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第138回

330話〜331話

2021.10.12更新

読了時間

  「超訳」本では軽すぎる、全文解説本では重すぎる、孟子の全体像を把握しながら通読したい人向け。現代人の心に突き刺さる「一文超訳」と、現代語訳・原文・書き下し文を対照させたオールインワン。
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6‐2 賢者政治登用の意味

【現代語訳】
〈前項から続いて淳于髠はさらに言った〉。「かつて魯の繆公のとき、公儀子が宰相となって魯の政治を取り仕切り、子柳・子思のような賢者が臣となっていたのに、魯の国の領土はどんどん削られてしまったのです。賢者が国の役に立たない賢者とはこんなものでしょうか」。孟子は言った。「かつて虞の国は、百里奚を用いなかったので亡びてしまった。これに対し、秦の穆公は、百里奚を用いたので覇者となった。このように賢者を用いなければ国は亡びてしまう。領土を削られるくらいでは済まないのだ」。

【読み下し文】
曰(いわ)く、魯(ろ)の繆公(ぼくこう)(※)の時(とき)、公儀子(こうぎし)(※)、政(まつりごと)を為(な)し、子柳(しりゅう)(※)・子思(しし)(※)、臣(しん)為(た)り。魯(ろ)の削(けず)らるるや、滋〻(ますます)甚(はなはだ)し。是(かく)の若(ごと)きか、賢者(けんしゃ)の国(くに)に益(えき)無(な)きこと。曰(いわ)く、虞(ぐ)は百里奚(ひゃくりけい)(※)を用(もち)いずして亡(ほろ)び、秦(しん)の穆(ぼく)公(こう)は之(これ)を用(もち)いて覇(は)たり。賢(けん)を用(もち)いざれば則(すなわ)ち亡(ほろ)ぶ。削(けず)らるること何(なん)ぞ得(う)べけんや。

(※)魯の繆公……公孫丑(下)第十一章参照。
(※)公儀子……名は休。学者であった。
(※)子柳……泄柳のこと。公孫丑(下)第十一章参照。
(※)子思……公孫丑(下)第十一章参照。
(※)百里奚……万章(上)第九章参照。

【原文】
曰、魯繆公之時、公儀子、爲政、子柳・子思爲臣、魯之削也、滋甚、若是乎、賢者之無益於國也、曰、虞不要百里奚而亡、秦繆公用之而覇、不要賢則亡、削何可得與。

6‐3 見た目だけではわからないことがある

【現代語訳】
〈前項から続いて〉。淳于髠が言った。「昔、歌の上手な(衛の)王豹は、淇水の辺りにいたので、その付近の河西の人たちは、歌が上手になりました。また、斉の歌のうまい緜駒が高唐にいたが、そのため斉右地方(斉の西部地方)の人は歌がうまくなりました。また、(斉の勇子であった)華周や杞梁の妻は、夫たちが戦死したのを悲しんで哭していましたが、まことに悲痛だったので、それに感化された夫婦の情がこまやかになりました。このように、すべて内にあるものは、必ず外にあらわれるようになるものです。そのことを誠実になしているのに、効果が出ないということは、私はいまだかつて見たことがありません。とすると斉の国には賢者はいないものと思えます。いれば必ず私にもわかるはずです」。これに対して孟子は言った。「昔、孔子は魯の司法大臣になられたが、その意見は用いられなかった。それでかねてより辞意を抱いておられたが、魯の君がお祭りをなさったときにこんなことがありました。お祭りが終わってから、礼として分配される焼き肉が孔子に分配されなかった。そして、孔子は冠も脱がないまま、大急ぎで国を出られた。この孔子の行動を見て、孔子を知らない者は、祭りの焼き肉が配られなかったからと解し、孔子を知っている者は、礼を欠いているからだと解した。しかし、孔子の真意は、かねてより去るつもりであったが、国君に悪名を負わせないように考えていたので、ちょうど良い具合に自分の微罪(祭りに参与していたので、その非礼には自分にも責任があると考え)を理由に国を去ろうと思ったのである。ただ、面白くないとして、むやみに去ろうとしたのではない。このように、君子のすることには深い考えがあるので、(あなたのような)一般人には、とうていわからないこともあるのだ」。

【読み下し文】
曰(いわ)く、昔者(むかし)王豹(おうひょう)淇(き)(※)に処(お)り、而(しこう)して河西(かせい)善(よ)く謳(うた)う。緜駒(めんく)高唐(こうとう)に処(お)り、而(しこう)して斉右(せいゆう)(※)善(よ)く歌(うた)う。華周(かしゅう)・杞梁(きりょう)の妻(つま)(※)、善(よ)く其(そ)の夫(おっと)を哭(こく)し、而(しこう)して国俗(こくぞく)を変(へん)ず。諸(これ)を内(うち)に有(ゆう)すれば、必(かなら)ず諸(これ)を外(そと)に形(あら)わす。其(そ)の事(こと)を為(な)して其(そ)の功(こう)無(な)き者(もの)は、髠(こん)未(いま)だ嘗(かつ)て之(これ)を覩(み)ざるなり。是(こ)の故(ゆえ)に賢者(けんじゃ)無(な)きなり。有(あ)らば則(すなわ)ち髠(こん)必(かなら)ず之(これ)を識(し)らん。曰(いわ)く、孔子(こうし)魯(ろ)の司寇(しこう)(※)と為(な)りて、用(もち)いられず。従(したが)って祭(まつ)りしに、燔肉(はんにく)(※)至(いた)らず。冕(べん)を税(ぬ)がずして(※)行(さ)る。知(し)らざる者(もの)は以(もっ)て肉(にく)の為(ため)なりと為(な)し、其(そ)の知(し)る者(もの)は以(もっ)て礼(れい)無(な)きが為(ため)なりと為(な)す。乃(すなわ)ち孔子(こうし)は則(すなわ)ち微罪(びざい)(※)を以(もっ)て行(さ)らんと欲(ほっ)す。苟(いやしく)も去(さ)ることを為(な)すを欲(ほっ)せざるなり。君子(くんし)の為(な)す所(ところ)は、衆人(しゅうじん)固(もと)より識(し)らざるなり。

(※)淇……淇水という河の名。
(※)斉右……斉西と同じ。土地の左右はすべて南面して見て左右をつけた。右は西、左は東となる。
(※)杞梁の妻……杞梁の妻が哭し、それによって城壁がくずれ落ちた話は有名(拙著『全文完全対照版 菜根譚コンプリート』前集百一章参照)。華周の妻についてはよくわかっていない。なお、吉田松陰は最初に萩の野山獄に入ったときに、ここでの淳于髠の言葉(諸(これ)を内(うち)に有(ゆう)すれば、必(かなら)ず諸(これ)を外(そと)に形(あらわ)す)に影響されていつも唱えて、獄中の風習を一変しようとしたという(『講孟箚記』)。事実、その後、孟子の勉強会などをやり、それぞれの獄人が講師になり、獄中の人々は甦ることになる。当時は無期が当たり前で、未来をなくした囚人たちが、それぞれに生きがいを持つようになった。そして、後に活躍した人も出た。看守役人までが勉強会に参加してもいる。孟子の一文でも、たとえ孟子の論敵(弟子でもあったと見る人もいる)のような人の言葉でさえ、おろそかにせず、自分の実践に活かした松陰という若者が、今でも尊敬され続けているのがわかるエピソードである。
(※)司寇……司法大臣。刑罰や禁令などを司る大臣。
(※)燔肉……焼き肉。焼いた肉。
(※)税がずして……脱がないで。
(※)微罪……小さい罪。何を「微罪」と見るかについては争いがある。一つは、ここで私が採用したように孔子に微罪があるとみる説。別の説は、魯君に微罪があるとする説である。

【原文】
曰、昔者王豹處於淇、而河西善謳、緜駒處於高唐、而齊右善歌、華周・杞梁之妻善哭其夫、而變國俗、有諸內、必形諸外、爲其事而無其功者、髠未嘗覩之也、是故無賢者也、有則髠必識之、曰、孔子爲魯司寇、不用、從而祭、燔肉不至、不稅冕而行、不知者以爲爲肉也、其知者以爲爲無禮也、乃孔子則欲以微罪行、不欲爲苟去、君子之所爲、衆人固不識也。


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著者

野中 根太郎

早稲田大学卒。海外ビジネスに携わった後、翻訳や出版企画に関わる。海外に進出し、日本および日本人が外国人から尊敬され、その文化が絶賛されているという実感を得たことをきっかけに、日本人に影響を与えつづけてきた古典の研究を更に深掘りし、出版企画を行うようになる。近年では古典を題材にした著作の企画・プロデュースを手がけ、様々な著者とタイアップして数々のベストセラーを世に送り出している。著書に『超訳 孫子の兵法』『吉田松陰の名言100-変わる力 変える力のつくり方』(共にアイバス出版)、『真田幸村 逆転の決断術─相手の心を動かす「義」の思考方法』『全文完全対照版 論語コンプリート 本質を捉える「一文超訳」+現代語訳・書き下し文・原文』『全文完全対照版 孫子コンプリート 本質を捉える「一文超訳」+現代語訳・書き下し文・原文』『全文完全対照版 老子コンプリート 本質を捉える「一文超訳」+現代語訳・書き下し文・原文』『全文完全対照版 菜根譚コンプリート 本質を捉える「一文超訳」+現代語訳・書き下し文・原文』(以上、誠文堂新光社)などがある。

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