第26回
重德第二十六
2019.01.10更新
日本人の精神世界に多大な影響を与えた東洋哲学の古典『老子』。万物の根源「道」を知れば「幸せ」が見えてくる。現代の感覚で読める超訳と、原文・読み下し文を対照させたオールインワン。
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重德第二十六
26 軽率でさわがしい行動をすると多くを失う
【現代語訳】
重いものは軽いものの根本(支え)となり、静かな者はさわがしい者の君主となる(支配する)。
だから「道」と一体となっている聖人は一日中行軍しても輜重車(しちょうしゃ)から離れず、立派な家にいても、安らかにくつろいで心を動かさない。どうして万乗の大国の君主たる者、その身を世の中のことより軽くしてよいものだろうか。
軽がるしくすれば、根本の立場を失い、さわがしければ、君主としての位を失ってしまう。
【読み下し文】
重(おも)きは軽(かろ)きの根(こん)たり、静(しず)かなるは躁(さわ)がしきの君(きみ)たり。
是(ここ)を以(もっ)て聖人(せいじん)(※)は、終日(しゅうじつ)行(ゆ)きて輜重(しちょう)を離(はな)れず。栄観(えいかん)(※) 有(あ)りと雖(いえど)も、燕処(えんしょ)(※)して超然(ちょうぜん)たり。奈何(いかん)ぞ、万乗(ばんじょう)の主(しゅ)にして、而(しか)も身(み)を以(もっ)て天下(てんか)より軽(かろ)しとせんや(※)。
軽(かる)ければ則(すなわ)ち本(もと)を失(うしな)い、躁(さわ)がしければ則(すなわ)ち君(きみ)を失(うしな)う。
- (※)聖人……「道」と一体となった者。老子が理想とする人。なお、本文の内容からして、聖人よりも「君子」のほうが合うのではないかとする説が有力である。その立場からは原文の「聖人」は「君子」であるとして訳す。『帛書』も「君子」であり、『韓非子』の引用でも「君子」とある。しかし、本書では昔からの通説に従って解釈した。
- (※)栄観……立派な家、建物にいること。「栄」は栄華の意味。「観」は見はらしのよい楼台のこと。
- (※)燕処……やすらかにくつろいでいること。「燕処」は燕居と同じ。燕居については(拙著『全文完全対照版 論語コンプリート』述而第七参照)。
- (※)身を以て天下より軽しとせんや……本書では、原文の「輕」の下に「於」を入れて比較の文章にした上で解釈した。そうしないと意味が通りにくいからである。『帛書』も『韓非子』の引用でも「於」がある。
【原文】
重德第二十六
重爲輕根、靜爲躁君。
是以聖人終日行、不離輜重。雖有榮觀、燕處超然。奈何萬乘之主、而以身輕天下。
輕則失本、躁則失君。
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