第42回
解説(2)
2018.03.14更新
【 この連載は… 】 「超訳」本では軽すぎる、全文解説本では重すぎる、孫子の全体像を把握しながら通読したい人向け。現代人の心に突き刺さる「一文超訳」と、現代語訳・原文・書き下し文を対照させたオールインワン。
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二、孫子の成立と展開
兵法書の孫子については、約二千五百年前の孫武の著なのか、孫武の子孫で約百数十年後に活躍した孫臏(びん)の著なのかで、長らく説を二分する争いがあった。
かつては、どちらかというと孫臏説が有力となっていた。
ところが、一九七二年に、中国の山東省臨沂県(りんぎけん)銀雀山(ぎんじゃくざん)で前漢時代の墓から竹簡本が出土したことにより、情勢は大きく変化する。その中には現行の孫子十三篇があり、さらに孫臏自身の兵法書もあったのである。
こうして孫子は孫武によって書かれたものであるとの見方が定着した。
孫子の中には孫武が仕えた呉のことが書かれているが、そのことも孫武の著であることの証左であろう。
ただ、同じく約二千五百年前の孔子の言行録である『論語』のように、後世の信奉者たちによって書き加えられたり、修正された部分はあったのかもしれない。だからその成立については約二千五百年前とする立場から、約二千三百年前とする立場まで幅がある。
また、『三国志』で有名な英雄・曹操は、孫子の信奉者であるとともに、教養あふれる学者、詩人でもあったから、現行の十三篇は曹操が編集、整理したものであるとする見解もかつては有力であった。
しかし、これも曹操より前の時代の竹簡本の発見によって、現行の十三篇はそのままであったことがわかった。
先に述べたように、後世の人が書き加え、修正した可能性をまったく否定はできないものの、孫子十三篇を読むと、一つの大きな思想が有機的によくまとまっているので、大体において孫武の著作であることは間違いない。
とにかく、一文一文、一句一句に含蓄があり、何度読んでも感銘する内容である。著作全体は一つの大きな思想でまとまり、こんなものをまとめあげた孫武とは、どれだけ凄い人であったかを思い知らされる。
我が国においては、江戸時代の伊藤仁斎が論語を「宇宙第一の書」と評したが、孫子もそれにまさるとも劣らない書である。
論語は、中国およびその周辺の国にも影響を与え、特に日本人は武士道の教えの中に見事に取り入れ、血肉とした。それは新渡戸稲造がいうように日本人の大切にしていたものと合致していたからであろう。
これに対し孫子は、アジアのみならず、欧米にも広まりを見せ、今でも世界で最も優れた兵法書として輝いている。
逆に日本人は「はじめに」でも述べたように、一般庶民において論語のように孫子を血肉化してこなかった。ところが、第二世界大戦後、孫子は単に兵法書としての活用ではなく、企業活動や人生一般の処し方の指南書として注目を浴び、見直しが盛んになった。
今では、どこの書店でも孫子の本は論語以上に引っ張りだことなって、大きく展開されている。
約二千五百年前の書が、これほどの広がりを見せていることは奇跡である。奇跡ではあるが、その内容をよく吟味すると、それも大いに納得できるものであることがわかる。
イギリスの戦略研究家として名高かったリデル・ハートは次のように述べている。
「『孫子は最も古い戦争論として知られていて、その総合的な見方や理解の深さでこれを凌篤する著作は今日に至るまで現れていない』(『孫子 戦争の技術』サミュエル・ブレア・グリフィス著、漆嶋稔訳、日経BPクラシックス)」。
このように伊藤仁斎風にいえば、孫子は「永遠の世界第一の兵法書」と呼ぶにふさわしい書物なのである。
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