第25回
象元第二十五
2019.01.09更新
日本人の精神世界に多大な影響を与えた東洋哲学の古典『老子』。万物の根源「道」を知れば「幸せ」が見えてくる。現代の感覚で読める超訳と、原文・読み下し文を対照させたオールインワン。
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象元第二十五
25 万物の一つの存在である人間は「道」にしたがって生きると偉大な存在となる
【現代語訳】
ものが混じり合って一つになったものが、天地より先に生まれている。それは声もなく形もなく、ただそれだけで独立していて、変化することもなく、あまねくゆきわたって止(とど)まることがない。それはこの世界の母というべきものである。
私はその名を知らないが、仮に字をつけて「道」と呼び、強いてこれを名づけて「大」ということにしよう。大は大であればどこまでも進んで行き、遠くまで行き、遠くまで行くと、また返ってくる。
このように「道」は大であり、天も大であり、地も大であり、王も大である。この世界には四つの大があり、王もその一つを占めている。
人は地と一体化し、地は天と一体化し、天は「道」と一体化し、「道」は自らの自然のはたらきと一体化する。
【読み下し文】
物(もの)有(あ)り混成(こんせい)(※)し、天地(てんち)に先(さき)だちて生(しょう)ず。寂(せき)たり寥(りょう)たり、独立(どくりつ)して改(あらた)まらず、周行(しゅうこう)して殆(とど)まらず。以(もっ)て天下(てんか)の母(はは)と為(な)すべし。
吾(わ)れ其(そ)の名(な)を知(し)らず、これに字(あざな)して道(みち)と曰(い)い、強(し)いてこれが名(な)を為(な)して大(だい)と曰(い)う。大(だい)なれば曰(ここ)に逝(ゆ)き、逝(ゆ)けば曰(ここ)に遠(とお)く、遠(とお)ければ曰(ここ)に反(かえ)る。
故(ゆえ)に道(みち)は大(だい)なり、天(てん)は大(だい)なり、地(ち)は大(だい)なり、王(おう)も亦(ま)た大(だい)なり。域中(いちゅう)に四大(しだい)(※) 有(あ)り、而(しか)して王(おう)は其(そ)の一(いつ)に居(お)る。
人(ひと)は地(ち)に法(のっと)り、地(ち)は天(てん)に法(のっと)り、天(てん)は道(みち)に法(のっと)り、道(みち)は自然(しぜん)に法(のっと)る(※)。
- (※)混成……いろいろなものが混じり合って一つのものを構成していること。老子はこれを「道」と名づけているように、混成=カオスでない(カオスと表現するのは誤解を招くので上記のように解する)。
- (※)四大……「道」「天」「地」「王」。これは老子独特の考え。なお、ここで王とは「道」を体得した理想の人のことを代表してそう呼んでいる。
- (※)道は自然に法る……「道」は自らの自然のはたらきと一体化する。何か自然が「道」より高い次元にあるような表現法にもとれるが、そうではあるまい。「『道』は至上であって、そのはたらきは自然である。つまり、他の何物かによってそうであるのではないと解さなければならない」(『世界の名著4 老子・荘子』中央公論社、小川環樹編)。同じく蜂屋邦夫氏も「『道』のはたらきが『自然』にほかならない、と考えてよいだろう。『道』はつまり自分自身が模範なのであり、窮極のものである」(『老荘を読む』講談社現代新書、蜂屋邦夫著)としている。
【原文】
象元第二十五
有物混成、先天地生。寂兮寥兮、獨立不改、周行而不殆、可以爲天下母。
吾不知其名、字之曰衜、強爲之名曰大。大曰逝、逝曰遠、遠曰反。
故道大、天大、地大、王亦大。域中有四大、而王居其一焉。
人法地、地法天、天法道、道法自然。
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