第15回
顯德第十五
2018.12.25更新
日本人の精神世界に多大な影響を与えた東洋哲学の古典『老子』。万物の根源「道」を知れば「幸せ」が見えてくる。現代の感覚で読める超訳と、原文・読み下し文を対照させたオールインワン。
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顯德第十五
15 満ちていっぱいにならないから、どんどん新しく生まれてくる
【現代語訳】
昔の立派な士(「道」に通じようとしている人)というのは、微妙な優れたはたらきで奥深いところに通じていて、その深さは計り知れない。だが、強いてその姿を述べてみたい。
ためらいつつ冬の冷たい川を渡るときのように慎重で、念には念を入れて四方の敵を恐れるように注意深くて、きりっとしていて威儀を正した客のように立派で、なごやかで素直なことは氷が溶けるときのようであり、素朴であることはまだ削っていないあら木(加工する前の純木)のようであり、広々として無心でいることは谷のようであり、何でも併せ吞むことは濁にごり水のようである。
誰が濁ったものを静かにして、だんだんと澄ましていくことができるのか。誰が安定しているものを動かしてものをだんだん生み出していけるのか。
この「道」を保っている人は、満ちていっぱいになることを望まない。いっぱいになることをしないからこそ、だめになってもまた新たにできてくるのだ。
【読み下し文】
古(いにしえ)の善(よ)く士(し)たる者(もの)は、微妙(びみょう)にして玄通(げんつう)し、深(ふか)くして識(し)るべからず。夫(そ)れ唯(た)だ識(し)るべからず、故(ゆえ)に強(し)いてこれが容(よう)を為(な)す。
予(よ)として(※)冬(ふゆ)に川(かわ)を渉(わた)るが若(ごと)く、猶(ゆう)として四隣(しりん)を畏(おそ)るるが若(ごと)く、儼(げん)(※)として其(そ)れ客(きゃく)の若(ごと)く、渙(かん)(※)として冰(こおり)の将(まさ)に釈(と)けんとするが若(ごと)く、敦(とん)(※)として其(そ)れ樸(ぼく)(※)の若(ごと)く、曠(こう)として其(そ)れ谷(たに)の若(ごと)く、混(こん)として其(そ)れ濁(にご)れるが若(ごと)し。
孰(たれ)か能(よ)く濁(にご)りて以(もっ)てこれを静(しず)かにして徐(おもむ)ろに清(す)まん。孰(たれ)か能(よ)く安(やす)らかにして以(もっ)てこれを動(うご)かして徐(おもむ)むろに生(しょう)ぜん。
此(こ)の道(みち)を保(たも)つ者(もの)は、盈(み)つるを欲(ほっ)せず。夫(そ)れ唯(た)だ盈(み)たず、故(ゆえ)に能(よ)く蔽(やぶ)れて而(しか)も新(あら)たに成(な)る。
- (※)故能蔽而新成……「而」を「不」とする説も有力。しかし、文章の流れからすると「不」ではおかしくなる。おそらく「而」と「不」はよく混同されるので、「不」とする考え方があったと思われる。
- (※)予として……ためらって。ぐずぐずして。
- (※)儼……威厳のあるさま。きりっとしている様子。
- (※)渙……こだわりのないさま。なごやかで素直。
- (※)敦……素朴、飾り気がないこと。
- (※)樸(ぼく)……「はく」とも読む。あら木。切り出したばかりで、まだ何も加工していない純木。
【原文】
顯德第十五
古之善爲士者(※)、微妙玄通、深不可識。夫唯不可識、故強爲之容。
豫兮若冬涉川。猶兮若畏四鄰、儼兮其若客、渙兮若冰之将釈、敦兮其若樸、曠兮其若谷、混兮其若濁。
孰能濁以靜之、徐淸。孰能安以動之、徐生。
保此道者、不欲盈。夫唯不盈、故能蔽而新成(※)。
- (※)古之善爲士者……「士」を「道」とする説もある。士とは、ここでは老子のいう道に通じようとしている人を指していると解する。
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