第81回
顯質第八十一
2019.04.02更新
日本人の精神世界に多大な影響を与えた東洋哲学の古典『老子』。万物の根源「道」を知れば「幸せ」が見えてくる。現代の感覚で読める超訳と、原文・読み下し文を対照させたオールインワン。
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顯質第八十一
81 信言は美ならず
【現代語訳】
本当に実のある言葉は華美でなく、華美な言葉には本当の実がない。本当の善者は口上手ではなく、口の上手な者は本当の善者ではない。本当の知者は博識ではなく、博識な者は本当の知者ではない。
「道」と一体となっている聖人は、ものをためこまない。何もかもを人のためにしながら、かえって自分は多くのものや力を有することになる。何もかも、人に与えながら、かえって自分は豊かになる。
天の「道」はすべてのものに利を与えて、害を与えることはない。聖人の「道」は、人々のためにいろいろなことをするが、他と争うことはない。
【読み下し文】
信言(しんげん)は美(び)ならず(※)、美言(びげん)は信(しん)ならず。善(ぜん)なる者(もの)は弁(べん)ぜず、弁(べん)ずる者(もの)は善(ぜん)ならず。知(し)る者(もの)は博(ひろ)からず、博(ひろ)き者(も)のは知(し)らず。
聖人(せいじん)は積(つ)まず(※)。既(ことごと)く以(もっ)て人(ひと)の為(た)めにして、己(おのれ)は愈〻(いよいよ)有(あ)り、既(ことごと)く以(もっ)て人(ひと)に与(あた)えて、己(おのれ)は愈〻(いよいよ)多(おお)し。
天(てん)の道(みち)は、利(り)して而(しか)して害(がい)せず。聖人(せいじん)の道(みち)は、為(な)して而(しか)して争(あらそ)わず。
- (※)信言は美ならず……「信言」とは、本当のこと、誠ある言葉の意味。「美」とは華美、飾りたてること。なお、本章は、『帛書』では最後の章ではなく、三寶第六十七の前にある(前章も)。また、『帛書』の一つ(乙本)では、「善なる者は弁ぜず」が、「善なる者は多からず」となっている。
- (※)積まず……「積」とは、ためこむこと。蔵すること。
【原文】
顯質第八十一
信言不美、美言不信。善者不辯、辯者不善。知者不愽、愽者不知。
聖人不積、既以爲人、己愈有、既以與人、己愈多。
天之衜、利而不害。聖人之道、爲而不爭。
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