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よみものどっとこむ

第4回

絶妙なアレンジが光るリメイク作品

2016.08.30更新

読了時間

【この連載は…】脚本家、映画監督、スクリプトドクター(脚本のお医者さん)、心理カウンセラー等、多方面で活躍する著者初の映画コラム! 日本における数ある〈劇場未公開映画〉のなかから「これ、なんで劇場公開しなかったんですか?」と思ってしまうほど見応えのある良作を取り上げ紹介。お店ですぐにレンタルできる作品を、洋画中心にセレクトしていきます。


 昔からヨーロッパ映画をハリウッドでリメイクすると「縮小再生産」に陥りがちだと言われています。

 とりわけ頻繁に指摘される問題は以下の2点です。


① 基本的なストーリーラインや人物設定は同じなのに、ハリウッド的「分かりやすさ」を過度に追求した結果、予定調和な展開に陥ってしまう。

② 登場人物の「内面の複雑さ」や「曖昧さ」を回避しようとした結果、オリジナル版にあったエスプリが効かなくなってしまったり、物語の余韻がなくなってしまう。


 ①に関しては、プロジェクトのイニシアチブをとる人間が「どういうリメイクを目指すのか」を決めた時点で、ごく自然に呼び込まれてしまう要素なので、「企画の姿勢の問題」と言えるでしょう。

 一方、②に関しては、「企画の姿勢」に則ったうえで、実際に脚本を組み立てていくプロセスで徐々に変更が加えられるケースが多いため、「作劇のアプローチの問題」と言えます。

 これらふたつの問題(企画の姿勢と作劇のアプローチ)は、混同して語られることが多いようですが、実際には発生する理由も工程もまったく別のものです。洋の東西を問わず、脚本が作成されるプロセスには同一性があり、双方が同時に立ち上がることは、まずあり得ないからです。


 もちろん、ヨーロッパ映画のハリウッドリメイクがすべて失敗するわけではありません。面白くリメイクされたケースもままあります。

 ジェームズ・キャメロン監督の『トゥルーライズ』は、フランス映画『La Totale』の事実上のリメイクですが、作品的にも興行的にも成功しました。

 小粋なフレンチコメディだったオリジナル版から「凡庸な父親が実は国家存亡の危機を何度も救ってきたスパイだった」という基本設定だけを拝借し、いかにもハリウッド的なアクション大作へと大胆にアレンジしたことが功を奏したと言われています。


 映画に限らず創作物には、大なり小なり作り手の国民性が反映されるものです。

 その国ならではの眼差しが「ほのかな隠し味」になっている作品に「刺激的な調味料」をふりかけると(=他国の論理を押しつけてしまうと)、失敗を呼び込みやすくなる。

 考えてみれば当然のことかもしれませんし、もっと言えばヨーロッパ映画のリメイクに限ったことだけではないのかもしれません。

 実際、日本のホラー映画『リング』をハリウッドで再映画化した『ザ・リング』は記憶に新しいところですが、あの映画にも奇妙なアプローチはいくつか存在しました。

 例えば、オリジナル版にあった、呪いのビデオを観てしまった人間が「7日後」に殺されてしまう、というアイデア。

 なぜ7日後なのか、については劇中で具体的な説明が一切なく、そのことがむしろ「曖昧さ故の恐怖感」をかき立て、和製ホラーならではの魅力として機能していたわけです。

 ところが、ハリウッドのリメイクチームは「なぜ7日後なのか」という点にどうしても意味を持たせたかったようで、「一般的に考えて、井戸に閉じ込められた人間が生きていられるのは大体7日間くらいだから」という、分かったような分からないような、むしろ曖昧な説明台詞が追加されていました。

 そのせいで、大切な恐怖感が軽減してしまったことは否めません。


 ハリウッド製のリメイク作品では、こういった(オリジナル作品に愛がある人間からすると悪質に見えてしまう)アレンジが残念ながら幾度となくくり返されてきました。

 だからこそ、自分が好きだった「あの映画」がハリウッドでリメイクされるらしい! といったニュースを耳にするたび、なんとなく不安になったり、嫌な予感がしたりするのは、決してぼくだけではないはずです。

 そのようなわけで、1993年に制作されたフランス映画『めぐり逢ったが運のつき』(原題『CIBLE EMOUVANTE』)がハリウッドでリメイクされると聞いたときも、ぼくは漠然とした不安を覚えたのでした。

 ところが、いざフタを開けてみると、それは単なる危惧に終わりました。


 今回取り上げる〈劇場未公開映画〉は、そんな類い希なるリメイクの成功作『ターゲット』です。

 オリジナル版の『めぐり逢ったが運のつき』のストーリーラインはもちろん、登場人物のキャラクター、具体的な作劇や構成など、そのほとんどを変えることなく、わずかに絶妙なアレンジを加えたことで独特の輝きを持つリメイク作品に仕上がっています。

 その理由は、ぼくが耳にしていた「ハリウッドでリメイクされる」というニュースが実はガセで、実際にはイギリス映画だったからかもしれません。

 今回はその辺りを掘り下げてみたいと思います。


 まずは『ターゲット』のあらすじをご紹介しましょう。


 主人公のヴィクター・メイナードはプロ意識の高いベテランの殺し屋ですが、五十代も半ばを過ぎ、殺伐とした生活に疲れを感じはじめています。

 メイナードは殺し屋一家の血筋で育ったサラブレッドです。亡き父は優れた暗殺者でしたし、現在は老人ホームに暮らす老いた母もやはりかつては殺し屋でした。

 息子を溺愛する母は、初老を迎えたメイナードの仕事に対し、未だあれやこれやと口を出してきます。

 メイナードが感じている日々の疲れは、自身の年齢や「殺し屋という職業」のせいだけではなく、生まれながらに「両親により定められてしまった人生そのもの」にあるのですが、当の本人はそのことに気がついていません。

 そんなある日、メイナードの元に新たな殺害依頼が舞い込みます。ターゲットは名画の贋作をギャングに売りつけては大金をだまし取る女詐欺師・ローズ。レンブラントの贋作を高額で買わされたギャングのボスは怒り心頭です。

 早速、メイナードは行動を開始。いつも通り的確に仕事を全うしようとしますが、なかなか殺害を実行できません。

 ローズを尾行するうち、彼女のあまりの自由奔放さにすっかり魅了されてしまったからです。

 厳格な両親の下、過度に几帳面かつ潔癖症気味に育ったメイナードにとって、人生を謳歌しているローズの姿はまぶしく映ったのでしょう。

 業を煮やしたギャングのボスは、部下にローズの殺害を命じます。そうとは知らず、ついに覚悟を決めたメイナードはローズの殺害に踏み切ろうとしますが、そこにギャングの部下が現れ、ローズが窮地に立たされます。

 反射的にギャングの部下を撃ち殺し、ローズを救ってしまうメイナード。たまたまその場に居合わせた青年トニーを巻き込み、3人の逃避行が始まります。


 ここまででおおよそ30分程度。ドミノ倒し的に思いがけないことが連発する作劇(ある種「わらしべ長者」的な軽快さ)で物語はテンポ良く進んでいきます。


 メイナードを演じているのは『アンダーワールド』シリーズや『パイレーツ・オブ・カリビアン』シリーズでおなじみの名優ビル・ナイ。

 ローズ役は『ヴィクトリア女王/世紀の愛』や『オール・ユー・ニード・イズ・キル』等で知られるエミリー・ブラントが演じています。

 ふたりと行動をともにする青年トニーを演じるのは『ハリー・ポッター』シリーズのロン役で人気のルパート・グリントです。

 この3人の芝居のコントラストが実に見事で、映画の中軸を支えています。

 なかでも、明らかに身勝手であるにも関わらず、どうにも憎めないローズの奔放さは峰不二子的でもあり、とても魅力的です。展開のスピーディーさも相まって、前半部は『ルパン三世』的な世界観と言っても良いかもしれません。

 エミリー・ブラントの好演が光ります。


 しかし、この映画が本当に面白くなるのはここから先です。


 しばらくはメイナード一行とギャングのボスらとの攻防が続きますが、上映時間が真ん中を過ぎるころ、物語は新たな展開を迎えます。

 次々と襲い来るギャングの刺客から逃れるため、一行は長年メイナードが近寄ろうとしなかった〈彼の実家〉に身を隠すことになるのです。

 厳しかった両親との思い出や子ども時代のメイナードの記憶がたくさん詰まったその家で、3人は疑似家族のような生活を送りはじめます。

 アップテンポで一気呵成に進んだ前半部とは打って変わり、中間部ではメイナードとローズの衝突と和解を通じて「家族が子どもに与える影響」についてユーモアを交えながらも深く考えさせられるエピソードが繰り返されていきます。


 ローズは自らのセクシーさを充分自覚しており、これまでにもバーテンダーやホテル従業員など様々な男性とベッドを共にしてきました。そんなローズには、ややセックス依存の傾向が垣間見えます(詳しくは描かれませんが父性に対するなんらかの執着が見てとれます。この点、メイナードの母性への執着と対になっていて興味深いところです)。彼女に魅力を感じているメイナードですが、その点(セックス依存のきらいがある)については、内心嫌悪している様子です。

 一方、命を救ってくれたメイナードに礼をしようと、ローズは庭に花を植えるための穴を掘っていきます。ローズの思いをくみ取れず、彼女を怒鳴り散らすメイナード。

 また、家具の位置や食事の時間にこだわり、汚れがつかないようにと椅子やクッションはすべてビニール張りをしているメイナードに対し、「こんな家にいたら息が詰まる! このままじゃ私もあなたみたいな人間になりそうで耐えられない!」と激高するローズ。その言葉に深く傷つくメイナード。

 ローズが批判した要素は、メイナードにとっては母から受け継いだ「大切で欠かせない価値観」だからです(少なくとも彼はそう信じきっています)。

 一方で、トニーに殺人術を伝授していくメイナードの姿には、ストーリー上の「後継者を育てることで現役を引退したい」という設定以上に、子を持たない初老の男の孤独が垣間見えます。


 こういった中間部のエピソードを見ていくうち、この映画が本当は何を描こうとしている話なのかが浮き彫りになってきます。

 実は『ターゲット』は、初老の殺し屋が主人公のアクションコメディではあるものの、実は典型的な女性神話の構造を有しています。

 女性神話というのは、端的に言うと「承認欲求の物語」です。


 そもそも神話には「男性神話」と「女性神話」の2種類があります。

 男性神話は「少年が大人になるための冒険譚」のことです。

 例えば、平和な村に住んでいた少年が、何らかのきっかけで村を出て、旅をはじめます。道中、少年は様々な苦難を経験しながら(死と再生をくり返しながら)、自らの実力を高め、自信を身につけ、最終的には自らの選択と努力を以て、何らかの勝利を掴みとります。

 旅を終えた少年は村に帰りますが、そのときすでに彼はかつての少年ではなく、勇者へと成長している。この流れが典型的な「男性神話」の軌道です。

 一見すると、いわゆる「剣と魔法の物語」にのみ適用可能な構造のようですが、実は「現代社会に於ける人間の成長過程」と同質の構造です。


 若者が親に守られてきた生活を捨て(つまり、実家を出て)、社会に飛び出し(就職し、ひとり暮らしを始めて、自ら家賃を支払い)、「その道」の師に鍛えられ(会社の上司や得意先のひとたちに揉まれ)、志を共にする仲間と出会い、彼らと切磋琢磨をくり返しながら(同僚たちと数々のプロジェクトを成立させ)、自らの選択で「社会的地位」を築いていく。

 他者との関わりを学ぶことで、モラトリアムで利己的だった視点から、だれかの役に立てるようにと利他的な視点を持った人物に変わっていくのが「社会的成長」の根源であることを考えると、男性神話=社会的自立の物語と同一であることがお分かりいただけるかと思います。


 片や女性神話は「承認欲求」の物語です。

 典型的な女性神話の主人公は、親に定められた生き方(古い世界)に依存することで身の安全を確保できている反面、内心では抑圧され、自分らしさ(ありのままの姿)との狭間で苦しんでいます。

 そんな主人公が「親の目の届かない外世界」の住人から何らかのきっかけをもらうことで(相手から見初められたり、主人公の側から相手に好意を抱いたりすることで)、実は元々、自らの内側に存在していた「輝きの種」に気づきます。このことは「承認欲求のくすぐり」にあたります。

 主人公は「新たな世界」に魅了されつつ(ありのままの自分を認めてもらったことに歓喜しつつ)、なかなか「古い世界」との決別を果たすことができません。自らの輝きを自覚しつつも、それを信じきる覚悟がなく、失敗するのが怖いからです。しかし、それでは「自分自身の問題」と直面することはできませんし、事態を根本から解決することもできません。

 社会と自分との関係性のバランスを保つため、主人公が「ふたつの世界」を行き来しているうち、いつしか必ず破綻が訪れます。

 どちらかの世界の住人として生きていく覚悟が問われる日がやってくるのです。

 具体的には、「新しい世界で、リスクはあるかもしれないが、ありのままの自分として生きるのか」それとも「古い世界で、安全ではあるものの抑圧された〈親に決められた人生〉を辿るのか」を選択しなければならなくなります。

 この、大きなリスクを伴う選択をする瞬間が、女性神話のクライマックスにあたります。

 多くの場合、女性神話は「おとぎ話」に応用されている構造なので、幼いころに童話や絵本で見かけられたこともあるかと思います。

 『シンデレラ』などは女性神話の典型ですし、最近では『アナと雪の女王』なども女性神話の応用です。

 また、実写映画でもインド人の主婦がアメリカで英語を学ぶ『マダム・イン・ニューヨーク』や、孤児の少女が政治家の家に居候する『ANNY/アニー』なども典型的な女性神話の構造を有した物語と言えます。


 『ターゲット』の主人公メイナードは「優秀な殺し屋の家系」に生まれ、親の期待に添うようにと(=ある種の依存状態に陥る行為を経て)一流の殺し屋に成長したものの、内心では孤独を感じ、愛に飢え、平凡な家庭生活に憧れています(=抑圧を感じている、ということです)。

 そんな彼が、御年五十半ばを過ぎたいま、「新しい世界の住人」であるローズを殺すよう命じられるも、それを拒否し(古い世界への反発を起こし)、逆に彼女を守るという選択をしたことで「古い世界との決別」を問われていく。

 まさに女性神話以外の何者でもありません。


 単なるドンパチのアクションや、ドタバタの展開で進めようとすれば、それはそれで可能な設定とキャラクターのはずですが、そうはしていない。

 この辺りが『ターゲット』の大きな魅力だとぼくは考えています(単なるドンパチやドタバタの愉しみ方もそれはそれであるのですが、その話はまた別の機会に。笑)。


 さて、冒頭でも申し上げた通り『ターゲット』はオリジナルではなく、フランス映画『めぐり逢ったが運のつき』をリメイクした作品です。本当は両作を比較してご覧になると、いろいろと面白い発見ができるかと思うのですが、残念ながら『めぐり逢ったが運のつき』はDVD化されていません。

 かつてVHSで市販されていたので、Amazonなどネットの中古販売で入手できるかもしれませんが、いずれにせよ容易に観ることは難しいかと思います。


 では、実際のところ、『めぐり逢ったが運のつき』と『ターゲット』はどれほどの違いがあるのか、リメイクするにあたってどのような改変があったのか?


 実を言うと、ほとんど変わっていません。

 『めぐり逢ったが運のつき』自体が、かなり完成度の高い作品ということもあり(日本公開当時には、映画評論家の淀川長治さんが大絶賛されていました)、大まかなストーリーどころか、かなり細かい部分の構成もそのままですし、台詞の内容や俳優の芝居の動き、もっと言うと、カット割りやカメラワーク、登場するロケ場所や登場人物が使用する小道具に至るまで、『ターゲット』は、こと細かに踏襲しています。

 つまり、『ターゲット』の面白さは、『めぐり逢ったが運のつき』で、すでに実践されたものの忠実なコピーに過ぎないのです。

 とまぁ、こんなことを言うと、なぁんだ、とガッカリされる方もいるかもしれませんね。


 しかし、『ターゲット』には、実は決定的なアレンジが2カ所だけ加えられています。

 この2カ所の変更は、大枠に於ける「筋書き」や「構成」には影響を与えていませんが(だからこそ全体的に踏襲が可能なわけです)、観客が感じとる「キャラクターの魅力」には絶大な影響を及ぼしています。


 ひとつめのアレンジはトニーとローズの登場の順番が逆になっている、という点です。

 『ターゲット』では、ローズ殺害を命じられたメイナードがローズを助け、その場でたまたま居合わせたトニーに窮地を救われ、3人での逃避行が始まります。

 実は、このスタートアップには、終始「トニーの存在」に「必然性」が感じられにくくなる、というリスクもありますが、その分メリットもあります。メイナードとローズの関係性の強化が図れる、という点です。

 一方、オリジナル元の『めぐり逢ったが運のつき』では、メイナードが最初の殺し(この場面自体は『ターゲット』でも踏襲されています)を実行するくだりで、たまたまその場に郵便配達でやってきていた青年がトニー(役名はアントワーヌ)です。

 メイナードは殺人を目撃されてしまったため、トニーを殺そうとしますが、彼が護身用に手にしたナイフの握り方を見て、つい「いやいや、その持ち方じゃケガするから」と言って「的確にナイフで人を刺すための持ち方」を指南してしまうのです(このシーン自体はメイナードのキャラクター付けを端的に説明できていますし、相当笑えます)。

 その後、オリジナル版のメイナードは「自分も歳をとってきたし、そろそろ引退しようと考えているから弟子にしてやる」と言って、トニーを連れ回します。

 この時点でローズ殺害の依頼はまだ入っていません。

 つまり、『ターゲット』に於けるメイナードがローズと出会う瞬間、またメイナードがローズに対して好意を抱く瞬間にはトニーが不在だったのに対し、オリジナルの『めぐり逢ったが運のつき』では、それらの場面にもトニーが存在するのです。

 こうなると、シーン運びという意味での構成自体は同じでも、個々のシーンの意味合いはまったく別物ということになります。

 端的に言うと、『めぐり逢ったが運のつき』では「メイナードは孤独ではない」ということです。


 そのため、ローズにあたるキャラクター、ルネとの出会いや、その後の彼女との動向に於いて『ターゲット』では描かれていたような「男女の吸引力」は必然的に弱まります。

 『ターゲット』が「孤独な殺し屋」が「わがままな女詐欺師」に魅了され、たまたま居合わせた青年も道連れに逃避行をする話だったのに対し、『めぐり逢ったが運のつき』は、「師匠と弟子の凸凹殺し屋コンビ」が「わがままな女詐欺師」と出会い、逃避行する話だからです。

 逃避行のくだり以降の構成自体は、ほぼ100%同じですが、キャラクターの見え方が変わってくる、という理由がお分かりいただけたかと思います。


 もうひとつのアレンジポイントは、メイナードの実家での共同生活が続く中で、とうとうローズがメイナードに恋をするくだりです。

 ここもシーン運びの構成自体は同じなのですが、オリジナル版の『めぐり逢ったが運のつき』では、観客の感情移入という点でローズの印象がまったく異なるものになっています。

 『ターゲット』では、深夜に頭痛で眠れなくなったローズがメイナードの部屋を訪ね、「頭痛薬」を求めますが、あいにく薬がないことが分かる。そこで「代わりに」とメイナードがベッドでローズの足を指圧してあげるというシーンがあります。このシーンが「ローズが恋に落ちる瞬間」です。

 この場面自体は『めぐり逢ったが運のつき』にも存在します。


 その後、2、3のシーンを経たのち、ローズがトニーの寝室で「トニーに添い寝をしながら」メイナードに恋をしてしまった、と告白するくだりがあります。

 ここはセックス依存気味だったローズがトニーを男性として見てはおらず、あたかも弟とベッドで添い寝している、そしてそのこと自体を受け入れているトニーのシーンとして描かれており、『ターゲット』のなかでも魅力的な場面となっています。

 ところが、『めぐり逢ったが運のつき』では、ローズ(=ルネ)がトニーに「メイナードに恋をしてしまった」と言いながらも、トニーにオーラルセックスを施すシーンになっています。

 その際、「昔の私は今日でおしまい」と彼女は口にするので、明日以降は生まれ変わる、という意思表示でもあるわけですが、観客にはかなりアンビバレンツな印象を与えるアプローチと言わざるを得ません。

 おそらく『ターゲット』のクリエイターチームはリメイクをするにあたって、「これはさすがにないだろう」と判断し、現行のシーンに改変したのだと思いますが、率直に言って、この改変は極めて正しいとぼくは思います。

 これは決して『ターゲット』のほうが『めぐり逢ったが運のつき』よりも優れているとか、映画として上だと言っているわけではありません。オリジナル版のファンの方、どうぞお怒りになりませぬよう。

 さきほど申し上げた通り、『めぐり逢ったが運のつき』は、「師匠と弟子の凸凹殺し屋コンビ」が「わがままな女詐欺師」と出会い、逃避行する話なので、オーラルセックスにも意味が出てきます。

 実際、その後のくだりで師匠への罪悪感を感じたトニー(=アントワーヌ)が「ある嘘」をローズ(=ルネ)につくことで、ふたりの思いを結びつけようとするくだりがあります。ここでのトニーの行動(=嘘をついている)を認知しているのは観客だけ、という作りのため、たとえ「師匠が愛している女から性的なサービスを受けた」としても、観客にはとってトニー(=アントワーヌ)は「信用できるキャラクター」に昇格します。

 しかし、『ターゲット』では、「孤独な殺し屋」が「わがままな女詐欺師」に魅了され、たまたま居合わせた青年も道連れに逃避行をする話へと、すでに変わっているのです。

 この流れのなかで、オリジナルにあった「ローズがトニーに性的サービスをする」という展開を入れた場合、観客は確実にローズへの感情移入を失うばかりか、トニーに対しても不信感を抱くでしょう。さらに言うと、「ふたりが交わした秘密の時間」をメイナードが知らないまま物語が終了することを受け入れることはできなくなるはずです(何故なら、観客はメイナードの視点でこの物語を追っているからです。これは『アナと雪の女王』で、姉が抱えていた気苦労の数々を最後まで知らない妹が呑気にスケートに興じる姿を見て、「まったく人の気も知らないで……」と感じるのと本質的には同義です)。


 以上の2カ所が『めぐり逢ったが運のつき』を『ターゲット』としてリメイクした際のアレンジポイントです。

 冒頭で申し上げた通り、映画に限らず創作物には、大なり小なり作り手の国民性が反映されるものです。

 その国ならではの眼差しが「ほのかな隠し味」になっている作品に「刺激的な調味料」をふりかける(=他国の論理を押しつけてしまうと)、失敗を呼び込みやすくなるのは確かですし、なるべくなら避けたほうが良いでしょう。

 しかし、「初老を迎えた男」の承認欲求を「女性神話の構造で描くこと」自体に力点を置いた今回のリメイク版の場合、2カ所の改変は絶妙なアレンジだった、と言えるのではないかと思います。


 いずれにせよ、『ターゲット』は、元になった作品を知っている方にとっても、そうでない方にとっても、まちがいなく楽しめるエンターテインメントの一級品です。

 お近くのビデオ屋さんに行かれる際は、是非一度手にとってみてください。


 では、また次回お会いしましょう。



■『ターゲット』

■原題 WILD TARGET

■製作年 2010年

■製作国 イギリス/フランス

■上映時間 98分

■監督 ジョナサン・リン

■製作 マーティン・ポープ

マイケル・ローズ

■脚本 ルシンダ・コクソン

■撮影 デヴィッド・ジョンソン

■キャスト ビル・ナイ

エミリー・ブラント

ルパート・グリント

ルパート・エヴェレット

アイリーン・アトキンス

マーティン・フリーマン

グレゴール・フィッシャー

ジェフ・ベル

ロリー・キニア ほか


『ターゲット』のDVDを見る!



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著者

三宅 隆太

1972年生まれ。若松プロダクション助監督を経て、フリーの撮影・照明スタッフとなり、映画、テレビドラマ等の現場に多数参加。 その後、ミュージックビデオの監督を経由し、脚本家・監督に。 日本では数少ないスクリプトドクター(脚本のお医者さん)として、ハリウッド作品を含む国内外の映画やテレビドラマの脚本開発やリライトにも多く参加している。 主な作品は、映画『劇場霊』『クロユリ団地』『七つまでは神のうち』など。テレビドラマ『劇場霊からの招待状』『クロユリ団地~序章』『世にも奇妙な物語』『時々迷々』『古代少女ドグちゃん』『女子大生会計士の事件簿』『恋する日曜日』ほか多数。著書に『スクリプトドクターの脚本教室・初級篇』『スクリプトドクターの脚本教室・中級篇』(ともに新書館)などがある。

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