第82回
解説(1)
2019.04.03更新
日本人の精神世界に多大な影響を与えた東洋哲学の古典『老子』。万物の根源「道」を知れば「幸せ」が見えてくる。現代の感覚で読める超訳と、原文・読み下し文を対照させたオールインワン。
「もくじ」はこちら
序 今なぜ老子なのか
1 日本人の特質
「論語」「孫子」に引き続いて「老子」を書かせてもらった。
三冊はいずれも古代中国の古典である。「孫子」は、今では中国のみならず、世界中で兵法に関する第一の書として通用しているし、広く読まれている。
では、「論語」「老子」はどうか。
ご周知のように「論語」に始まる儒教は、中国の歴代王朝が採り入れたものである。特に科挙(官僚登用試験)などの試験科目として詳しく学ばれた(朝鮮も似ている)。しかし、日本では、科挙は取り入れず、「論語」の教えはもっぱら一般大衆の教養および道徳面で大きな影響を与えていった。今でも「論語」を熱心に読む人は多い。
一方で、日本人らしさとか日本人の精神を形成しているのは、武士道とする見方も多い。
武士道にこれといった教典があるわけではないが、その理論的基礎を解明したものに新渡戸稲造著の『武士道』がある。
明治に英文で書かれたこの本は、世界に向けて日本人とは何かを説明したものである。
今では、翻訳されて日本人によく読まれる、一つの古典のような扱いを受けている。
その『武士道』のなかに次のような記述がある。
「厳密に見てみますと、道徳的な教養は、孔子の教えが武士道における最も豊かな源泉であったといえます」(野中訳)。
ただし、新渡戸はこの後で、孔子の教えは日本人が本能的に認めていたものを確認させたものにすぎないとする。
私も、日本人の一番の特質は、諸外国(それは中国であろうと、西洋であろうと)のよいと思われるものを取り入れて、うまく咀嚼(そしゃく)の上、自分たちのものにしていくことであると思う。
論語も受験のための勉強(科挙)ではなく、私たちの道徳にして血肉化させていったのである。
だから、日本人は八百万神(やおよろずのかみ)を信じるし、今でも仏教や儒教も尊重し、また西洋の学問も学ぶことが定着している稀有(けう)な国なのである。クリスマスを祝った上で正月には神社に詣でるのが自然となっている面白い人々である。
そもそも日本人は漢字からかなをつくり、漢字とかなを併用してきた。漢字とかなの表音文字や表意文字双方の利点を生かし、柔軟で幅広い思考ができることになったことで日本人の特質をさらに伸ばしていった。
2 老子は聖徳太子や兼好法師に影響を与えた
以上のように論語は日本人に広がっていったが、一方の「老子」はどうであろうか。
先の新渡戸の『武士道』は、武士道に影響を与えたものとして、「論語」の前に仏教と神道を紹介し、「老子」は挙げていない(儒教では「孟子」も挙げている)。
現代では、「老子」は一部の人たちに熱狂的に支持されているが、「論語」ほどは知られていないようだ。
しかし、後に詳述するように、「老子」の日本文化への影響は大きかった。
影響力の大きさを知られていないだけで、見ようによっては「論語」以上のものがあったともいえる。というのは、「老子」を祖とする道教が、中国から入ってきた仏教に相当影響を与えたし、日本の神道そのものにもかなり取り入れられてきたからである。
一つ二つの例を挙げると、まず「天皇」という称号は、道教における宇宙の最高神の称号に由来するとされる(『道教と古代日本』人文書院、福永光司著)。
また、聖徳太子のいわゆる冠位十二階の序列は、「徳、仁、礼、信、義、智」であるが、最上位は徳(論語のいう「仁」ではなく)である。この官位は紫の色を配当していることからも、道教の影響が濃い(道教では紫を特別な色と見ているのに対し、孔子は紫を嫌っていた。陽貨第十七参照)。
こうしてみると、見方によって「老子」は「論語」以上に日本に根づいてきたともいえる。
本文を見てもわかるように、「老子」の数々の教えは、まるで日本のことわざのように定着もしている。「大器晩成」や「足るを知る」などは有名だが、宮本武蔵の名言「千里の道もひと足ずつ運ぶなり」は、老子の「千里の行も足下より始まる」そのものである(やはり武士道にも大きな影響があったのがわかる)。何よりも日本人が大切にしてきた神道と仏教にも相当に浸透している。
後述する『徒然草』の兼好法師(吉田兼好)は、いわゆる「隠人君子」のような生き方に憧れ、実践している。当然、「老子」はキリスト教のバイブルのようなものであったろう。とはいうものの、一応は出家もしているから仏教徒でもある。
兼好法師は吉田兼好とも呼ばれたが、これは一族から吉田神道を起こした人たちがいたからであり、江戸時代に改姓した子孫たちのためそう呼ばれたにすぎない。しかし、もともと神道とは縁の深い家系だった。
『徒然草』には、論語からヒントを得て書いたものもある。
要するに、兼好法師は日本人の典型のような人であった。「老子」「神道」「仏教」「論語」などをすべてうまく取り入れているのである。先の聖徳太子もそうである。
神道と並び仏教を日本各地に広めた人だが、有名な「十七条の憲法」の第一条は「和を以て貴しとなす」である。これは明らかに「論語」の影響だろう(学而第一参照)。
しかも、聖徳太子は道教の考え方も取り入れている。それなのに、「日の出づるところの天子、日の没するところの天子に致す」という中国皇帝への手紙の気概は、現代の日本人とほとんど同じではないか。
以上のことから私はこれからの日本人も、日本人としての特質をうまく身につけていくことがより大事と考える。そうすることで自分という人間の本当の価値を高め、パワーアップしていく源泉になると信じている。
そのために「老子」「論語」は自分のもの(自分の「老子」解釈、「論語」解釈を持つ)にしていくとよいと思っている。本書はそのベースとなると自負している。
なお、「老子」「論語」に加え、「孫子」を学べば一層よい。さらに『武士道』や吉田松陰の書物などを読み続けることで、幅広い人間力の人となるだろう。
いずれにしても「老子」は難解なところがあるものの、日本人に与え続けた影響を考えると、自分なりの見方と解釈をしていくことが必要ではなかろうか。
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