第41回
同異第四十一
2019.02.01更新
日本人の精神世界に多大な影響を与えた東洋哲学の古典『老子』。万物の根源「道」を知れば「幸せ」が見えてくる。現代の感覚で読める超訳と、原文・読み下し文を対照させたオールインワン。
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同異第四十一
41 大器晩成
【現代語訳】
優れた人、すなわち上士は「道」のことを聞くと、力を尽くしてそれを実践しようとする。普通の人、すなわち中士は、「道」のことを聞くと、半信半疑である。くだらない人、すなわち下士が「道」のことを聞くと、大笑いする。このような人たちに笑われるぐらいでないと「道」とはいえないのである。
だから、次のような格言がある。「正しく明らかな道は、暗いように見え、正しく進んでいく道は、後退しているように見え、平坦な道はでこぼこと起伏があるように見える。最高の徳は谷のように低く見え、大いなる潔白は汚れているように見え、広大な徳はまだ足りないように見える。しっかりした徳を持っている人はだらけているように見え、質朴(しつぼく)で純真な人は変わりやすいように見える。本当に優れた方形には角がなく、本当に優れた器(偉大な人)はできあがるのが遅く、本当に優れた音は聞きとれず、本当に優れた象(かたち)にはこれといった形状がない」。
「道」というのは現象の後ろに隠れていて、名がつけられない。しかし、そもそも「道」だけがあらゆることによく力を貸して、成し遂げさせるものなのである。
【読み下し文】
上士(じょうし)は道(みち)を聞(き)けば、勤(つと)めてこれを行(おこな)う。中士(ちゅうし)は道(みち)を聞(き)けば、存(あ)るが若(ごと)く亡(な)きが若(ごと)し。下士(かし)は道(みち)を聞(き)けば、大(おお)いにこれを笑(わら)う。笑(わら)わざれば、以(もっ)て道(みち)と為(な)すに足(た)らず。
故(ゆえ)に建言(けんげん)(※)にこれ有(あ)り。明道(めいどう)は昧(くら)きが若(ごと)く、進道(しんどう)は退(しりぞ)くが若(ごと)く、夷(い)(※)道(どう)は纇(らい)(※)なるが若(ごと)し。上徳(じょうとく)は谷(たに)の若(ごと)く、大白(たいはく)は辱(じょく)(※)なるが若(ごと)く、広徳(こうとく)は足(た)らざるが若(ごと)し。建徳(けんとく)は偸(おこた)る(※)が若(ごと)く、質真(しつしん)(※)は渝(かわ)るが若(ごと)し。大方(たいほう)は偶(ぐう)無(な)く、大器(たいき)は晩成(ばんせい)し(※)、大音(たいおん)は希声(きせい)(※)、大象(たいしょう)は形(かたち)無(な)し。
道(みち)は隠(かく)れて名(な)無(な)し。夫(そ)れ唯(た)だ道(みち)は、善(よ)く貸(か)し且(か)つ成(な)す(※)。
- (※)建言……格言。
- (※)夷……でこぼこ。
- (※)纇……起伏が多い。
- (※)辱……汚れているもの。
- (※)偸る……なまける。だらける。
- (※)質真……質朴で純真な心。心が質朴で正しい人。
- (※)大器は晩成し……本当に優れた器(偉大な人)は、できあがるのが遅い。これは二千年来の格言として通っているが、最近は「晩成」というのは「できあがらない」という否定の意味に捉える説が多い。老子の『思想』や前後の言葉の意味からそう解するようだ。また、『帛本』の一つには「大器免成」とあり、これも否定の意味だと解しているようだ。確かに説得力ある説だが、これまでの解釈が老子の考え方とまったく反するものとはいえず、「偉大なものはなかなかできるものではない」との解釈は、十分に可能だと考える。なお、林田愼之助氏は「とっても大きな器量は、馬鹿に見えるものだ」と訳されている(『「タオ=道」の思想』講談社現代新書)。これも成り立つ解釈だと思われる。
- (※)希声……ほとんど聞こえないこと。贊玄第十四参照。
- (※)善く貸し且つ成す……原文は「善貸且成」であるが、これを「善貸且善成」とする説もある。意味はさほど変わらない。
【原文】
同異第四十一
上士聞道、勤而行之。中士聞道、若存若兦。下士聞道、大笑之。不笑、不足以爲道。
故建言有之。明道若昧、進道若退、夷道若纇。上德若谷、大白若辱、廣德若不足。建德若偸、質眞若渝。大方無隅、大器晚成、大音希聲、大象無形。
道隱無名。夫唯道、善貸且成。
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