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第34回

81〜83話

2021.05.12更新

読了時間

  「超訳」本では軽すぎる、全文解説本では重すぎる、孟子の全体像を把握しながら通読したい人向け。現代人の心に突き刺さる「一文超訳」と、現代語訳・原文・書き下し文を対照させたオールインワン。
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2‐9 安易に人と比べるものではない


【現代語訳】
〈前項から続いて〉。(それではと公孫丑は聞いた)。「私は、昔、誰かに聞いたことがあります。それは、子夏・子遊・子張たちは、聖人の一部分を有している。これに対し、冉牛・閔子・顔淵は、聖人の全体を具えてはいるが、それはまだ微少である、と。失礼ながら、先生は、誰あたりなのでしょうか」。孟子は答えた。「もう、いい。この問題はしばらくやめておこう」。

【読み下し文】
昔者(むかし)窃(ひそ)かに之(これ)を聞(き)けり。子夏(しか)・子遊(しゆう)・子張(しちょう)は、皆(みな)聖人(せいじん)の一体(いったい)有(あ)り。冉牛(ぜんぎゅう)・閔子(びんし)・顔淵(がんえん)は、則(すなわ)ち体(たい)を具(そな)えて而(しか)して微(び)なり、と。敢(あえ)て安(やす)んずる所(ところ)を問(と)う。曰(いわ)く、姑(しばら)く是(これ)を舎(お)け(※)。

(※)姑く是を舎け……しばらくやめておこう。孟子にとって、公孫丑の質問、つまり、孔門の人々に比べられるということが、いささか不満のようであると解するのが一般である。取りようによっては孔子を尊敬するが、自分はその次に位置して、これを学ぶ者であるとの自負があるようだ。いかにも孟子らしいが、確かにいくら過去の偉人でも安易に人と比べられるのは、気持ちの良いことばかりではないといえよう。

【原文】
昔者竊聞之、子夏・子游・子張、皆有聖人之一體、冉牛・閔子・顏淵、則且體而微、敢問所安、曰、姑舍是。

 

2‐10 孔子の行き方を学んでいきたい


【現代語訳】
〈前項から続いて〉。(公孫丑は)さらに問うた。「伯夷や伊尹はいかがでしょうか」。孟子は言った。「二人は行き方が違う。自分の仕えるべき正しい君でないと仕えず、統治すべき正しい民でないと統治しない。世が良く治まっていれば、進み出て仕え、世が乱れれば、退き隠れる、というのが伯夷である。これに対し、どんな君であろうとも仕えるし、どんな民であろうと統治する。世のなかが治まっていても、乱れていても政治に携わるというのが伊尹である。以上と違って、仕えるべきときには仕え、退くときには退き、久しくとどまるべきときはとどまり、速やかに去るべきときは速やかに去るのが孔子である。以上の三人は、皆、昔の聖人である。私は、まだこの方たちのような行いはできていない。しかし、私の願いは、孔子の行き方を学んでいきたいと思っている」。

【読み下し文】
曰(いわ)く、伯夷(はくい)(※)・伊尹(いいん)(※)は如何(いかん)。曰(いわ)く、道(みち)を同(おな)じうせず。其(そ)の君(きみ)に非(あら)ざれば事(つか)えず、其(そ)の民(たみ)に非(あら)ざれば使(つか)わず。治(おさ)まれば則(すなわ)ち進(すす)み、乱(みだ)るれば則(すなわ)ち退(しりぞ)くは、伯夷(はくい)なり。何(いず)れに事(つか)うるとして君(きみ)に非(あら)ざらん、何(いず)れを使(つか)うとして民(たみ)に非(あら)ざらん。治(おさ)まるも亦(また)進(すす)み、乱(みだ)るるも亦(また)進(すす)むは、伊尹(いいん)なり。以(もっ)て仕(つか)うべくんば則(すなわ)ち仕(つか)え、以(もっ)て止(や)むべくんば則(すなわ)ち止(や)み、以(もっ)て久(ひさ)しかるべくんば則(すなわ)ち久(ひさ)しくし、以(もっ)て速(すみ)やかなるべくんば則(すなわ)ち速(すみ)やかにするは、孔子(こうし)なり。皆(みな)古(いにしえ)の聖人(せいじん)なり。吾(わ)れは未(いま)だ行(おこな)うこと有(あ)る能(あた)わず。乃(すなわ)ち願(ねが)う所(ところ)は、則(すなわ)ち孔子(こうし)を学(まな)ばん。

(※)伯夷……孤竹君の長子。弟の叔斉とともに中国、そして日本では潔癖な聖人とされてきて有名。父孤竹君は三男の叔斉をかわいがり、跡を継がせたかった。父が亡くなり、跡を継ぎそうになった伯夷は父の遺志に背けないと、東海の浜に逃げ隠れ隠居した。そして、叔斉も逃げ、君主は次男が継いだ。その後、二人は文王の徳を慕ってこれに仕えたが、文王の子武王が暴虐で知られていた殷の紂王を伐つことにした。二人は義に反するとして、これを止めたが聞き入れられず、武王に仕えることは義にもとるとして首陽山に隠れた。わらびを食していたが、ついに餓死する。伯夷と叔斉の二人がなぜこんなにも英雄視(聖人にみられている)のか不思議に思っていたが、司馬遷も『史記』の列伝第一巻で二人を書いている。小室直樹博士は、これについては、孔子に始まる儒教は、伯夷、叔斉のような善人に報いるのに何を用心するのか(神義論)という司馬遷の問題提起であるとされている。なお、その孔子は『論語』でこの二人についてたびたび触れるが、例えば、次のように言っている。「伯夷(はくい)、叔斉(しゅくせい)は、旧悪(きゅうあく)を念(おも)わず。怨(うら)み、是(ここ)を用(もっ)て希(まれ)なり」(公冶長第五)。
(※)伊尹……殷の湯王を助けて夏の桀王を伐ち、民を悪政から救ったとされる伝説の政治家。あとに出てくる万章(上)第七章、尽心(上)第三十一章でも詳しく論じられている。これらでも、孟子が伊尹を高く評価していたのがよくわかる。なお、『孫子』にも「昔(むかし)、殷(いん)の興(おこ)るや、伊摯(いし)、夏(か)に在(あ)り」(用間篇)とある。伊摯とは伊尹のことである。このように孫子は伊尹を反間(逆スパイ。この場合は敵国夏に入り込んだ殷のスパイ)と見ていた。

【原文】
曰・伯夷、伊尹何如、曰、不同道、非其君不事、非其民不使、治則進、亂則退、伯夷也、何事非君、何使非民、治亦進、亂亦進、伊尹也、可以仕則仕、可以止則止、可以久則久、可以速則速、孔子也、皆古聖人也、吾未能有行焉、乃所願、則學孔子也。

 

2‐11 孔子ほどの人は出現していない


【現代語訳】
〈前項から続いて〉。(公孫丑はさらに質問した)。「伯夷・伊尹と孔子は、同列ですか」。孟子は答えた。「いや、およそ人が生まれて以来、孔子のような人は出現していない」。公孫丑は聞いた。「では同じところはあるのですか」。孟子は答えた。「ある。百里四方の土地を得て、そこの君となったならば、三人とも、よく諸侯を朝見させて、天下をまとめるであろう。しかし、一つでも不義なことを行ったり、一人でも罪なき者を殺してまで、天下を得るなどということは、三人ともしない。この点は同じである」。

【読み下し文】
伯夷(はくい)・伊尹(いいん)の孔子(こうし)に於(お)ける、是(かく)の若(ごと)く班(ひと)しき(※)か。曰(いわ)く、否(いな)。生民(せいみん)(※)有(あ)りてより以来(いらい)、未(いま)だ孔子(こうし)有(あ)らざるなり。曰(いわ)く、然(しか)らば則(すなわ)ち同(おな)じき有(あ)るか。曰(いわ)く、有(あ)り。百里(ひゃくり)の地(ち)を得(え)て而(しか)して之(これ)に君(きみ)たらば、皆(みな)能(よ)く以(もっ)て諸侯(しょこう)を朝(ちょう)せしめ、天下(てんか)を有(たも)たん。一(いち)不義(ふぎ)を行(おこな)い、一(いち)不辜ふ(こ)(※)を殺(ころ)し、而(しか)して天下(てんか)を得(う)るは、皆(みな)為(な)さざるなり。是(こ)れ則(すなわ)ち同(おな)じ。

(※)班しき……同列。同じ。
(※)生民……人が生まれて。人類。
(※)不辜……罪のない者。

【原文】
伯夷・伊尹於孔子、若是班乎、曰、否、自有生民以來、未有孔子也、日、然則有同與、曰、有、得百里之地而君之、皆能以朝諸侯、有天下、行一不義、殺一不辜、而得天下、皆不爲也、是則同。

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著者

野中 根太郎

早稲田大学卒。海外ビジネスに携わった後、翻訳や出版企画に関わる。海外に進出し、日本および日本人が外国人から尊敬され、その文化が絶賛されているという実感を得たことをきっかけに、日本人に影響を与えつづけてきた古典の研究を更に深掘りし、出版企画を行うようになる。近年では古典を題材にした著作の企画・プロデュースを手がけ、様々な著者とタイアップして数々のベストセラーを世に送り出している。著書に『超訳 孫子の兵法』『吉田松陰の名言100-変わる力 変える力のつくり方』(共にアイバス出版)、『真田幸村 逆転の決断術─相手の心を動かす「義」の思考方法』『全文完全対照版 論語コンプリート 本質を捉える「一文超訳」+現代語訳・書き下し文・原文』『全文完全対照版 孫子コンプリート 本質を捉える「一文超訳」+現代語訳・書き下し文・原文』『全文完全対照版 老子コンプリート 本質を捉える「一文超訳」+現代語訳・書き下し文・原文』『全文完全対照版 菜根譚コンプリート 本質を捉える「一文超訳」+現代語訳・書き下し文・原文』(以上、誠文堂新光社)などがある。

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