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千年の読書 人生を変える本との出会い 三砂 慶明

第1回

特別寄稿「千年の物語」

2022.01.12更新

読了時間

現役の書店員、三砂慶明氏による本をめぐる考察。なぜ、本には人生を変えるほどの大きな力があるのか。働くこと、食べること、そして生きること――。本と人生との関わりを解き明かしていきます。『千年の読書』刊行を記念して、本文の一部を公開します。第1回は、本には未収録の特別寄稿!
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 この本を書いている途中に、引っ越しました。
 引っ越して良かったなと思えたのは、『源氏物語』に再会できたことでした。
 家の近所に紫式部のお墓があって、その前を通っていつも図書館に通っています。
 自然と源氏物語を手に取ろうという気分になって、読みはじめました。
 源氏物語は世界最古の長編小説といわれ、その後の日本文学の流れを決定づけた名作です。誰もが名前を知っている作品ですが、恥ずかしながら私が源氏物語を読んだ動機は不純でした。受験勉強のためです。古典文法が苦手で、教科書の内容がまったく頭の中に入ってこなかったので、現代語訳で暗記しようと高校の図書室を調べてみました。
 私の通っていた高校の図書室には、円地文子が現代語訳した新潮文庫がそろっていました。物語と内容を覚えるために一巻から順番に読みはじめましたが、実際に読んでみると、国語の授業で習った細切れの源氏物語とは違った源氏物語に出会うことができました。
 正直にいえば、円地文子の文体についていけないこともあって、内容を暗記することはできませんでしたが、なんだかすごいものを読んだ、その衝撃だけが体の底に残りました。
 いつか源氏物語を読み返そう。
 そう思って、大学に入って以降も何度となく手に取りました。
 最初の現代語訳、与謝野晶子をはじまりに、谷崎潤一郎、瀬戸内寂聴、橋本治、林望など、歴代最高の作家の言葉で綴られる物語の中にひたっていると、同じ物語を読んでいるとは思えない多様な広がりがあって、源氏物語の大きさを改めて痛感することができました。
 そして、ついに私は、私の源氏物語に出会うことができました。角田光代が訳した『源氏物語』です。映画化された『八日目の蟬』ではじめて角田光代の小説を読んで、その世界観に圧倒されました。続けて読んだ『ロック母』も鮮烈で、読み終わったあと、空の色が違って見えたのが印象的でした。学生時代から大好きな作家が、源氏物語を現代語訳してくれる。それだけでも幸せなのに、それが角田光代だったらどうなのか。源氏物語を訳すために、小説を書くのを止めて全身全霊を込めて取り組んだ源氏物語と聞いただけでも、読みたくなってしまいました。なにより誰もが知る最も有名な書き出しはどう訳されるのか。

 いつの帝(みかど)の御時(おんとき)だったでしょうか――。
 その昔、帝に深く愛されている女がいた。(『池澤夏樹=個人編集 日本文学全集04 源氏物語 上』河出書房新社)

 てらいもなく、平易で静かな文体で綴られる物語を読むにつれて、何もかもを忘れて源氏物語の世界観に没入することができました。
 私は、源氏物語を紫式部が書いた長編小説だと思い込んでいましたが、短編の名手でもある角田光代訳の「桐壺」「箒木」「空蝉」「夕顔」と読んでいって、考え方が変わりました。一つ一つが短編小説としても完成していて、作品として屹立している。作品がつなぎあわさっていくことで、より『源氏物語』としての物語の大きさが連鎖して拡大していく。紙が貴重な時代に、たった一人で、この広大な世界を描き出した紫式部という存在に強烈な興味を惹かれました。そして、この作品を書いた紫式部が、千年前にこの場所にいたんだと知ると感動も一入でした。

 読書について、本棚から考えていた時に、京都に引っ越したことは幸運でした。
 作品を生まれた場所で読みなおすと、目の前にある風景と作品が重なることがあって、そのときは本当に心底、本のある人生を生きていて良かったなと実感できます。

 本書のタイトルは、大学で国文学を専攻していた妻が名づけてくれました。
 図書館に通う道すがら、紫式部のお墓にお参りに行った時に妻と雑談していました。
 妻が更級日記を例に、源氏物語は約千年前に書かれた物語であり、読書というものの本質は、昔も今も何ら変わることがないのだと教えてくれました。

『千年の読書』という本書のタイトルは、いささか大袈裟かもしれません。
 でも、なぜ私たちの人生には本が必要なのか、を考えたときにこれ以上の言葉を見つけることはできませんでした。
 本書で紹介した本は、私が本棚で出会った本だけではありません。妻の本棚だったり、友人のポケットからはみだしていた本だったり、働いている書店のお客様から教えていただいたりと、人との出会いを通して読んだ本を数多く紹介しています。

 良い本に出会った時、私は同時に良い人にも出会っていました。
 私は、この本を書かせていただいて、はじめてそのことに気がつきました。私は、はじめ、本は自分一人で読むものだと思っていました。でも、実際は違っていました。私は、人との出会いを通して、本を読み、新しい言葉に出会ってきました。自分の本棚を見返して思うのは、そうして出会った本が、私の本棚の宝物になっていました。書店の本棚も、図書館の本棚も、カフェのブックスタンドも、それを選び、並べた人がいます。私が接した本の背後には、その本を紹介してくれた人がいたのです。
 人との出会いが、新しい本を連れてきてくれる。その連なりが千年以上も続いている。読書は孤独ではなく、私の前にも、後ろにも広大な世界が広がっている。私たち読者は、本を読むことで、自分だけの地図を少しずつ広げていくことができます。そして、本と読書の歴史を調べていてわかったのは、私たち読者が本を読むことを通して、実は作品世界そのものにも貢献してきたのだという事実でした。私たちが自分たちの愛する本を読み、かつ薦めるたびに、本と読書の世界を育てていくことができる。本と読書の魅力が少しでも広がればいいなと思って、この本をおくります。

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著者

三砂 慶明

1982年、兵庫県生まれ。大学卒業後、株式会社工作社などを経てカルチュア・コンビニエンス・クラブ株式会社入社。梅田 蔦屋書店の立ち上げから参加。これまでの主な仕事に同書店での選書企画「読書の学校」やNHK文化センター京都教室の読書講座「人生に効く! 極上のブックガイド」などがある。「WEB 本がすき。」(光文社)などで読書エッセイを連載。本と人とをつなぐ「読書室」主宰。

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