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第33回

78〜80話

2021.05.11更新

読了時間

  「超訳」本では軽すぎる、全文解説本では重すぎる、孟子の全体像を把握しながら通読したい人向け。現代人の心に突き刺さる「一文超訳」と、現代語訳・原文・書き下し文を対照させたオールインワン。
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2‐6 浩然の気はじっくりと正しく養う


【現代語訳】
〈前項から続いて孟子は言った〉。「必ず、いつもそれ(浩然の気)を養うようにしなければならない。しかし、いつまでに仕上げようなどと考えてはならない。そうは言っても、常に心に忘れないようにしなければならない。ただ、無理をして早く浩然の気を養おうとしてもいけない。例えば、次に述べるある宋人のようなまねはしてはならない。その宋人は、自分の田んぼの苗が伸びないと心配して、苗を一本一本引き伸ばしてその心(しん)を抜いたのである。そしてぐったりとして帰って家人に言ったという。『今日は疲れた。苗が早く伸びるように助けて生長させてやった』と。それを聞いた子は心配して田んぼに走って様子を見てみた。すると、苗はすっかり枯れてしまっていた。こんな話だが、世のなかを見ると、この宋人のような愚かなことをしないようにしている者は少ない(多くの者は苗の生長を助けるような愚かなことをしている)。浩然の気を養うことを無益として、捨ててかえりみないのは、ちょうど苗のまわりの雑草を取らないようなものである(告子を批判している)。また、浩然の気を無理して早く養おうとするのは、まるで苗を早く生長させるために引き伸ばして心を抜くあの宋人のようだ(北宮黝と孟施舎を批判している)。こういうことは無益であり、しかもかえって害があるのだ」。

【読み下し文】
必(かなら)ず事(こと)とする有(あ)れ(※)。而(しか)も正(あらかじ)めする(※)こと勿(な)かれ。心(こころ)に忘(わす)るること勿(な)かれ。助(たす)けて長(ちょう)ぜしむる(※)こと勿(な)かれ。宋人(そうひと)の若(ごと)く然(しか)すること無(な)かれ。宋人(そうひと)に其(そ)の苗(なえ)の長(ちょう)ぜざるを閔(うれ)えて、之(これ)を揠(ぬ)く(※)者(もの)有(あ)り。芒芒然(ぼうぼうぜん)(※)として帰(かえ)り、其(そ)の人(ひと)に謂(い)いて曰(いわ)く、今(こん)日(にち)病(つか)る。予(われ)苗(なえ)を助(たす)けて長(ちょう)ぜしむ、と。其(そ)の子(こ)趨(はし)りて往(ゆ)きて之(これ)を視(み)れば、苗(なえ)則(すなわ)ち槁(か)れたり。天下(てんか)の苗(なえ)を助(たす)けて長(ちょう)ぜしめざる者(もの)寡(すくな)し。以(もっ)て益(えき)無(な)しと為(な)して、而(しか)して之(これ)を舎(す)つる者(もの)は、苗(なえ)を耘(くさぎ)らざる(※)者(もの)なり。之(これ)を助(たす)けて長(ちょう)ぜしむる者(もの)は、苗(なえ)を揠(ぬ)く者(もの)なり。徒(ただ)に益(えき)無(な)きのみに非(あら)ず、而(しか)も又(また)之(これ)を害(がい)す。

(※)事とする有れ……いつも養うようにしなければならない。いつも仕事をしなければならない。なお、「事」を「副」とし、「そえ」と読み、「気を正とし、気に必ず沿って、道義を行わなければならない」と解する説もある(北宮黝のように気だけを目的として養ってはならないとする)。
(※)正めする……いつまでに仕上げようと考える。
(※)助けて長ぜしむる……無理をして早く生長させようとする。今日、日本語でも使う「助長」の出典である。今では、よい意味でも「助長」という言葉を使うが、もともとは本文のように悪い意味で使った。
(※)揠く……(苗の心を)引き抜く。
(※)芒芒然……疲れたさま。
(※)耘らざる……(雑草を)取らない。

【原文】
必有事焉、而勿正、心勿忘、勿助長也、無若宋人然、宋人有閔其苗之不長、而揠之者、芒芒然歸、謂其人曰、今日病矣、予助苗長矣、其子趨而往視之、苗則槁矣、天下之不助苗長者寡矣、以爲無益、而舍之者、不耘苗者也、助之長者、揠苗者也、非徒無益、而又害之。

 

2‐7 人の言葉を知る(理解する)ことは重要である


【現代語訳】
〈前項から続いて〉。「言を知るとはどういうことでしょうか」。公孫丑は、浩然の気を養うことについてはわかったので、告子より優れていると言った孟子の「言を知る」について聞いた。孟子は言った。「(言葉を聞くとその人の心の底がわかる。正しくない言葉には詖辞、淫辞、邪辞、遁辞の四つがある)詖辞は、偏った言葉であって、そういう言葉が出るのは、その人の心が何かにおおわれてしまっているのだ。淫辞は、みだらな言葉であって、そういう言葉が出るのは、その人が何かにおぼれてしまっているのである。邪辞は、悪意のある言葉であって、そういう言葉が出るのは、その人が正しい道理から離れてしまっているのである。遁辞は、言い逃れるための言葉であって、そういう言葉が出るのは、その人の心が行き詰まっているからである。このような言葉が、そうした問題ある心から生じているとすれば、このような言葉を出す人が行う政治に害を与えることになる。そして害された政治から出される政令が、もろもろの事柄に害を及ぼすこととなるのだ。だから言葉を知って理解することが必要となるわけである。もし昔の聖人が再び今の世に現れたとしても、きっと私のこの言葉には賛同されるであろう」。

【読み下し文】
何(なに)をか言(げん)を知(し)ると謂(い)う。曰(いわ)く、詖辞(ひじ)は其(そ)の蔽(おお)う所(ところ)を知(し)る。淫辞(いんじ)は其(そ)の陥(おち)いる所(ところ)を知(し)る。邪辞(じゃじ)は其(そ)の離(はな)るる所(ところ)を知(し)る。遁辞(とんじ)は其(そ)の窮(きゅう)する所(ところ)を知(し)る。其(そ)の心(こころ)に生(しょう)ずれば、其(そ)の政(まつりごと)に害(がい)あり(※)。其(そ)の政(まつりごと)に発(はっ)すれば、其(そ)の事(こと)に害(がい)あり。聖人(せいじん)復(ま)た起(お)こる(※)とも、必(かなら)ず吾(わ)が言(げん)に従(したが)わん。

(※)其の心に生ずれば、其の政に害あり……「其の政に害あり」の前に、「其の事にも害あり、其の事に生ずれば」が入るとの説もある(伊藤仁斎など)。そうすると「そのような人が事を行うと、一つ一つの行為に害を及ぼすことになる。その人の行為に弊害が現れると」などと訳することになる。
(※)復た起こる……今の世に現れる。

【原文】
何謂知言、曰、詖辭知其所蔽、淫辭知其所陷、邪辭知其所離、遁辭知其所窮、生於其心、害於其政、發於其政、害於其事、聖人復起、必從吾言矣。

 

2‐8 相手の持ち上げに乗らない


【現代語訳】
〈前項から続いて〉。公孫丑が続けて言った。「孔子の弟子であった宰我と子貢は言語に優れ、冉牛・閔子・顔淵は徳行で名高かった。そして孔子は、この言語と徳行との両方を兼ね備えていたにもかかわらず、『私は、言語においてはうまくできない』と言われました。しかるに先生は、徳行はもとより、言葉もよく知っておられるのだから、すでに聖人ではないのですか」。孟子は嘆いた。「ああ、何ていうことを言うのだ。昔、子貢が孔子に問うて、『先生は聖人ですか』と言った。これに対して孔子は、『聖人など思いもよらぬことだ。私はただ道を学ぶことをいとわず(いつも楽しんでやり)、人に教えてうむことがない(あきて嫌にならない)というだけの人間なのだ』と言われた。そして子貢は、言った。『学んでいとわないということは智者であるということであり、教えてうまないということは仁者であるということです。仁者であり、智者であるという孔子は、すでに聖人です』と。このように孔子自身も聖人ということを任じておられなかったのだ。なのに私を聖人などと言うとは、何ということだ」。

【読み下し文】
宰我(さいが)・子貢(しこう)(※)は善(よ)く説辞(せつじ)(※)を為(な)し、冉牛(ぜんぎゅう)・閔子(びんし)・顔淵(がんえん)(※)は善(よ)く徳(とく)行(こう)を言(い)う。孔子(こうし)は之(これ)を兼(か)ぬ。曰(いわ)く、我(われ)辞命(じめい)に於(おい)ては、則(すなわ)ち能(あた)わざるなり、と。然(しか)らば則(すなわ)ち夫子(ふうし)は既(すで)に聖(せい)なるか。曰(いわ)く、悪(ああ)、是(こ)れ何(なん)の言(げん)ぞや。昔者(むかし)、子貢(しこう)孔子(こうし)に問(と)うて曰(いわ)く、夫子(ふうし)は聖(せい)なるか、と。孔子(こうし)曰(いわ)く、聖(せい)は則(すなわ)ち吾(わ)れ能(あた)わず。我(われ)は学(まな)びて厭(いと)わず(※)、教(おし)えて倦(う)まざるなり、と。子貢(しこう)曰(いわ)く、学(まな)びて厭(いと)わざるは智(ち)なり。教(おし)えて倦(う)まざるは仁(じん)なり。仁(じん)且(か)つ智(ち)なり。夫子(ふうし)既(すで)に聖(せい)なり、と。夫(そ)れ聖(せい)は孔子(こうし)も居(お)らず。是(こ)れ何(なん)の言(げん)ぞや。

(※)宰我・子貢……いわゆる“孔門の十哲”のなかに言語に優れた者として入っている。ただし“孔門の十哲”には曾参、有若などが入っていない(拙著『全文完全対照版 論語コンプリート』先進第十一の二百五十五参照)。
(※)説辞……言語。
(※)冉牛、閔子、顔淵……いわゆる“孔門の十哲”のなかで徳行に優れた者のなかに入っている。ほかに仲弓が入っている。なお、政事に優れた者として冉有、季路(子路)、文学に優れた者として子游、子夏が紹介されている(先進第十一)。
(※)厭わず……いとわず(いつも楽しんでやり)。なお、『論語』でも孔子がこう述べている。「聖(せい)と仁(じん)との若(ごと)きは、則(すなわ)ち吾(わ)れ豈(あに)敢(あえ)てせんや。抑〻(そもそも)これを為(な)して厭(いと)わず、人(ひと)を誨(おし)えて倦(う)まざるは、則(すなわ)ち云(し)爾(かり)と謂(い)うべきのみ」(述而第七)。

【原文】
宰我・子貢、善爲説辭、冉牛・閔子・顏淵、善言德行、孔子兼之、曰、我於辭命、則不能也、然則夫子旣聖矣乎、曰、惡、是何言也、昔者、子貢問於孔子曰、夫子聖矣乎、孔子曰、聖則吾不能、我學不厭、而敎不倦也、子貢曰、學不厭智也、敎不倦盡仁也、仁且智、夫子旣聖矣、夫聖孔子不居、是何言也。

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著者

野中 根太郎

早稲田大学卒。海外ビジネスに携わった後、翻訳や出版企画に関わる。海外に進出し、日本および日本人が外国人から尊敬され、その文化が絶賛されているという実感を得たことをきっかけに、日本人に影響を与えつづけてきた古典の研究を更に深掘りし、出版企画を行うようになる。近年では古典を題材にした著作の企画・プロデュースを手がけ、様々な著者とタイアップして数々のベストセラーを世に送り出している。著書に『超訳 孫子の兵法』『吉田松陰の名言100-変わる力 変える力のつくり方』(共にアイバス出版)、『真田幸村 逆転の決断術─相手の心を動かす「義」の思考方法』『全文完全対照版 論語コンプリート 本質を捉える「一文超訳」+現代語訳・書き下し文・原文』『全文完全対照版 孫子コンプリート 本質を捉える「一文超訳」+現代語訳・書き下し文・原文』『全文完全対照版 老子コンプリート 本質を捉える「一文超訳」+現代語訳・書き下し文・原文』『全文完全対照版 菜根譚コンプリート 本質を捉える「一文超訳」+現代語訳・書き下し文・原文』(以上、誠文堂新光社)などがある。

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