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第78回

183〜185話

2021.07.13更新

読了時間

  「超訳」本では軽すぎる、全文解説本では重すぎる、孟子の全体像を把握しながら通読したい人向け。現代人の心に突き刺さる「一文超訳」と、現代語訳・原文・書き下し文を対照させたオールインワン。
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8‐1 自分自身を侮ると次には人が自分を侮るようになる


【現代語訳】
孟子は言った。「不仁者とは、ともに語り合うことなどできない。というのも、不仁者は、その危険となることを安全と思い込み、その災いを利益のあることだと思うからである。つまり、自分が滅んでしまうようなことを、それとは知らずに楽しんでいるのである。もし不仁者が私どもと、ともに語り合えるようになれば(自分の間違いに気づいて)、国が滅びることも、家を没落させることもないだろう。昔、ある子どもがこんな歌をうたっていた。『滄浪(漢水)の川の水が澄んだら私の冠のひもを洗おう。水が濁ったら私の足を洗おう』と。それを聞いた孔子は弟子たちに言った。『お前たち、あの歌をよく聞きなさい。水が澄んだら冠のひもを洗い、濁ると足を洗うという。これはすべて水自身が澄むか濁るかによるのである。決してほかのせいでそうなるのではない』と。確かにその通りで、人も自分自身を侮っていると、そのうち人から侮られるようになるものだ。家も必ず自分から破滅するようなことをするから、人もその家を破滅させるようなことをするようになる。国も国内の人が自らの国を攻撃する(暴政で民を苦しめるなどしていて)ようになると、ほかの国が自分の国を攻撃するようになる。『書経』の太甲篇にこうある。『天の与える災いはなんとか避けることができるが、自分が招いた災いは避けて生き延びることができない』と。これは以上のことを言っているのである」。

【読み下し文】
孟子(もうし)曰(いわ)く、不仁者(ふじんしゃ)は与(とも)に言(い)う(※)べけんや。其(そ)の危(あやう)きを安(やす)しとし、其(そ)の菑(わざわい)(※)を利(り)とし、其(そ)の亡(ほろ)ぶる所以(ゆえん)の者(もの)を楽(たの)しむ。不仁(ふじん)にして与(とも)に言(い)うべくんば、則(すなわ)ち何(なん)の国(くに)を亡(ほろ)ぼし家(いえ)を敗(やぶ)ることか之(これ)有(あ)らん。孺子(じゅし)(※)有(あ)り、歌(うた)いて曰(いわ)く、滄浪(そうろう)の水(みず)清(す)まば、以(もっ)て我(わ)が纓(えい)(※)を濯(あら)うべし。滄浪(そうろう)の水(みず)濁(にご)らば、以(もっ)て我(わ)が足(あし)を濯(あら)うべし、と。孔子(こうし)曰(いわ)く、小子(しょうし)(※)之(これ)を聴(き)け。清(す)まば斯(ここ)に纓(えい)を濯(あら)い、濁(にご)らば斯(ここ)に足(あし)を濯(あら)う。自(みずか)ら之(これ)を取(と)るなり、と。夫(そ)れ人(ひと)必(かなら)ず自(みずか)ら侮(あなど)りて、然(しか)る後(のち)人(ひと)之(これ)を侮(あなど)る。家(いえ)必(かなら)ず自(みずか)ら毀(やぶ)りて、然(しか)る後(のち)人(ひと)之(これ)を毀(やぶ)る。国(くに)必(かなら)ず自(みずか)ら伐(う)ちて、而(しか)る後(のち)人(ひと)之(これ)を伐(う)つ。太甲(たいこう)に曰(いわ)く、天(てん)の作(な)せる孼(わざわい)は、猶(な)お違(さ)くべし。自(みずか)ら作(な)せる孼(わざわい)は活(い)く(※)べからず、と。此(これ)の謂(いい)なり」。

(※)与に言う……ともに語り合う。なお、『論語』に次のようにある。「子(し)曰(いわ)く、与(とも)に言(い)うべくして之(これ)を言(い)わざれば、人(ひと)を失(うしな)う。与(とも)に言(い)うべからずして之(これ)と言(い)えば、言(げん)を失(うしな)う。知者(ちしゃ)は人(ひと)を失(うしな)わず、亦(ま)た言(げん)を失(うしな)わず」(衛霊公第十五)。人は話をしないとよく生きていけないが、語り合う人をよく選ばないといけないことを教えている。
(※)菑……災い。
(※)孺子……子ども。
(※)纓……冠のひも。
(※)小子……弟子たちを呼ぶ言葉。
(※)活く……避けて生き延びる。

【原文】
孟子曰、不仁者可與言哉、安其危而利其菑、樂其所以兦者、不仁而可與言、則何兦國敗家之有、有孺子歌曰、滄浪之水淸兮、可以濯我纓、滄浪之水濁兮、可以濯我足、孔子曰、小子聽之、淸斯濯纓、濁斯濯足矣、自取之也、夫人必自侮、而後人侮之、家必自毀、然後人毀之、國必自伐、然後人伐之、太甲曰天作孼、猶可違、自作孼、不可活、此之謂也。

 

9‐1 民の信頼を失えば天下を失う


【現代語訳】
孟子は言った。「夏の桀王や殷の紂王が天下を失ったのは、民を失ったからである。民を失ったのは、民の心を失ったからである。天下を得るには道がある。その民を得れば天下を得ることができる。その民を得るには道がある。その心を得れば民を得ることができる。その心を得るには道がある。民の欲するものを与え、これを集め、民の憎み嫌うことを施さないようにするだけのことである」。

【読み下し文】
孟子(もうし)曰(いわ)く、桀紂(けつちゅう)の天下(てんか)を失(うしな)うや、其(そ)の民(たみ)を失(うしな)えばなり。其(そ)の民(たみ)を失(うしな)う者(もの)は、其(そ)の心(こころ)を失(うしな)えばなり。天下(てんか)を得(う)るに道(みち)有(あ)り。其(そ)の民(たみ)を得(う)れば、斯(ここ)に天下(てんか)を得(う)。其(そ)の民(たみ)を得(う)るに道(みち)有(あ)り。其(そ)の心(こころ)を得(う)れば、斯(ここ)に民(たみ)を得(う)。其(そ)の心(こころ)を得(う)るに道(みち)有(あ)り。欲(ほっ)する所(ところ)は之(これ)を与(あた)え、之(これ)を聚(あつ)め、悪(にく)む所(ところ)は施(ほどこ)す勿(な)きのみ。

【原文】
孟子曰、桀紂之失天下也、失其民也、失其民者、失其心也、得天下有道、得其民、斯得天下矣、得其民有道、得其心、斯得民矣、得其心有道、所欲與之、聚之、所惡勿施爾也。

 

9‐2 七年の病に三年のもぐさを求める


【現代語訳】
〈前項から続いて孟子は言った〉。「民が仁政に喜び帰服することは、あたかも水が低いほうに流れていき、けものが広い野原に向かって走っていくように当然のことである。魚を淵のほうに追いやるのは、かわうそである。すずめを草むらのほうに追いやるのは、はやぶさである。殷の湯王や周の武王のほうに民を追いやったのは、夏の桀王と殷の紂王という暴政を行った王たち自身である。このように、今の時代においても天下の諸侯のなかで、もし仁政を好んでやるものがいたら、ほかの諸侯は民をそちらのほうに追い立てることになろう。そうなると、いくら王者になりたくないと思ってもそれはできないということにもなる。今の時代において王になりたいと思っている者は、七年も長く患って病人が(お灸をすえるため)三年もかわかした良いもぐさを求めるようなもので、急に手に入れることはできないのである。だからといって、今からでも、このもぐさを蓄えようとしないと、一生かかっても得られなくなる。同じように今からでも仁を志さないと、王者になれないどころか、一生憂き目や辱しめを受けることになり、遂には死んでしまうことになるだろう(国は滅びてくことになるだろう)。『詩経』もこう言っている。『今の行いはどうして良いと言えよう。お互いに引き連れ合って、水に溺れていくようなものだ』と。これは、以上述べたようなことを言っているのだ」。

【読み下し文】
民(たみ)の仁(じん)に帰(き)するや、猶(な)お水(みず)の下(ひく)きに就(つ)き、獣(けもの)の壙(こう)(※)に走(はし)るがごときなり。故(ゆえ)に淵(ふち)の為(ため)に魚(うお)を敺(か)る(※)者(もの)は、獺(だつ)なり。叢(くさむら)の為(ため)に爵(すずめ)(※)を敺(か)る者(もの)は、鸇(せん)(※)なり。湯(とう)・武(ぶ)の為(ため)に民(たみ)を敺(か)る者(もの)は、桀(けつ)と紂(ちゅう)となり。今(いま)、天下(てんか)の君(きみ)、仁(じん)を好(この)む者(もの)有(あ)らば、則(すなわ)ち諸侯(しょこう)皆(みな)之(これ)が為(ため)に敺(か)らん。王(おう)たること無(な)からんと欲(ほっ)すと雖(いえど)も、得(う)べからざるのみ。今(いま)の王(おう)たらんと欲(ほっ)する者(もの)は、猶(な)お七年(しちねん)の病(やまい)(※)に三年(さんねん)の艾(もぐさ)(※)を求(もと)むるがごときなり。苟(いやしく)も蓄(たくわ)えざるを為(な)さば、終身(しゅうしん)得(え)ず。苟(いやしく)も仁(じん)に志(こころざ)さずんば、終身(しゅうしん)憂辱(ゆうじょく)して、以(もっ)て死亡(しぼう)に陥(おちい)らん。詩(し)に云(い)う、其(そ)れ何(なん)ぞ能(よ)く淑(よ)からん。載(すなわ)ち胥(あい)及(とも)に溺(おぼ)る、と。此(こ)れの謂(いい)なり。

(※)壙……広野。
(※)敺る……追いやる。
(※)爵……すずめ。
(※)鸇……はやぶさ(隼)。鷹とする人もいる。なお、はやぶさと鷹の区別は難しい。
(※)七年の病……七年も長く患っている。
(※)三年の艾……三年かわかした良いもぐさ。もぐさは、灸治の材料となる。吉田松陰によると、「七年の病に、三年の艾」は、「古今(ここん)の格言(かくげん)なり」、とするが(『講孟箚記』)、通常は、『孟子』の名言の一つとされている。名言の意味は、「七年の長い患いにかかっていたから、はじめて、三年も乾燥した良い艾を求める。病が重いのに気づいてから慌てて良薬を求める。急場に臨んでからではどんなに良い方法をとっても効果はない、平生からの心構えが大切だということのたとえ」(『故事ことわざの辞典』小学館)。本章では、この名言の意味を重視して、普段から仁を志していないと間に合わなくなることを強調する説と、私が訳したように、普段から仁を志すことの大切さと同時に、今からでも(気づいたら)仁を志すようにならないといけないことも強調する説がある(吉田松陰も後者であり、「思い立ったが吉日」と述べている(前掲書)。

【原文】
民之歸仁也、猶水之就下、獸之走壙也、故爲淵敺魚者、獺也、爲叢敺𣝣者、鸇也、爲湯・武敺民者、桀與紂也、今、天下之君、有好仁者、則諸侯皆爲之敺矣、雖欲無王、不可得已、今之欲王者、猶七年之病求三年之艾也、苟爲不畜、終身不得、苟不志於仁、終身憂辱以陷於死兦、詩云何能淑、載胥及溺、此之謂也。

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著者

村上 健司

1968年、東京都生まれ。 全国の妖怪伝説地を訪ね歩くライター。 世界妖怪協会会員、お化け友の会世話役、古典遊戯研究会紙舞会員。 著書多数。

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