第2回
初めての父子登山は冬の八ヶ岳
2022.03.10更新
進学、就職、生き方……。人生は岐路の連続。アルピニストの野口健さんと娘・絵子さんの対話を通じて、「自分の道」を見つけるとはどういうことなのか、を考えていく本が3月3日に刊行。本文から一部を特別公開します!
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初めての父子登山は真冬の八ヶ岳
健 絵子さんとふたりで本格的な登山に挑戦したのは、小学3年生のときの2月、冬の八ヶ岳に行ったときだった。
登山口で気温はマイナス17℃。僕も、一瞬どうしようかなとためらうくらいの寒さだった。山頂まで行くのはむずかしいだろうけれど、最初の2、3時間は樹林帯の森の中を登っていくので、風もそう強くはない。
樹林帯を抜けると黒百合ヒュッテという山小屋がある。そこまで行ってUターンしようと考えていた。絵子には言わなかったけどね。
絵子 あのときはとにかく寒かった。指先が氷のように冷たくなって、ヒリヒリして痛くなった。「指が痛い、指が痛い」と訴えても、お父さんは「痛い? 痛いという感覚があるなら大丈夫だよ。感覚がなくなったら、それは大変だ」とか言う。
健 凍傷になると痛さを感じなくなるからね、痛いなら大丈夫なんだよ。痛くなくなったら凍傷になる。凍傷がひどくなると、真っ黒くなって指がポロッと落ちる。だから、痛いうちは問題ないんだよ。
絵子 それ その言葉! 「痛くなくなったら指が落ちる」なんて怖い話をされて、もっと不安になった。
健 だけど、「指が痛い」ってビービー泣いているくせに、登山者がすれ違いざまに僕に気づいて「あっ、お嬢さんですか? がんばってね」と声をかけてきたら、「はい! がんばります!」って言いながらニコニコ愛想笑いしていたじゃない。
絵子 知らない人に、山に来て泣いているところを見られるのは恥ずかしいもの。
健 登山者の姿が見えなくなると、また泣きながら、僕の後ろを必死についてくる。どんなに泣いても僕が助けてくれないと思ってあきらめたのか、そのうち、ブツブツ何か言っているのが聞こえてきた。
「神さま、神さま、助けてください。パパは40年ぐらい生きているけど、絵子はまだ9年しか生きていない。絵子には明日が来ないかもしれない。ううん、今日の夜も来ないかもしれない」とか、空を見上げて言っていたよね。
絵子 よく覚えているよ。恐怖と闘いながら、天にもすがる思いで祈っていたの。指がポロリと落ちてしまうのもイヤだったし、死にたくなかったし。
健 樹林帯を抜けると雪が深くて、登山道でも絵子の腰ぐらいまである雪の中を這って抜けなければいけないところがあったりして、けっこう大変だった。
そしてようやく黒百合ヒュッテに着いて、「よし、今日はここまで。下りるぞ」と言って、山小屋でラーメンを食べた。
絵子 あのときのラーメン、おいしかった。体力的にも疲れていたし、泣き疲れてもいたし、心細くて不安で精神的にも疲れていた。「これで帰れる」という希望の光が見えてきたところで食べたということもあって、本当においしく感じた。
健 体が芯から冷えきっているし、エネルギーを使って疲労困憊だから、染み渡る。富士山の山頂で食べるおにぎりもうまいでしょ。あそこで食べるからこそのありがたみがあるんだよね。
下山は笑顔に
健 山小屋で、「していい無理」と「してはいけない無理」があるという話をしたね。
何かをやりとげるためには最大限の「していい無理」をしなければいけないけれど、それを超えて「してはいけない無理」に入ると危険、山では簡単に死ぬんだ。
数字の「8」の字を思い描いてみて。下の少し大きい○は「していい無理」、上の少し小さい○は「してはいけない無理」。その境目は紙一重。それを感覚的にとらえることが大事なんだよ。
絵子 うん。
健 今日は、この黒百合ヒュッテまでが、僕らの「していい無理」の限界なんだと。ここから先、なんとしてでも行こうとすると「してはいけない無理」になる。
だから、これで下りるよと言ったけれど、絵子はきょとんとした顔をしていたよね。それよりも、これで帰れるのがうれしいという気持ちでいっぱいだったんだろ。
絵子 正直そうだった。
健 僕も正直に言おう。心の中には「父子登山の初回にしては、ちょっとハードすぎたかもしれない」という気持ちがあった。絵子を泣かせたいと思って連れてきたわけじゃない。「帰る」と言っただけでこんなにうれしそうにしている。「もう山なんか二度とイヤだ」と言われることになるかもしれないな、と思っていた。
実際、あの登山の写真を見ると、行きは泣き顔ばかりだけど、帰りはニコニコしている。
絵子 子どもは正直だからね。本当に寒かったし、手も凍えそうでつらかったし、疲れたけれど、楽しい部分もあったよ。山小屋のラーメンもそうだし、あと、下山のときにお父さんの知り合いの登山者の人に出会って、ソリを借りてお父さんと一緒に滑ったでしょ。あれ、すごく楽しかった。
健 ああ、山のインストラクターをやっている知り合いの人と偶然、出会ったね。彼女がシリセード用の小さなソリをザックにぶら下げていて、「絵子ちゃん、これ使ってみる?」って貸してくれた。下山のための踏みしめられた雪道を、滑り台を滑るようにあれでサーッと滑ったときは、すごく喜んでいた。「山に来て、やっと喜んでくれた!」って僕もうれしくなった。
絵子 私にとってあのときの登山の記憶は、吹雪にのまれている自分と、ラーメンを食べている自分と、ソリで滑っている自分、この3つでできていると言っていいと思う。
娘の出した答え
健 麓に戻って、その晩は僕が定宿にしている渋御殿湯にもう一泊した。翌朝、宿の食堂のテレビから、昨日、山の遭難事故があったというニュースが流れてきた。
前日まさに僕らが登っていた八ヶ岳で山頂に向かっていた登山者が、悪天候で身動きが取れなくなって遭難したというニュース。捜索隊のヘリが飛んでいる映像が映って、遭難したふたりは亡くなって発見されたと報じていた。
僕らが下山しはじめたころに、山頂に向かって登っていったらしい。自分が行っていた山で同じ日に遭難者が出たというのは、絵子にとってちょっとショッキングだったかな?
絵子 びっくりしたね。昨日のあの山をもっと登っていった人が遭難しちゃったんだ、もしあのまま登っていたら、自分も死んじゃったかもしれないということが、リアルな実感としてあった。
健 ニュースを見ながら、絵子はぽつりと「してはいけない無理をしちゃったんだね」って言っていたよな。
絵子 うん、お父さんの言う「していい無理」と「してはいけない無理」という言葉が、そこで初めてよくわかった気がしたんだよね。
健 宿を出るときに、僕が「絵子さん、また、パパと山に登りますか?」と聞いたら、「なんでそんなことを聞くの?」と聞き返してきた。
「ですから、君はまた山に登りたいですかと聞いているんです」と言ったら、「だって、パパはまた一緒に行くって決めているんでしょ。それなのに、なんで聞いてくるの?」と言った。あれはどういう気持ちだったの?
絵子 お父さんは、自分でこうと決めたことは絶対やりたい人でしょ。また、私を連れて山に行くことを自分の中ではもう決めているのに、どうして私に選択肢があるようなことを言うのか、私がなんて答えようが同じじゃない、っていう気持ち。あのときの私としては、精いっぱいの反抗心だったと言ってもいいかもしれない。
健 あら、そうでしたか。だけど僕としては、絵子があそこで「もう山なんかイヤ」「パパと山に行きたくない」と言ったら、一緒に山に登るのはむずかしいかなと思っていたよ。遭難者が出たニュースもあったから、冬山の記憶がひょっとしたらトラウマになる可能性だってある。だから、「また登る気はありますか?」と聞いたわけだ。
絵子 つらかった記憶もあるけれど、同時に楽しかった記憶もできたから、自分的には全然トラウマというふうな記憶にはならなかったよ。
健 そうか、下山のソリの楽しさが大きかったかなあ。
絵子 ううん、ソリのことがなくても、お父さんが一緒に行きたいと思っているなら、また行ってもいいかな、という気持ちだった。
健 僕はそのあたりの絵子の気持ちが、まったくわからなかったんだよなあ。結局、「また山に登りたいですか?」の答えが聞けなかったなと思っていた。
それからなんとなく山の話に触れなくなって、数か月後に僕が講演でどこかに行っていたとき、絵子から携帯にメッセージが入った。
「キリマンジャロに登りたい」
いや、あれは本当にびっくりしたよ。
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