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よみものどっとこむ

第1回

プロローグ

2016.08.03更新

読了時間

【 この連載は… 】 2年間、寝たきりだった人が立ち上がり、自分の足で歩き出す。「ユマニチュード」とはいったい何なのか、「奇跡のような」効果が生まれるのはなぜなのか? 開発者本人の語り下ろしによる書籍刊行を記念して、本文の抜粋を5回にわたって連載!


プロローグ


 2014年2月、私は北関東にある介護施設を訪ねました。そこには12年前に認知症と診断された高齢者の男性がいました。彼は2年前に脚を骨折してしまい、それ以来寝たきりの状態です。ケアをする施設の人たちは、彼が立ったところをもう2年も見ていません。


 私はゆっくり近づいて膝を折り、車椅子に乗った彼の目の高さまで腰を下ろし、手を差し伸べました。それから日本語で「こんにちは。私はイヴです」と挨拶しました。彼は微笑みました。私は正面から見つめます。そして彼に立つことを提案してみます。


「あちらからだと外がよく見えますよ。天気もいいですし、あそこまで歩いてみましょう」


 無理に立ち上がらせたりはしません。まず彼の腕にそっと触れます。ぎゅっと掴むのではなく、あくまで本人が動こうとする意思を尊重して下から支えます。しっかり支えたことを確認し、彼の重心を移動させました。彼はまるで毎日そうしているようにとても自然に立ち上がり、歩みを進めました。


 彼の口から驚きの声が漏れました。それにも増して声をあげたのは、後ろに控えていた介護士の女性で、彼女は顔を覆って泣きはじめたのです。

「イチ、ニ、イチ、ニ」と私は声をかけ、それに合わせて彼は足を前へ出します。その顔はとても誇らしげです。男性は最後にピースサインを出して私を見送ってくれました。私が彼と過ごした20分間に起きた出来事です。


 これをもたらしたのがユマニチュードです。そして、これからこの本の中で、私はこの介護士の涙の意味を考えていきたいと思います。


 ユマニチュードとはフランス語で「人間らしさ」を意味します。日本人にとっては聞き慣れないこの言葉は、元を正せばネグリチュードという、フランスの黒人の詩人エメ・セゼールが提唱した概念に由来します。セゼールは「ネグル」(Nègre)という黒人奴隷を意味する言葉から「ネグリチュード」という言葉を生みました。「ネグル」とは本来は侮辱的な言葉ですが、そこから生まれたネグリチュードは、「アフリカらしさ・黒人らしさ」を示すと同時に、「黒人の文化がどれだけ人類に多くのものをもたらしているか」を誇りに感じる思いを含んでいます。


 さらに、この言葉には「アフリカらしさ・黒人らしさ」を「取り戻す」意も含まれます。セゼールは「ネグリチュード」という語をつくり出すことによって、黒人が尊厳を自ら感じることができるようにしたのです。それに倣うとすれば、ユマニチュードは、「人間らしさを取り戻す」ことも含んでいます。私はロゼット・マレスコッティとともにこの哲学の実践に取り組んできました。ユマニチュードというアイデアにピンとこない人もいるかもしれません。「私はもう人間なのに、どうして人間らしさを取り戻す必要があるんだろう?」


 私たちは人間です。人らしく生きて死んでいくあいだに、愛し愛され、人間らしく人生を満喫したい。誰しもそう願っています。人らしさとは何でしょう。人間はただ生まれてきただけでは人間にはなれません。誰かから必要とされ、「あなたは人間です」「あなたのことが大事だ」と尊重されることによって、初めて人間らしさを獲得し、人間の社会に属することができるのです。


 しかしながら、世の中にはつらい人生を歩まざるを得なくなっている人がたくさんいます。仕事を失ったり、愛されなかったり、暴力を振るわれた人たちは孤独の淵に追いやられてしまいます。そういう人だけが社会的な絆を失ったわけではありません。ホームレスや障害者、高齢者、認知症の人もまた社会の隅に追いやられています。彼らは「他の人たちから認められていない」と感じています。この周囲から孤立した状態を、私は「ユマニチュードの絆が断たれた状態」であると考えます。


 ユマニチュードは認知症の人や高齢者に限らず、ケアを必要とするすべての人に向けたコミュニケーションの哲学であり、その哲学を実現させるための技法です。「見る」「話す」「触れる」「立つ」という人間の持つ特性に働きかけることによって、ケアを受ける人に「自分が人間である」ということを思い出してもらいます。そして、これが言葉によるコミュニケーションが難しい人とのあいだにも、ケアを通じて絆を結ぶことを可能にします。

ユマニチュードはあらゆるポジティブな関係を築く上での、技術的な解決と哲学的な解明を私たちにもたらすのです。


 ユマニチュードの実践によって、看護師や介護士に攻撃的とみなされていた患者がケアを受け入れるようになったり、言葉を発することがなくなった認知症の高齢者が再び話すようになったり、寝たきりだった人が再び立てるようになることがあります。その劇的な変化はときに「魔法のよう」「奇跡」と言われたりします。


 しかし、ユマニチュードは魔法でも奇跡でもありません。ただ、ケアを通じて相手に対して、「あなたはここにいます」「あなたは大切な存在です」「あなたの存在を誰も否定することはできません」と伝えるのです。私たちの眼差し、私たちの言葉、私たちの手によって、その人は自分が唯一の存在と感じ、自分が尊重されていると感じることができます。

ユマニチュードとは、「あなたは私と同じ価値を持っています」と相手に伝える、一連の一貫した哲学とそれを実現させる技術なのです。


 人間は根本的に、生きるためにまず相手を必要とします。誰も他の人との絆を断ってしまって一人で生きることはできません。この世界を生きる上で最も大切なことは、絆で互いが結ばれることです。ユマニチュードのケアは相手を認めることで、また相手から認められることで、人間は互いにとって贈り物であると伝えてくれます。


 よいケアは自由な二人の出会いそのものです。そして、自由であるためには、ケアをする人は自分の怖れを捨てなければなりません。私たちは自分の感情を正直に表現することを怖れています。相手に近づくことを怖れています。間違ったことをしていないだろうか。周囲はどう思うだろうか。そういう考えに囚われ、自由な振る舞いを自分に禁じているのです。


 怖れを捨てて、自由になること。私の感情のすべてをもって慈しみと愛を表現すること。恥ずかしさも複雑な感情も恐怖もない状態で発する言葉、眼差しは力強いものです。私たちは自分の態度を通して、ケアの中で「あなたは唯一の人間、自由な人間です」と伝え続けることができます。ケアを受ける人と私とのあいだには、ケアの瞬間、瞬間に強い関係性が結ばれ、相手は「自分は尊重されている」と感じることができます。

そのときに私たちは互いに依存し合える絆を結び、この人生を誇らしく、自分には価値があると思えます。そうして自律した人間として生きることができるのです。


 フランス革命は、自由、平等、友愛に基づく人権という概念を生み出しました。しかし、この概念を実現させるためには、さらなる革命が必要です。私たちが怖れを捨て、優しさを伝え、優しさを受け取る。これが、「ユマニチュード」という革命です。


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著者

イヴ・ジネスト/ ロゼット・マレスコッティ/本田美和子

【イヴ・ジネスト】ジネスト‐マレスコッティ研究所長。トゥールーズ大学卒業。体育学の教師で、1979年にフランス国民教育・高等教育・研究省から病院職員教育担当者として派遣され、病院職員の腰痛対策に取り組んだことを契機に、看護・介護の分野に関わることとなった。【ロゼット・マレスコッティ】ジネスト‐マレスコッティ研究所副所長。SASユマニチュード代表。リモージュ大学卒業。体育学の教師で、1979年にフランス国民教育・高等教育・研究省から病院職員教育担当者として派遣され、病院職員の腰痛対策に取り組んだことを契機に、看護・介護の分野に関わることとなった。【本田美和子(ほんだ・みわこ)】国立病院機構東京医療センター総合内科医長/医療経営情報・高齢者ケア研究室長。1993年筑波大学医学専門学群卒業。内科医。国立東京第二病院にて初期研修後、亀田総合病院等を経て米国トマス・ジェファソン大学内科、コーネル大学老年医学科でトレーニングを受ける。その後、国立国際医療研究センター エイズ治療・研究開発センターを経て2011年より現職。

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