第10回
能爲第十
2018.12.17更新
日本人の精神世界に多大な影響を与えた東洋哲学の古典『老子』。万物の根源「道」を知れば「幸せ」が見えてくる。現代の感覚で読める超訳と、原文・読み下し文を対照させたオールインワン。
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能爲第十
10 物事にこだわらない自然な生き方がいい(玄徳のすすめ)
【現代語訳】
さまよう心を身体と一つ(道)に落ち着けて、それから(道から)離れないようにすることができるか。精気を集中して、しかも身体を柔らかくして、赤子のようになることができるか。不思議きわまりない心の鏡を洗い清めて、傷つけることのないようにすることができるか。人々を愛し、国を治めるのに、無為でいられるか。万物の変化に対して雌のように自然に受け止めて対応できるか。あらゆることをわかっていながら、何もわからないかのようにできるか。
物を生み出し、それを養い、物を生み出してもそれを自分のものとせず、恩恵を施しても見返りは求めず、長となっても支配しいばったりしない。以上が玄徳(奥深い本当の徳)というものである
【読み下し文】
営魄(えいはく)(※)を載(の)せ一(いつ)(※)を抱(いだ)きて、能(よ)く離(はな)るること無(な)からんか。気(き)を専(もっぱ)らにし柔(じゅう)を致(いた)して、よく嬰児(えいじ)ならんか。玄覧(げんらん)(※)を滌除(てきじょ)(※)して、能(よ)く疵(し)無(な)からんか。民(たみ)を愛(あい)し国(くに)を治(おさ)めて、能(よ)く無為(むい)ならんか(※)。天門(てんもん)の開闔(かいこう)(※)して、能(よ)く雌(し)たらんか。明白(めいはく)に四達(したつ)(※)して、能(よ)く無知(むち)ならんか(※)。
これを生(しょう)じこれを畜(やしな)い、生(しょう)ずるも而(しか)も有(ゆう)せず、為(な)すも而(しか)も恃(たの)まず、長(ちょう)たるも而(しか)も宰(さい)たらず。是(こ)れを玄徳(げんとく)と謂(い)う。
- (※)営魄……「営」は惑い・さまよえる、「魄」は魂の意。魂は精神をつかさどり、魄は肉体をつかさどるとされる。「『魄』は魂に比べて粗雑とされ、したがって惑いのなかにある」という(『老子』講談社学術文庫、金谷治著)。
- (※)一……「一」は老子のいう「道」のこと。益謙第二十二、法本第三十九参照。
- (※)玄覧……「玄」は奥深いこと。覧は「鑒(かん)」と同じで鏡のこと。
- (※)滌除……「滌除」とは洗い除くこと。我が国の民法でも法律用語として使われている。
- (※)能く無為ならんか……これを「能く以て知ること無からんか」とする説もある。原文を「能無以知乎」とする。訳は「人に知られないでいることができようか」などとなる。
- (※)天門の開闔……「天門」についての解釈は諸説ある。女性の生殖器とする説、耳目鼻口という感覚器官とする説、心の根源とする説などがある。本書では、女性の生殖器をもとにして万物を生み出す根源であると解した。「開闔」は聞くことと閉じること。
- (※)四達……あらゆることに通じていること。
- (※)能く無知ならんか……これを「能く以て為すこと無からんか」とする説もある。原文を「能無以為乎」とする。訳は「何もしないでいることができようか」などとなる。
【原文】
能爲第十
載營魄抱一、能無離乎。專氣致柔、能嬰兒乎。滌除玄覽、能無疵乎。愛民治國、能無為乎。天門開闔、能爲雌乎。明白四逹、能無知乎。
生之畜之、生而不有、爲而不恃、長而不宰、是謂玄德。
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