも50日以上はあった模様。一般的な〈それなりに潤沢な日本映画〉の場合、予備日込みでひと月未満で撮影されるのが通常のスケジュール感であることを考えると、倍近くもあることになります)、またケイタリングによる食事の充実ぶり、そして肘井美佳さんにも当然のように専用のトレーラーハウスが用意されている事実(俳優の心身のコンディションへの配慮が日本よりも格段に優れている)等々、日本国内の映像業界に携わる者としてはやや複雑な思いにも駆られますが、とても興味深い内容です。


 というわけで、80年代にニンジャ映画ブームを牽引したキャノンフィルムの遺伝子をまともに受け継いだ作品と言っても過言ではない今回の『NINJA』。

 日本で劇場公開されなかったのは残念ですが、DVDのみとはいえリリースされたこと自体はとても喜ばしいと思います。機会がありましたら是非ともレンタルしてみてください。


 ちなみに、この映画には『ニンジャ・アベンジャーズ』という正式な続編が存在します。こちらは(というか、どういうわけかこちらだけ)日本でも劇場公開され、すでにDVDやBlu-rayもリリースされています。

 設定は前作から数年後。すでに夫婦となったケイシーとナミコの描写が微笑ましくて素敵です。とりわけ妊娠しているナミコが、深夜お腹が空いてしまいなかなか寝付けず、ケイシーを起こすくだりは秀逸です。

 遠慮がちに、でもハッキリと「ブラックサンダーチョコが食べたい」と懇願するナミコが妙にリアルでほのぼのします。「ごめんね」「いや、大丈夫大丈夫」と夜中にいそいそと出かけていくケイシー。

 ところが、いざコンビニに着くと、あいにくブラックサンダーは売り切れ。仕方がないので「明治のガーナチョコレート」をレジに持っていくケイシーがこれまたリアルです。そんな細かくも不思議な日本描写にニコニコしていると、突然の悲劇がケイシーを襲います。

 こうして1作目とはまた違ったテイストで物語が動き出す続編『ニンジャ・アベンジャーズ』は、その後舞台をタイに移し、前作に勝るとも劣らぬ激しいアクションが展開します。次から次へと襲い来る刺客に立ち向かうスコット・アドキンスの肉弾戦は、今回もキレッキレです。なかでもケイン・コスギ氏との格闘シーンは迫力満点!

 かつてのキャノン製ニンジャ映画の主演が彼の父親であるショー・コスギ氏だったことを考えると、実に感慨深いものがあります。


 一方で、ラストは予想外に儚く美しく、そしてあまりに切実で驚きます。

 監督は引き続き、アイザック・フロレンティーン。続編もアナログ手法に拘って撮影されていますが、実は最後の最後になって印象的なデジタルエフェクトが登場します。

 ところが、そういった映像の最新技術をフロレンティーンはアクションの見せ場にではなく、登場人物の心情描写として使うのです。この辺り、シリーズを「ケイシーとナミコの物語」として完結させようとする真摯な姿勢が伺え、実に興味深いところです。

 1作目と併せて、ご覧になってみてはいかがでしょうか。


 それでは、また次回お会いしましょう。


 ※(ところで、第1回の場で記述しましたが、本コラムの基本ルールとして「2010年以降に制作された作品のみを選出する」という規定がありました。『NINJA』は2008年にブルガリアで撮影され、翌2009年にアメリカで公開された作品ですので、本来であれば割愛すべきだとは思います。ただ、どうしても紹介させていただきたかったので、日本国内でのビデオリリースが2011年の11月であることを理由に取り上げることにしました。その点、何卒ご容赦ください)。



■『NINJA』

■原題 NINJA

■製作年 2009年

■製作国 アメリカ

■上映時間 86分

■監督 アイザック・フロレンティーン

■製作 ダニー・ラーナー

■脚本 ボアズ・デヴィッドソン

マイケル・ハースト

■撮影 ロス・クラークソン

■キャスト スコット・アドキンス

伊原剛志

肘井美佳

トッド・ジェンセン

伊川東吾

マイルズ・アンダーソン ほか



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著者

三宅 隆太

1972年生まれ。若松プロダクション助監督を経て、フリーの撮影・照明スタッフとなり、映画、テレビドラマ等の現場に多数参加。 その後、ミュージックビデオの監督を経由し、脚本家・監督に。 日本では数少ないスクリプトドクター(脚本のお医者さん)として、ハリウッド作品を含む国内外の映画やテレビドラマの脚本開発やリライトにも多く参加している。 主な作品は、映画『劇場霊』『クロユリ団地』『七つまでは神のうち』など。テレビドラマ『劇場霊からの招待状』『クロユリ団地~序章』『世にも奇妙な物語』『時々迷々』『古代少女ドグちゃん』『女子大生会計士の事件簿』『恋する日曜日』ほか多数。著書に『スクリプトドクターの脚本教室・初級篇』『スクリプトドクターの脚本教室・中級篇』(ともに新書館)などがある。

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