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第2回

人間は「心」で生きている

2020.09.11更新

読了時間

  ブッダの教え(仏教)とは、私たちが「心」の正体を知って、心を正しく用いて、究極の幸福に達するための教え。ブッダが説いた「心」の仕組みをイラスト図解を交えてわかりやすく紹介します。
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人間は「心」で生きている


「心の中身」のお話を始める前に、まずは心の存在について考えてみましょう。

「心は、どこにあるの?」
「心って、何?」

 この質問に答えられる人は、はたしてどれくらいいるでしょう?
 おそらく、まともに答えられる人は、ほんのひと握りではないでしょうか。

 子どもに質問すると、
「心は脳にあるんだよ」
「ちがうよ、心は心臓にあるのさ」
 と答えるかもしれません。

「心がきれいな人」と言うけれど、「脳がきれいな人」「心臓がきれいな人」とは言いませんから、この答えは正解ではないようです。
 心は目に見えないからやっかいですね。
 何かにつけて「心は……」「心に……」と言っているのに、ほとんどの方は、心のことを何も知らないのです。

 あなたに最初に覚えておいてほしいのは、「私たちは心で生きている」ということです。
 なぜなら、私たちの行動のすべては、心が命令しているからです。
 はじめに述べたように、人間はごはんを食べないと死んでしまいますが、もし心がなければ、目の前にごはんがあっても食べることはできません。心がなければ、食べることはおろか、歩くことも話すこともできません。 

「心」を発見してみよう


「生きている」というのは、簡単に言えば“動いている”という意味です。
 次のように考えればわかりやすいでしょう。
 あなたの前に死体があると思ってください。人間の死体です。
 それは、ちょっと見るかぎりは眠っている人となんら変わりはありません。しかし大きなちがいがあります。それは、眠っている人は呼吸をしています。目覚めれば動きだし、ごはんも食べます。
 要するに、生きている身体は動くということです。
 逆に言えば、死体(死んでいる身体)は、何があっても動きません。死体は、ただの物体(モノ)だからです。
 生きている身体が動くのは、肉体に感覚があるからです。死体には感覚がないから、揺らしてもたたいても反応しません。
 生きている身体(感覚がある身体)は、動かないと苦痛を感じます。試しに、呼吸を止めてみてください。30秒も経たないうちに苦しくなります。それだけでなく、長い時間、立っていても、座っていても、あるいは寝ていても、苦痛を感じ、動かずにはいられなくなります。
 見る、聞く、嗅(か)ぐ、味わう、歩く、座る、寝る、食べる、話す、呼吸する、心臓が鼓動する、血液が流れるなど、すべてを総合して「生きる」というのです。それらの機能・働きは、すべて心が関係しています。

 心は考えることだと思っている人々もいるかもしれません。
 しかし、思考とは、心の働き・機能のごく一部にすぎないのです。

心が「命」である


 心とは、“生きるための機能=命”なのです。
 モノと生き物のちがいを、動くか、動かないかで区別できることはお話ししたとおりです。
 すなわち、心が活動して身体を動かしているのが「生き物=生命体」であり、心が活動していないのは「モノ=物体」ということです。
 これは、ブッダの教えを理解するうえで、最も大切な定義です。仏教は現象世界を客観的に、科学的に観察します。けっして感情的に美化したり、ごまかしたりしないのです。この定義をよく覚えておけば、仏教の智慧(ちえ)の世界へとスムーズに入っていけるでしょう。
 主観にとらわれて、物事を感情で見ているかぎり、私たちは苦しみの迷路から抜けられません。出口のない堂々巡り(輪廻(りんね))をくり返す結果になるのです。
 仏教では、世の中のすべての現象を科学的に観察することを教えます。感情や偏見で物事を歪曲しないように気をつけるのです。感情や偏見を持ちこまずに生命を観察するならば、「すべての命は平等である」とわかるのです。これはとても大切なポイントです。
 たとえば、ニワトリと人間は、ともに生き物です。「たかがニワトリ」という差別感や偏見を入れずに観察すれば、「心が活動している同じ命である」というありのままの事実が見えてくるのです。
 人間といっても、感覚機能がある物体です。ニワトリといっても、感覚機能がある物体です。客観的に見れば、差がないのです。
 しかし、心はそれぞれの物体を通じて活動しなくてはいけなくなっています。だから、人間という物体にできるすべてのことがニワトリという物体にも平等にできるわけではないのです。逆もまた然(しか)りです。
 心が機能する物体に差があるからといって、それで上下関係はつくれません。「船と車の間でどちらが尊いのか」と訊(き)くような質問になります。どちらも乗り物であり、移動手段なので平等です。したがって、すべての命は平等です。
 とはいえ、個々の生命は明らかにちがっていて多種多様な存在です。仏教心理学では、生命の多様性は“業(ごう)”などの因果法則によって成り立つのだと解説するのです。

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著者

アルボムッレ・スマナサーラ・著 いとうみつる・イラスト

アルボムッレ・スマナサーラ・著:スリランカ上座仏教(テーラワーダ仏教)長老。1945年、スリランカ生まれ。13歳で出家得度。国立ケラニヤ大学で仏教哲学の教鞭をとったのち、80年に国費留学生として来日。駒澤大学大学院博士課程で道元の思想を研究。現在、宗教法人日本テーラワーダ仏教協会で初期仏教の伝道と瞑想指導に従事し、ブッダの根本の教えを説きつづけている。朝日カルチャーセンター(東京)の講師を務めるほか、NHKテレビ「こころの時代」などにも出演。著書に『自分を変える気づきの瞑想法【第3版】』『ブッダの実践心理学』全8巻(藤本晃氏との共著、以上、サンガ)、『怒らないこと』『無常の見方』『無我の見方』(以上、サンガ新書)、『執着の捨て方』(大和書房)など多数。 いとうみつる・イラスト:広告デザイナーを経てイラストレーターに転身。ほのぼのとした雰囲気のなか、“ゆるくコミカル”な感覚のキャラクターが人気。おもな著書は、『栄養素キャラクター図鑑』をはじめとするキャラクター図鑑シリーズ(日本図書センター)、『ベニクラゲは不老不死』(時事通信社)、『こどもおしごとキャラクター図鑑』(宝島社)、『キャラ絵で学ぶ!仏教図鑑』、『キャラ絵で学ぶ!神道図鑑』(すばる舎)ほか多数。

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