第121回
あとがき
2020.06.23更新
「超訳」本では軽すぎる、全文解説本では重すぎる、菜根譚の全体像を把握しながら通読したい人向け。現代人の心に突き刺さる「一文超訳」と、現代語訳・原文・書き下し文を対照させたオールインワン。
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あとがき
20年以上も前に、アメリカ西海岸の大学で経済学と日本文化を教えている慶應義塾大学出身の大学教授に言われたことがある。それは私が、日本人の美徳の一つに思っていて実践していた謙遜についてだった。
大学教授によると、「謙遜も、過ぎると嫌みになりますよ」というものであった。
その大学教授は、新渡戸稲造の『武士道』が大好きで、毎年正月には『武士道』を読んでいた。私もその『武士道』の信奉者であったためか、何かと意見が合った。ウマも合った。二人はよく、新渡戸稲造の古今東西を問わない博識と良識に感心し合ったものだ。
その新渡戸稲造が『菜根譚』を好きであるし、よく引用しているので(本文でも書いたが『武士道』のなかにも明らかに『菜根譚』の影響を感じるものもある)、当然私も読み出していた。すると、先の欠点をズバリ指摘される箇所があり、その見事さにうなってしまった。
『菜根譚』は、「謙譲は善行であるが、度を越すと馬鹿丁寧で堅苦しく、かえって相手に嫌な気持ちを起こさせるし、そこには何か魂胆があると推測される」(前集198条)と言っていた。『菜根譚』はあちこちで、ちょうど良いこと(孔子の言う「中庸」にあたる)を目指すことを述べている。これは難しいことだが、日々戒めておくことである。
また、その次の条にはだらしない私を叱って励ましてくれるものがあった。
「思い通りにいかないといって、くよくよするな。思い通りにいくからといって、良い気になるな。今が良いからといって、将来を安易に考えるな。初めに立ちはだかる困難の壁に気後れするな」(前集199条)。
こうして私は、たちまち『武士道』と並んで『菜根譚』もファンになった。新渡戸稲造の『武士道』は、日本の神道の他にも『論語』、『孟子』、仏教などが、日本の武士道の根源と見ている。『老子』はそこに明示はされていないが、国土や自然を愛すること、自分たちの文化を大事にすることなどの教えがたくさんあり(日本の神道や、仏教にも大きな影響を与えている。拙著『全文完全対照版 老子コンプリート』解説参照)、この意味でも日本人が『菜根譚』に共鳴し、読み続ける理由があると思える。
また、私が励まされたように、多くの読者も『菜根譚』に励まされてきたようだ。
辛口の評論でズケズケと古典でも批判した書誌学者の谷沢永一氏も、次のように述べている。
「人を励まし勇気づけ気力を譲し出させる主題の一貫性は、けだし世界に屈指の傑作ではあるまいか」
「まえがき」でも書いたように、中国古典でありながら、日本人にだけ愛されつづけた感のある『菜根譚』であるが、なぜ日本人に支持されつづけたかを考え、その理由と内容を私なりに六つの視点から次のようにまとめてみた。この六つの視点を持つ『菜根譚』は、まさに日本人のための人生訓の書であることがわかる。
第一は、日本人の最大の特徴である勤勉、誠実に仕事をし、勉強をすることによって、この社会に貢献していこうという姿勢である。
若いころ、私が東南アジアで仕事をしているときに思ったことは、日本人は中国人、韓国人などのアジア人、欧米人に比べて大した才能があるわけでないのに(むしろあまりないように見えた)、時間が経っていくと、だんだん地元の人々の信頼は厚くなり、結果を出していった。それは『菜根譚』が教えるように、不屈で前向きな精神を持ち、コツコツと努力を続けることで、長い目で見ると成果を生んでいくようになることからであったようだ。しかも、仕事自体を一緒に働く人たちと楽しんでいくのである。これも『菜根譚』の大事とする点である。
第二に、「道を守り、仁と義の人であれ」というところである。道を守るということは、自分が正しいとする判断は貫くということである。
組織の論理、理屈に忠実になりすぎるという日本人の欠点もあったが、だんだんにもっと広く国家的、世界的視野に立ち、何が正しいかを自分で考える人たちが増えてきた。それも『菜根譚』や『論語』、そして欧米の書などを自ら読み広く考えるという日本人の柔軟性と勉強好き(読書好き)がもたらしてくれている。『菜根譚』はこの姿勢によく合う書である。
第三に、他人への思いやり、優しさを持つという人生態度のすすめである。
前の第二に挙げた「仁」にもいえることであるが、他人や自然、宇宙、天に感謝し、他人に温かく接することで、その人も良くなり、自分も成長していくことを口酸っぱく述べている。まさに日本人の目指している人格と同じである。
第四に、生活自体は質素であるのが良いとしつつも、活気のあるそして、うるおいのある生活をすすめている。人生は長くて100年しかない。それを一日一日楽しく、喜びをもって生きようと提案する。仕事も人生も喜びと楽しみが必要であるとする。これからの日本人に要求されていることでもある。
第五に、自然を愛し、教養文化を愛していこうとする。これも日本人に備わっている性質そのものである。おそらく著者の洪自誠は、若い官僚の時代に政争に敗れ、追いやられるように田舎で、隠遁に近い生活をするようになった。そのためであるか、自然と文化教養を見直し、これらを愛し、楽しんでいこうとする。この思想は特に後集に多い。中国人とは思えない権力のある人、地位にある人にこびへつらうな、近づきすぎるなというアドバイスも自らの経験から来るものであろうが、日本人にはよく納得できることである(これは本国中国人と合わなかった最たるものであろう)。
第六に、自分の人生は自分が主役であり、自分で決めていくようにとする。決して人に左右される人生ではいけないとする。洪自誠は約500年前の人なのに(しかも、日本ではつい最近まで自分の人生より忠君を第一に考えていたところがある)、現代人が生きていく上で大切にすべきことを、このようにズバリと言ってくれる。
以上、六つの特徴を持つ『菜根譚』は、これからも日本人が座右に置いて日々学び、自分たちの二度とない人生を充実させてくれるものである。
本書がその一助となれば幸いである。
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