第23回
結婚
2018.08.16更新
【 この連載は… 】 「ALS(筋萎縮性側索硬化症)」という難病をご存知ですか? 意識や五感は正常のまま身体が動かなくなり、やがて呼吸困難を引き起こす指定難病です。2014年の「アイスバケツ・チャレンジ」というパフォーマンスで目にした方も多いでしょう。あれから約4年経過した現在、まだ具体的な解決法はありません。本連載では、27歳でALSを発症した武藤将胤さんの「限界を作らない生き方」を紹介します。日々、身体が動かなくなる制約を受け入れ、前に進み続ける武藤さん。この困難とどう向き合っていくのか、こうご期待!
「目次」はこちら
ALSと共に 2―未来へ
結婚
ALSと宣告を受けた2014年秋頃、僕はちょうど人生の大事な決断をしようとしていた。当時付き合っていた彼女に、プロポーズすることを考えていたのだ。
僕らは2013年の夏に知り合い、付き合いはじめた。早い段階から、僕には「この人と結婚したい」という気持ちがあった。だが、それは病名がわからないまま、少しずつ症状が進んでいた時期でもあった。
ALSとはっきり宣告を受け、自分がプロポーズしていいものか、大きな葛藤が生まれた。苦労をかけてしまうのは目に見えている。僕と歩む人生が、はたして彼女にとって幸せだろうか。
本当に悩んだ。
たとえ返事が「ノー」だとしてもいい、とにかく自分の気持ちをストレートに伝えよう、挑戦しないであきらめることはしたくない、と覚悟を決めた。
そして―僕は人生の伴走者を得た。
2015年5月5日、僕と木綿子は結婚した。
軽井沢で挙げた結婚式では僕はまだ自分で歩いてエスコートすることができたし、彼女の指にしっかりとリングをはめることもできた。
彼女を悲しませないためにも、絶対にこの病気に負けない。
立ちはだかる壁を越えて、越えて、越え続けて、ALSが治せるようになるまで生き抜くんだ、そう誓った。
© WITH ALS
実生活の苦悩
僕は、病気の進行が比較的ゆるやかなほうだ。とはいっても、徐々に動かなくなっていく部位は拡がっていった。
2015年1月1日、YouTube動画でALSであるとカミングアウトしたが、仕事上で病気のことを配慮してもらうのはイヤだったので、できるだけ症状に気づかれないようにしていた。しかし歩きにくくなりはじめると、それにも無理が出てきた。
今の仕事も好きだし、博報堂という会社も大好きだったが、どこかのタイミングで今の環境から離れることを考えなければならないと思うようになった。
これからやりたいことは、すでにクリアになっていた。広告マンとして培ったノウハウを活かしながら、ALSの認知・啓蒙啓発活動、ALSをはじめとする難病患者のための支援活動をする。そのための布石も打っていた。
両親、妹や弟、周囲の仲間たち、みんな僕のためにさりげないサポートをしてくれる。どれほど助かったかわからない。
だが、身体がどんどん動かなくなっていくというリアルな現実にもっともシビアに直面することになったのは、日常生活を共にしている妻だった。
箸が持てなくなってからはスプーンやフォークを使っていたが、やがて自分で口に運ぶことができなくなった。食べさせてもらわなければならない。
着替えも、自分では何ひとつできなくなった。
トイレのたびに、パンツの上げ下ろしもしてもらわないといけない。
入浴も、自分では何もできない。今でこそ体形がすっかり変わったが、かつての僕は身長178センチ、体重76キロと体格がいいほうだったので、その男を女性の力で動かすことは楽ではない。
自分も仕事をしながら、僕の身の回りの世話はどんどん増えていく。
妻に負担をかけていることはわかっているのだが、彼女だから僕は安心してすべてを委ねられるのだ。
そして相手が彼女だからこそ、僕は不満も吐露するようになった。
「木綿ちゃん、痛い。もう少し優しくしてくれない?」
「そうじゃなくてさ、こうしてほしいんだけど……」
僕の言葉に、一瞬固まる妻の動き。
感情が爆発して、そこから言い合いになることもあった。彼女が泣き出してしまうこともあった。
「ああ、僕は何やっているんだ、彼女を幸せにするんじゃなかったのか……」
激しいジレンマがあった。
それでもやってもらわなければならない日常は続く。
【単行本好評発売中!】
この本を購入する『KEEP MOVING 限界を作らない生き方』特設サイトはこちら
一般社団法人WITH ALS
ホームページ http://withals.com/
facebook https://www.facebook.com/project.withals/
Instagram https://www.instagram.com/withals_masa/
感想を書く