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第3回

共通の話題も、共有する時間も増えた

2022.03.17更新

読了時間

進学、就職、生き方……。人生は岐路の連続。アルピニストの野口健さんと娘・絵子さんの対話を通じて、「自分の道」を見つけるとはどういうことなのか、を考えていく本が3月3日に刊行。本文から一部を特別公開します!
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本格的な父子登山の始まり

 父子登山が本格化するのは、あのひとことがきっかけだった。何度も聞いているけれど、なぜ突然キリマンジャロだったの?

絵子 テレビで俳優さんが登っているのを観たんだよね。アフリカで一番高い山だけれど、けわしい山という感じに見えなくて、登山道も丘を歩いているような感じだったから、これなら自分にも登れそうと思ったから。

 絵子の人生初めての海外旅行はアフリカだったことも影響している?

絵子 そういえば、小学3年生のとき、エジプトでおばあちゃんに会ったよね。

 親父と離婚した僕の母ちゃんね。母ちゃんに会ったり、ピラミッドに行ったり、ナイル川クルーズしたり、僕が子どものころに住んでいたところに連れて行ったりして、けっこう濃いエジプト体験をしたでしょ。

絵子 したよね。「絵子にはエジプトの血も流れているんだから、ここも自分のふるさとの一部と思って、しっかり見ておきなさい」って言われた記憶がある。
キリマンジャロに惹かれた理由として、アフリカということをとくに意識していたわけではないけれど、心のどこかにまたアフリカに行きたいとか、アフリカの山に登ってみたいという気持ちがあったかもしれない。

 たしかにキリマンジャロは、そんなに登山技術を必要とする山ではない。時間をかけて登っていけば、技術を持たない登山者でも登れないこともない。ただ、歩く距離がとにかく長い。山頂が5895メートルと高度があるから酸素も薄いし、高山病にもかかりやすい。夏山のような暑さ、冬山のような寒さを一度に両方味わう山だ。そして頂上アタックの日には、17時間くらい歩きどおしになる。それだけの体力をつけないといけない。

絵子 お父さんは「本気か?」と聞いたよね。私は「本気です」と答えた。「だったら、キリマンジャロという目標達成のために、いろいろな山を登ってキリマンジャロに登れるだけの力をつけよう」と言われた。

 「これから数年かけてトレーニングするけどいいな」と言ったら「はい」と答えた。父子で登山をする明確な目標ができて、あそこから本格的な山歩きをスタートさせることになったわけだよね。
すべては絵子さんの「キリマンジャロに登りたい」から始まったんだ。

絵子 私は本気は本気だったけれど、そんなにすごい決心したようなつもりはなくて……。ただ、それまで自分は何年もかけて大きな目標に挑むということをしたことがなかったので、具体的な目標ができたことが楽しかった。

不快なことを体感する 

 普通、山歩きに人が求めるのは、自然の中で爽快な心地よさを味わうこと。だけど、僕らの目的はキリマンジャロに登れる体力と気力を養うことだったから、僕はあえて厳しくした。
ざんざん降りの雨の中、14~15時間かけて八ヶ岳を縦走したし、普通だったら中止するような悪天候の日によく行ったよね。

絵子 宿の女将さんが「本当にこの雨の中を行くの?」と心配してくれたこともあったね。

 すべて意味があったんだよ。雨の中を10数時間歩くというのは、相当不快なことだ。びしょ濡れになって、夏でも寒い。稜線に出たら、風も雨もビュービュー吹きつけてくる。寒さで唇の色が真っ青になる。そういう不快な経験をしておくことが大事なんだよ。肉体的苦痛と、精神的苦痛、どちらも経験しておくことで、自分の限界がどこかということが感覚としてわかるようになる。天気がいいときにだけトレーニングしていると、本番で悪天候に見舞われたときに人間はパニックを起こしてしまうから。

絵子 うん、わかる。

 縦走のときは、途中でほとんど休憩させなかったね。おにぎりを持っていって、食べるのも立ったまま食べるとか、休憩にしても数分だけ。
それから、歩くペース。調子がいいからといって最初に飛ばすと、必ずバテがくる。そのバテも経験したよね。あまり飛ばすと後で苦しいのは自分なので、自分でスピードをコントロールするようになる。
自分の体力や体調は、自分しかわからない。どうなると疲労困憊するのか、どうなるともう歩けなくなるのか。それを自分でつかむために、ひたすら歩かせた。
とくに、下山は足にくる。日が暮れて暗くなってから、ヘッドランプをつけて下りて来たりもした。栃木の那須連峰を縦走したときのこと、覚えている? 

絵子 あれも長かった。あのとき、暗がりの中で、初めて獣のにおいを嗅いだのを覚えている。お父さんが先を歩いていて、「ん? 獣のにおいがする」と言って、ボワーッとワイルドなにおいが鼻をついた。

 あれはおそらく熊だろうね。熊って体臭が強いから。

絵子 すごく怖かった。まわりに背の高い草が生えているところで、どこかに潜んでいてもまったくわからないから。

 最後、山を下りきったときはもうヘロヘロだった。帰りに焼肉を食べに行ったね。あのときの焼肉もおいしく感じたでしょ。日常生活での食事と、山から下りてきたときって感じ方が違う。山登りの魅力のひとつは、下りてきたときに日常生活との相違を感じることだよね。

絵子 疲れきって空腹なところにおいしいものが入ってくると、「ああ、生きている~」って感じがする。
逆に、山にいるときは、「もう疲れて登りたくない」という気持ちになったときも、「山を下りてから何を食べよう」といったことが活力になるよね。

 それはあるね。

絵子 ネパールでトレッキングしたときも、キリマンジャロに登ったときも、「日本に帰ったら、どこどこで何を食べたいね」と、ふたりでいろいろ挙げながら歩いた。食い意地が張っているのかな? 

 いや、ほかの人と登っているときもそうだよ。苦しいときは、「これを乗り越えたら、こんなご褒美が待っている」ってことを考えるものなんだよ。帰ってから実際に食べに行くとは限らないけど。乗り越えることができたことで、大きな満足感があるからね。

絵子 そうそう、そっちのほうが大きな満足なのよね。

共通の話題も、共有する時間も増えた

 中学進学で、絵子はイギリスの学校に行くことになったけれど、休みになって帰ってくると、都合をつけてふたりで山に登った。

絵子 その中学も、お父さんに「山に行かないか」と同じような調子で「イギリスの学校に行かないか」と言われたことがきっかけでしたけど……。

 まあ、その話はまたにしようね。

絵子 うん、ただひとつだけ今言わせて。
お父さんの提案がもとで、私はお父さんの母校である全寮制の学校に行くことにした。そのことで、お父さんと共通の話題ができた。話しやすくなったというのがあるのね。小学生のころは、お父さんと何を話したらいいかわからなかったけれど、中学生になってからは、山のこと、学校のこと、いろいろ話せるようになって、それはよかったなと思う。

 私立の学校だから、僕のころにいた先生が今も現役でいらしたりしてね。
あと、絵子も写真を撮りはじめたでしょ。僕は中学生のときに写真部だったという筋金入りの写真好きだから、共通の趣味ができた。

絵子 山に登って写真を撮って、お互いにこの写真はどうだとか、もっとこんなふうに撮ったほうがいいとか言うようになったね。
山が楽しいって思うようになったのは、あの中学生のころからだと思う。
ただ、お父さんのスケジュールに私はいつも振りまわされている。突然、「この日、山に行くぞ」とか言ってきて、私はあいかわらず逆らえなくて。「あ~あ、今日は本当なら友だちと遊ぶはずだったのに。山に登るような気分じゃないなあ」と思いながら、のこのこついていくようなこともありましたよ。

 いや、それもトレーニングのうち。想定外のことに柔軟に対応できるようにしなきゃいけないからね(笑)。
絵子の体力がしっかりついてきてからは、ネパールに行ってトレッキングをしたりもした。東南アジア最高峰、マレーシアのキナバル山にも登った。
キリマンジャロに行く前には、低酸素室で高地トレーニングもした。三浦雄一郎さんのオフィスに低酸素トレーニングルームがあって、そこで自転車を漕いだり、トレーニングをする。定期的に低酸素順応をしておくと、高山病のリスクが下がるから。

絵子 その低酸素トレーニングに通っていたときに、スタッフさんに「キリマンジャロは頂上から見る景色と朝日がものすごくきれいだよ、楽しんできて」って言われたの。
そのイメージを持ってキリマンジャロに行ったんだけど、まさかの……。あれも想定外でしたね。

 だから、人生は想定外の連続なんだよ。

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著者

野口絵子/野口健

【野口絵子】 2004年生まれ。父、野口健とともに幼いころより登山を始める。14歳でネパール・カラパタール峰(5,545m)に登頂。その後、東南アジア最高峰キナバル(4,095m)や、アフリカ大陸最高峰キリマンジャロ(5,895m)などに登頂。『日立 世界ふしぎ発見!』のミステリーハンターを務める。2022年現在、ニュージーランドに留学中。 【野口健】 アルピニスト。1973年、アメリカ・ボストン生まれ。亜細亜大学卒業。99年、エベレスト(ネパール側)の登頂に成功し、7大陸最高峰最年少登頂記録を25歳で樹立。以降、エベレストや富士山に散乱するゴミ問題に着目して清掃登山を開始。野口健環境学校など子どもたちへの環境教育や、ネパール大震災、熊本大震災の支援をきっかけに災害支援活動などにも取り組む。

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