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千年の読書 人生を変える本との出会い 三砂 慶明

第4回

食べることからはじめる読書

2022.02.02更新

読了時間

現役の書店員、三砂慶明氏による本をめぐる考察。なぜ、本には人生を変えるほどの大きな力があるのか。働くこと、食べること、そして生きること――。本と人生との関わりを解き明かしていきます。『千年の読書』刊行を記念して、本文の一部を公開します。
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 子どものころからおいしい食べ物が大好きでした。小学生のときは誕生日がくると、母親にねだって買い物カート一杯につめこんだカップラーメンを買ってもらっていました。中学生になると今度はマクドナルドで、トレーの上に山盛りのフライドポテトとピラミッドのように積み上げたハンバーガーを頼んで、満面の笑みを浮かべていました。
 高校生になって本を読むようになり、食べ物には大盛り以外の楽しみがあることを知りました。はじめはどの本から読めばいいのかわからなかったので、図書館の本棚の「あ行」から読みはじめ、早速、「い行」で池波正太郎の『男の作法』に出会って、蕎麦の食べ方や寿司の頼み方を知りました。
 人生ではじめてアルバイトをして、自分で食べたいものが選べるようになると、開高健のグルメ小説『新しい天体』を読んで大阪の「たこ梅」に直行し、山口瞳の『行きつけの店』にいってみました。本には、料理の値段が書いていなかったので、果たして、私のアルバイト代で足りるのか、店の扉を開くときは勇気が必要でした。敷居の高そうな老舗の名店でも、ランチの値段は気さくだったので、以来、遠出するときは文豪の食エッセイを読んで、食べ歩きを楽しみました。
 大学に進学して上京することになり、JR中央線の古本屋をしらみつぶしに歩いていたら「古本酒場コクテイル」に出会って私の読書人生に革命が起きました。コクテイルでは、文学作品の中に描かれた料理を、実際に「文士料理」として味わうことができたのです。そのレシピは『文士料理入門』として読むこともできますが、お店にいけば武田百合子の茄子にんにく炒めや檀一雄の大正コロッケ、宇野千代の極道すきやきが食べられました。コクテイルに通うようになって、本は読むだけでなく、食べることからはじめることもできるのだと読書の幅が広がりました。

日本の食卓百年

 大正六(一九一七)年に創刊され、「主婦」という言葉を世に定着させた雑誌がありました。平成二〇年に休刊した『主婦之友』(昭和二九年『主婦の友』に改称)です。その百年の歴史を綴った『ニッポンの主婦100年の食卓』によれば、現在のように毎日、毎食違う料理が作られるようになったのは高度経済成長期以降です。それまでは、一汁一菜に一品があるかないかが一般の家庭の食卓でした。
 昭和初期は世界恐慌、満州事変、二・二六事件と戦争につきすすむイメージですが、その反面、台所は明るくなっていきます。
 昭和元(一九二六)年から一〇(一九三五)年ごろは、サラリーマンが急増し、『主婦之友』も百万部を突破します。台所も徳川時代の座式から、現在のような立ち流しに改装する家庭が増えました。
 高度成長期といわれる昭和二七(一九五二)年から四八(一九七三)年になると、敗戦でどん底だった日本は朝鮮戦争の特需景気で急成長します。「専業主婦」という言葉が誕生したのもこのころです。着たきりだった日本人が毎日、洗いたての服に着替えて、毎日違う献立の食事を作るようになりました。そして、この時代に誕生した料理こそが、私たちのよく知る「家庭料理」です。
 そもそも家庭料理は、戦後、国の主導ではじまりました。当初は、国民の栄養状態を改善させるための運動で、保健所などがさかんに「肉やチーズを食べよう」「油でいためよう」とアピールしますが、肉や乳製品、油になじみのない専業主婦たちはどう扱えばいいのかわかりませんでした。その悩みに応えたのが、主婦雑誌やテレビ番組の洋食の作り方指南です。
 昭和三〇年代は、テレビの創世期でもあり、日本テレビの「奥様お料理メモ」やNHKの看板料理番組「きょうの料理」の原型が生まれたのもこの時代でした。テレビを通してプロの技術が家庭にもちこまれます。岸朝子ら草創期の料理記者たちが、「誰が調理しても同じ味になるレシピ」を完成させ、手の込んだ家庭料理が広まっていきました。
 また昭和三〇(一九五五)年は、東芝が日本初の自動式電気釜を発売して家電革命を起こした年でもあり、生活様式にも大きな変化が起きました。昭和三一(一九五六)年の経済白書には「もはや『戦後』ではない」と記され、「三種の神器」(白黒テレビ、洗濯機、冷蔵庫)が家庭に普及しはじめます。皮肉なのは当時、革命的だった家電の導入が、女性の家事の時間を減らさなかったことです。むしろ、楽になった分だけ専業主婦たちは新しい仕事をふやしました。その一つが、手の込んだ家庭料理でした。手間をおしまずに時間をかける家事こそが愛情のあかしと考えられ、称揚されたのもこの時代の特徴です。雑誌やテレビでも、手をかけることこそが母親の愛情と繰り返し訴え、一九七〇年代に主婦雑誌の黄金期がおとずれます。毎日違う献立で、一汁三菜そろえるのがあるべき家庭料理の姿とされたのです。

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著者

三砂 慶明

1982年、兵庫県生まれ。大学卒業後、株式会社工作社などを経てカルチュア・コンビニエンス・クラブ株式会社入社。梅田 蔦屋書店の立ち上げから参加。これまでの主な仕事に同書店での選書企画「読書の学校」やNHK文化センター京都教室の読書講座「人生に効く! 極上のブックガイド」などがある。「WEB 本がすき。」(光文社)などで読書エッセイを連載。本と人とをつなぐ「読書室」主宰。

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