第117回
124〜126話
2020.06.17更新
「超訳」本では軽すぎる、全文解説本では重すぎる、菜根譚の全体像を把握しながら通読したい人向け。現代人の心に突き刺さる「一文超訳」と、現代語訳・原文・書き下し文を対照させたオールインワン。
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124 世の汚れた生き方を求めず、もともとの人間らしくありのままに生きたい
【現代語訳】
山菜は人の手による水やりなどの世話を受けず、野鳥も人の手で飼育されたものではない。しかし、その味は、風味があって味わい深くおいしい。私たち人間も世の汚れた生き方、名誉、利益を追い求めすぎず、間違った生き方を身につけなければ、品格、風格は格別に良いものとなろう。
【読み下し文】
山肴(さんこう)(※)は世間(せけん)の灌漑(かんがい)を受(う)けず、野禽(やきん)は世間(せけん)の豢養(かんよう)(※)を受(う)けず、其(そ)の味(あじ)皆(みな)香(かんば)しくて且(か)つ冽(れつ)(※)なり。吾人(ごじん)も能(よ)く世法(せほう)の点染(てんせん)すると所(ところ)為(な)らざれば、その臭味(しゅうみ)(※)逈然(けいぜん)(※)として別(べつ)ならずや。
(※)山肴……山菜。
(※)豢養……飼育。
(※)冽……味わい深くおいしい。冷たい。個性的。
(※)臭味……品格。風格。
(※)逈然……格別に。はるかに。なお、本項はその背景に儒教(特に『孟子』)のいわゆる性善説をうかがわせる。
【原文】
山肴不受世閒灌漑、野禽不受世閒豢養、其味皆香而且冽。吾人能不爲世法所點染、其臭味不逈然別乎。
125 いつも何かを学び取る姿勢がほしい
【現代語訳】
いわゆる山林の隠士が楽しむといわれている花や竹を植えたり、鶴とたわむれたり、魚を観賞したりするだけでなく、そこに何かを学び取る姿勢がほしいものだ。そうではなくて、ただいたずらに目の前の光景だけを見とれ、風景に心奪われているだけでは、我が儒学で言う「口耳の学」、釈尊の言う「頑固」であり、何の妙味もない。
【読み下し文】
花(はな)を栽(う)え竹(たけ)を植(う)え鶴(つる)を玩(もてあそ)び魚(うお)を観(み)るも、亦(ま)た段(だん)の自得(じとく)の処(ところ)有(あ)るを要(よう)す。若(も)し徒(いたず)らに光景(こうけい)に留連(りゅうれん)(※)し、物華(ぶつか)(※)を玩弄(がんろう)せば、亦(ま)た吾(わ)が儒(じゅ)の口耳(こうじ)(※)、釈氏(しゃくし)の頑空(がんくう)(※)のみ。何なんの佳趣(かしゅ)(※) 有(あ)らん。
(※)光景に留連……光景だけに見とれ。
(※)物華……風景。
(※)口耳……口耳の学。『荀子(じゅんし)』に「小人(しょうじん)の学(がく)や、耳(みみ)に入(い)りて口(くち)に出(い)で、財(わずか)に四寸(しすん)のみ、曷(なん)ぞ以(もっ)て七尺(ななすん)の軀(からだ)を美(び)にするに足(た)らんや」(勧学篇)とある。そこから「口耳の学」や「口耳四寸の学」という言葉が出ている。すなわち、聞きかじりの受け売りにすぎない学問のことをいう。
(※)頑空……本書の後集14条参照。
(※)佳趣……本書の後集123条参照。
【原文】
栽芲種竹、玩鶴觀魚、亦要有段自得處。若徒留連光景、玩弄物華、亦吾儒之口耳、釋氏之頑空而已。有何佳趣。
126 お金儲けのために悪徳商人になるくらいなら正しく生きて死んだほうが良い
【現代語訳】
いわゆる山林の隠士は、清貧ではあるが世俗を超越した暮らしを目指して趣が自然に豊かである。田畑で働く農民は、粗雑で田舎じみているが天真爛漫な素朴さがある。もし、お金持ちになって豊かに暮らしたくて、町にいるような悪徳商人になるくらいなら、飢えて溝や谷で野垂れ死にしたとしても、気概ある風格を清く持って生きたほうがましである。
【読み下し文】
山林(さんりん)の士(し)は、清苦(せいく)にして逸趣(いつしゅ)自(おの)ずから饒(おお)く、農野(のうや)の夫(ふ)は、鄙略(ひりゃく)(※)にして天真(てんしん)渾(すべ)て具(そな)わる。若(も)し、一(ひと)たび身(み)を市井(しせい)の駔儈(そかい)(※)に失(しっ)せば、溝壑(こうがく)(※)に転死(てんし)して神骨(しんこつ)(※) 猶(な)お清(きよ)きに若(し)かず。
(※)鄙略……粗雑で田舎じみている。飾り気がなく、ぞんざい。
(※)駔儈……ここでは悪徳商人。仲買人。
(※)溝壑……溝や谷。なお、『孟子』に、孔子の言葉として「志士(しし)は溝壑(こうがく)に在(あ)るを忘(わす)れず、勇士(ゆうし)は其(そ)の元(こうべ)を喪(うしな)うを忘(わす)れず」(万章下篇)とある。吉田松陰は「書(しょ)を読(よ)むの要(かなめ)は、是等(これら)の語(ご)に於(おい)て反復(はんぷく)熟思(じゅくし)すべし」(『講孟箚記(さっき)』)と述べる。実際、いわゆる幕末の志士たちの間では「溝壑に在る」という言葉はよく使われたようだ。
(※)神骨……気概ある風格。優れた風格。
【原文】
山林之士、淸苦而逸趣自饒、農野之夫、鄙略而天眞渾具。若一失身市井駔儈、不若轉死溝壑神骨猶淸。
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