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第13回

食事は元ミシュランシェフが監修

2019.12.30更新

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 科学ジャーナリストが見た、注目のケア技法「ユマニチュード」の今、そして未来。『「絆」を築くケア技法 ユマニチュード』刊行を記念して、本文の第1章と、日本における第一人者・本田美和子氏インタビューを特別公開! 全18回、毎週月曜日(祝日の場合は火曜日)に更新します。
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ある日の特別食(嚥下食)。見た目にも趣向が凝らされている。

 

 テルトルが大きな力を入れているのが食事である。その中心になっているのがマルクさんだ。美食のガイドブック「ミシュランガイド」で星を獲得したレストランの料理長を18年務めたシェフで、テルトルを運営する法人の料理部門の責任者としてテルトルを含め6つの施設の食事を監督している。
 メニューは月に1回、入居者と作る食事委員会で意見を聞きながら5週間分を作成する。すべての食事は施設内で調理している。「素材は地元のもの、旬のもの、環境に負荷をかけていないものを使うように心がけています」とマルクさん。食べ物の好き嫌いがある入居者には、他に3種類の別メニューを用意しているという。
 この日の昼のメニューは、前菜がグレープフルーツサラダ、主菜が鶏肉の煮込み、グリンピースと人参添え、食後にチーズ盛り合わせとデザートのアップルパイ。夜は人参のポタージュ、ハムとパスタのグラタン、チーズと乳製品、果物のコンポート。
 マルクさんに工夫している点を聞いてみた。ソースを工夫すること、ジューシーさを保つこと、適度な加熱状態にすること、スパイスを多く使うことなどだという。肉を加熱しすぎることなく、繊維を食べやすくすることにも気をつけている。「高齢者は味覚が衰える。味や嚥下など、困っているところを解決することが大切です」とマルクさんは話す。「食事は施設では本質的に重要。スタッフも私が選んでいる。スタッフは私と仕事をすることを誇りに思ってくれています」。
 厨房のスタッフもできるだけホールに出て、入居者と接するようにしている。コック帽をかぶり、中央のオープンキッチンで料理を温めたり、テーブルを回って1人1人に「お食事はいかがですか」と声をかけている。シェフがいることを見せていくのだという。「日本でいい店に食事に行ったときと同じ。これこそフランス式の食事です。ユネスコの世界遺産をまさに実現している」とジネスト氏は評価する。
 テルトルの1日の食材費はフランスの施設の平均の2倍近い。ジャン-シャルルさんは言う。「空間や盛り付け、おいしさだけでなく、1人1人に寄り添っていくことを重視しています。口で食べていただくことが大切です」。介助しているうちに冷めてしまったときには、電子レンジで温め直して食べていただくなどの工夫もしているという。「フランス全体で栄養学的なレベルは高くなってきましたが、口の中に入らなければ意味がありません。食事の介助もかつては研修生やインターンにまかせていましたが、私たちは食事は重要な時間であり、その介助はプロの仕事だと考えています」。
 テルトルでは朝食は原則居室で食べることになっているが、希望すれば食堂でも可能だ。居室での朝食希望者にはコーヒーやジュース、パンを載せたトレイを滞在サービス担当のスタッフが届ける。食堂では、年2回ほど入居者が集まり朝食をみんなで食べるイベントを開催。その他に年1回、各区画ごとに入居者が集まり、スタッフも一緒に朝食を食べる交流イベントも行っている。昼と夜は食堂で食べるのが基本。自分の部屋で食べたいという人がいれば居室に届ける。
 普通の食事に加えてマルクさんが数年前から開発しているのが特別食だ。ミシュランシェフの技を生かし、手で食べられる料理や軟らかい料理を創作している。特別食でも普通食と同じ味を出すように工夫しているという。「料理の点で最も創造的になれるのが高齢者施設です」とジネスト氏。例を見せてもらった。白いお皿の上にゼリー食のようなものが3つ載っている。いわゆる嚥下食のようだが、驚くのはその見た目。色は黄、赤、白、形も直方体、円柱状、プリン状とそれぞれ異なり、まるでコースのフランス料理のデザートのようだ。別の例では、小さなグラスの中にムースや刻んだ食べ物が層状に積み重なって入っている。こちらも黄、白、ピンクと彩りがきれいで、カクテルサラダのよう。手で食べられるようにケーキ状にしたフィンガーフードはスコーンかマフィンのような形で、上部にはきれいな焼き目がついている。
 食に関する情報は、入居時に心理カウンセラーのサンドリーヌさんともう1人のスタッフが細かく聞き取る。「まず翌朝何を食べたいのか、好み、アレルギーなどを聞きます」。医療の情報と同じくらい、食事の情報を得ることを重視しているという。
 孤立しがちな人は食堂の隣にある「セラピーキッチン」や2階の交流サロンに招待し、食事をすることもある。アクティビティの一環として料理のワークショップも開く。ドーナツやパイなどのお菓子を作ったり、春節に春巻きを作ったり、ホットプレートでパンケーキを焼いて楽しむ。ボジョレーヌーボーの季節にはビュッフェ形式の食事とワインを楽しんだり、季節の良いときに外でバーベキューをしたりもする。サンドリーヌさんは言う。「食事は人と分かち合い、交流をする場です。それが実現できるように心がけています」。その観点から、スタッフも一緒に食べるようにしている。
「テルトルでは入居者のためにアクティビティをするのではなく、空間をアクティブにするという考え方をしています」とジャン-シャルルさん。施設内のいろいろな場所で日々何かが起き、そこに人が集うことで自然に交流が生まれるようにしているという。

 視察が終わった。テルトルでの視察中、日本の介護施設に勤務する参加者が言っていた。「住みたい。親を住まわせたい」。ジネスト氏もテルトルを高く評価していた。充実した施設、おいしい食事、優しいスタッフ。素人目にもテルトルには魅力があふれていると感じる。介護が必要でなくても住みたいくらい素敵な場所だ。
 私の感じたテルトルの最大の魅力は、コミュニティやケアの思想、それを実現する具体的なケアの技術を全スタッフで共有しているところだ。なにより驚いたのは、徹底したケアの品質管理である。スタッフの評価に象徴される品質管理への絶え間ない努力が、施設、食事、介助の質に体現されているのだろう。テルトルではそのケアの品質管理を、ユマニチュードの認証を活用して実現しているということなのではないか。ジャン-シャルルさんは言っていた。「私たちの仕事はケアをすること。それ以外にはない」。つまり、介護や看護をするスタッフだけでなく、ジャン-シャルルさんのような管理者、マルクさんのような料理人も含め、すべてのスタッフが「ケア」をしているということなのだ。
 2つの施設を比較すると、セコイアは家庭的、テルトルはホテル的だ。規模はほぼ同じ。入居者が1ヶ月に払う費用はセコイアが1900ユーロ、テルトルが2700ユーロでテルトルの方が高い。業界では「ホテルコスト」と呼ばれる滞在に関わるサービスの違いだろう。豪華さやサービスの充実度には違いを感じたが、どちらも同じような空気が流れていた。その空気を生み出すのは、自由や自律を尊重しようという気持ち、いまこの瞬間にともにいることを尊ぶ気持ちであると私は思う。介護が必要であったとしても、本人の意思や選択を徹底して尊重しようという姿勢。何歳であっても、身体機能や認知機能がどのような状態でも、入居者であっても職員であっても、ともに過ごす時間と関係を大切にしていこうという態度。それが施設の隅々、スタッフの振る舞いの1つ1つに行き渡っていることからくる清々しく、そして優しい空気がどちらにもあった。それこそがユマニチュードが醸し出すものなのかもしれない。

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著者

大島寿美子/イヴ・ジネスト/本田美和子

【大島寿美子(おおしま・すみこ)】 北星学園大学文学部心理・応用コミュニケーション学科教授。千葉大学大学院理学研究科生物学専攻修士課程修了(M.Sc.)、北海道大学大学院医学研究科博士課程修了(Ph.D)。共同通信社記者、マサチューセッツ工科大学Knight Science Journalism Felloswhipsフェロー、ジャパンタイムズ記者を経て、2002年から大学教員。NPO法人キャンサーサポート北海道理事長。 【イヴ・ジネスト】 ジネスト・マレスコッティ研究所長。トゥールーズ大学卒業。体育学の教師で、1979年にフランス国民教育・高等教育・研究省から病院職員教育担当者として派遣され、病院職員の腰痛対策に取り組んだことを契機に、看護・介護の分野に関わることとなった。 【本田美和子(ほんだ・みわこ)】 国立病院機構東京医療センター総合内科医長/医療経営情報・高齢者ケア研究室長。1993年筑波大学医学専門学群卒業。内科医。国立東京第二病院にて初期研修後、亀田総合病院等を経て米国トマス・ジェファソン大学内科、コーネル大学老年医学科でトレーニングを受ける。その後、国立国際医療研究センター エイズ治療・研究開発センターを経て2011年より現職。

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