第63回
恩始第六十三
2019.03.06更新
日本人の精神世界に多大な影響を与えた東洋哲学の古典『老子』。万物の根源「道」を知れば「幸せ」が見えてくる。現代の感覚で読める超訳と、原文・読み下し文を対照させたオールインワン。
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恩始第六十三
63 怨みには徳でもって報いる
【現代語訳】
何も成さないことを自分のやり方とし、何もないことを自分の在り方とし、味のないものを味わう。
小さなものを大きなものとして考え、少ないものを多いものとして、慎重に扱う。怨みを徳でもって報いる。
天下(世の中)の難しい問題は、それがまだ易しいうちに手がけ、大きい問題は、それがまだ小さいうちに処理する。天下の難しい問題は、必ず易しいことから起き、天下の大きい問題も、必ず小さいことから起こる。だから「道」と一体である聖人は、事柄を小さいうちに対処するので、大きなことをしないように見える。ゆえにかえって大きいことができるのだ。
そもそも安易に承諾しているようでは必ず信用がなくなるし、易しいと判断して安請け合いをしていると、必ず難しい問題となることが多くなる。だから聖人でさえも、易しい問題に見えることでも難しい問題として取り扱うのだ。ゆえに結局、最後まで難しいことはなくなる(無難に終える)。
【読み下し文】
無為(むい)(※)を為(な)し、無事(ぶじ)を事(こと)とし、無味(むみ)を味(あじ)わう。
小(しょう)を大(だい)とし少(しょう)を多(た)とし、怨(うら)みに報(むく)ゆるに徳(とく)を以(もっ)てす(※)。難(かた)きを其(そ)の易(やす)きに図(はか)り、大(だい)を其(そ)の細(さい)に為(な)す。
天下(てんか)の難事(なんじ)は必(かなら)ず易(やす)きより作(おこ)り(※)、天下(てんか)の大事(だいじ)は必(かなら)ず細(さい)より作(おこ)る。是(ここ)を以(もっ)て聖人(せいじん)は、終(つい)に大(だい)を為(な)さず。故(ゆえ)に能(よ)く其(そ)の大(だい)を成(な)す。
夫(そ)れ軽(かる)く諾(だく)せば必(かなら)ず信(しん)寡(すくな)く、易(やす)しとすること多(おお)ければ必(かなら)ず難(かた)きこと多(おお)し。是(ここ)を以(もっ)て聖人(せいじん)すら猶(な)おこれを難(かた)しとす、故(ゆえ)に終(つい)に難(かた)きこと無(な)し。
- (※)無為……「無為」は何もないことを意味し、老子の根本的思想の一つである。「無為」は「道」あるいは根源的なものを、正しいものとしている。つまり、「無為」は「道」、「根源」に近づくことであるといえる。しかし、「無為を為す」とは何もしないことではない。できるだけ「道」、「根源」に近づいたことを「為す」ということである。具体的には、本章で示しているように問題は大きくなる前に対処してしまうのである。すなわち「無為」のようにしてしまうことである。
- (※)怨みに報ゆるに徳を以てす……有名な成句。第二次世界大戦後、中華民国の蔣介石が日本に対して言ったとしてよく知られている。なお、『論語』で孔子は、次のように言う。「徳を以て怨みに報いたらば如何(いかん)。子曰く、何を以て徳に報いん。直(なお)きを以て怨みに報い、徳を以て徳に報いん」(憲問第十四)。ということは、この言葉は老子以前からよくいわれていたのであろう(前述のごとく『老子』の成立は、『論語』より後と解される)。
- (※)作り……「作」は「起」の意味。
【原文】
恩始第六十三
爲無爲、事無事、味無味。
大小多少、報怨以德。
圖難於其易、爲大於其細。天下難事必作於易、天下大事必作於細。
是以聖人終不爲大、故能成其大。
夫輕諾必寡信、多易必多難。是以聖人猶難之、故終無難矣。
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