第62回
爲道第六十二
2019.03.05更新
日本人の精神世界に多大な影響を与えた東洋哲学の古典『老子』。万物の根源「道」を知れば「幸せ」が見えてくる。現代の感覚で読める超訳と、原文・読み下し文を対照させたオールインワン。
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爲道第六十二
62 「道」は善人もそうでない者も、すべてを守っている
【現代語訳】
「道」は万物の奥にある根源であり、善人の宝であり、不善人も、実は「道」によって守られているものである。美しく飾りたてられた言葉は、その人の高い地位を得させているし、美しく飾りたてられた行いは、他人に影響を与える。だから善人でない人でも、どうして見捨てようか。
天子が即位し、三公が任命されるとき、大きな璧玉を先立たせて四頭立ての馬車を献上するけれども、それよりも坐って、この「道」を進言するほうがよいのである。
昔の人が、この「道」を貴んだ理由は何であったろうか。「求めれば『道』によって得られ、罪があっても「道」によって免れる」といわれているではないか。だから「道」は天下でも最も貴いものであるのだ。
【読み下し文】
道(みち)は万物(ばんぶつ)の奥(おく)にありて、善人(ぜんにん)の宝(たから)、不善人(ふぜんにん)の保(やす)んずる所(ところ)なり(※)。美言(びげん)は以(もっ)て尊(そん)を市(か)うべく、美行(びこう)は以(もっ)て人(ひと)に加(くわ)うべし(※)。人(ひと)の不善(ふぜん)なるも、何(なん)の棄(す)つることかこれ有(あ)らん。
故(ゆえ)に天子(てんし)を立(た)て、三公(さんこう)(※)を置(お)くに、拱璧(きょうへき)以(もっ)て駟馬(しば)に先(さき)んずる(※) 有(あ)りと雖(いえど)も、坐(ざ)して此(こ)の道(みち)を進(すす)むるに如(し)かず。
古(いにしえ)の此(こ)の道(みち)を貴(たっと)ぶ所以(ゆえん)の者(もの)は何(なん)ぞや。求(もと)めば以(もっ)て得(え)(※)、罪(つみ)有(あ)るも以(もっ)て免(まぬが)れると曰(い)わずや。故(ゆえ)に天下(てんか)の貴(とうと)きものと為(な)る。
- (※)不善人の保んずる所なり……本書の訳文のように解するのが通説。他にも「不善人も持とうとする」と解する説もある。
- (※)美行は以て人に加うべし……美行の「美」がないとする説も多い。すると「美言は以て市(か)うべく、尊行は以て人に加う可し」などと読む。現代語訳としては、「美しく飾りたてられた言葉は、売ることができ、気高い行いは、人に影響を与えさせる」などとなる。『准南子(えなんじ)』の引用文にあるように、「美言」と「美行」を世俗的な虚飾であるとし、本文のように解すると意味が通りやすい。
- (※)三公……太師、太傅、太保のこと。天子を補佐する最高の官位。
- (※)拱璧以て駟馬に先んずる……「拱」とは大きいこと。「璧」とは丸い環になった平たい硬玉のこと。「駟馬」とは、貴人が乗る四頭立ての馬車。「先んずる」とは、先立たせての意味。
- (※)求めば以て得……原文の「求以得」の語順を「以求得」とする説もある。そうすると「以て求めて得」などと読む。下の句の「以て免れる」と対応するものとし、本文のように解したい。
【原文】
爲道第六十二
道者萬物之奧、善人之寶、不善人之所保。美言可以市尊、美行可以加人。人之不善、何棄之有。
故立天子、置三公、雖有拱璧以先駟馬、不如坐進此道。
古之所以貴此道者何。不曰求以得、有罪以免耶。故爲天下貴。
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