第88回
37〜39話
2020.05.07更新
「超訳」本では軽すぎる、全文解説本では重すぎる、菜根譚の全体像を把握しながら通読したい人向け。現代人の心に突き刺さる「一文超訳」と、現代語訳・原文・書き下し文を対照させたオールインワン。
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37 執着しない
【現代語訳】
山林の地は、もともと隠棲して住むところとしては優れている。ただ、その場所が気に入ってこだわりすぎてしまうと、町中に家を持って住むのと同じになってしまう。書や絵画の鑑賞は良い趣味だが、これに凝り出し、収集などに夢中になると、もう商売人と同じとなる。このように、心に執着がなく、ありのままであれば、どこに住もうと仙人が住むような理想郷となるし、こだわる愛着の心があると、安楽な境遇でも苦
【読み下し文】
山林(さんりん)は是(こ)れ勝地(しょうち)なるも、一(ひと)たび営恋(えいれん)(※)せば、便(すなわ)ち市朝(しちょう)(※)と成(な)る。書画(しょが)は是(これ)雅事(がじ)なるも、一(ひと)たび貪痴(どんち)(※)せば、便(すなわ)ち商賈(しょうこ)(※)と成(な)る。蓋(けだ)し心(こころ)に染着(せんちゃく)(※) 無(な)ければ、欲界(よくかい)も是(こ)れ仙都(せんと)(※)なり。心(こころ)に係恋(けいれん)有(あ)れば、楽境(らくきょう)も苦海(くかい)と成(な)る。
(※)営恋……こだわる。とてもあこがれる。
(※)市朝……町中。俗界。
(※)貪痴……凝り出す。貪(むさぼ)りておろそかになる。仏教でいう〝三毒〟に、①貧(どん)、②瞋(しん)、③ 痴(ち)がある。すなわち①むさぼる、②いかる、③まよい、である。
(※)商賈……商売人。「商」は、店を定めないであきなうこと、「賈」は店を持ってあきなうこと。
(※)染着……執着。しみつく。
(※)仙都……仙人が住むような理想郷。仙郷。
【原文】
山林是勝地、一營戀、便成市朝。書晝是雅事、一貪癡、便成商賈。蓋心無染着、欲界是仙都。心有係戀、樂境成苦海矣。
38 静かな環境でゆったりとしていることは頭に良い
【現代語訳】
騒がしくて、ごたごたとしている環境下では、普段覚えていることまで、すべてうっかり忘れてしまうことがある。逆に静かで落ちついているところでは、昔忘れてしまっていたことまでも、くっきり思い出されることがある。このように環境が騒がしいところと静かなところでは、こんなにも頭のはたらきが異なってくるのである。
【読み下し文】
時(とき)、喧雑(けんざつ)に当(あ)たれば、則(すなわ)ち平日(へいじつ)記憶(きおく)する所(ところ)のものも、皆(みな)漫然(まんぜん)(※)として忘(わす)れ去(さ)る。境(きょう)、清寧(せいねい)(※)に在(あ)れば、則(すなわ)ち夙昔(しゅくせき)(※) 遺忘(いぼう)する所(ところ)のものも、又(また)恍爾(こうじ)(※)として現前(げんぜん)す。見(み)るべし、静躁(せいそう)稍(やや)分(わ)かるれば、昏明(こんめい)(※)頓(とみ)に異(こと)なるを。
(※)漫然……うっかり。
(※)清寧……静かで落ちついている。清く安らか。
(※)夙昔……昔。
(※)恍爾……ありありと。
(※)昏明……ぼんやりしたり、はっきりしたりする。頭のはたらき。
【原文】
時當喧雜、則平日所記憶者、皆漫然忘去。境在淸寧、則夙昔所遺忘者、又恍爾現歬。可見、靜躁稍分、昏明頓異也。
39 自然で生き返る
【現代語訳】
あしでできている粗末な布団にくるまって、それこそ雪の上、雲のなかにある山のあばら家で眠ると、部屋中の夜気を自分の体のなかにしっかりと保つことができる。また、そこで酒を飲みつつ、良風に詩を吟じ、月を鑑賞していると、つもりきった俗世間の塵(ちり)が体からすっかり離れていく。
【読み下し文】
蘆花被(ろかひ)(※)の下(もと)、雪(ゆき)に臥(が)し雲(くも)に眠(ねむ)れば、一窩(いっか)の(※)夜気(やき)(※)を保全(ほぜん)し得(う)。竹葉(ちくよう)(※)杯(はい)の中(うち)、風(かぜ)に吟(ぎん)じ月(つき)を弄(もてあそ)べば、万丈(ばんじょう)の紅塵(こうじん)を躱離(たり)(※)し了(おわ)る。
(※)蘆花被……あしでできている粗末なふとん。
(※)窩の……部屋中の。
(※)夜気……『孟子』の言葉からのもの。『孟子』(告子上篇)によると、「則(すなわ)ち其(そ)の夜気(やき)以(もっ)て存(そん)するに足(た)らず」とある。夜気とは、中国思想研究者の小林勝人氏によると、「仁斎・履軒は、ひるは生長せず、夜のみ生長するから夜気というと説く。夜間外物に煩わされない清らかな気であり、平旦の気と同じ」という(『孟子』(下)岩波文庫)。なお、「平旦の気」とは、「夜明け方のきわめて清らかな気分(朱子、一斎)。いわば外物に煩わされない良心の萌芽(めばえ)ともいうべきもの」である(同上)。『孟子』はこうした夜気と、平旦の気を存し養うことを修養法の一つとしていた。本項はその実践を表現している。吉田松陰によると、平旦の気、夜気はいわゆる「浩然の気」を養うためと解する。そして、孟子が言ったように、夜明けの静かなところで気を養うのもいいが、行動して養っていく気もあると、自分の体験から提案する(『講孟箚記』参照)。
(※)竹葉……酒の異名の一つ。日本でも酒のことを竹葉とかササとかいうことがある(酒の名に使う例は中国でも日本でもある。なぜ竹葉が酒を意味するかについては、一説によると、酒の色が竹の葉に似ているからという。他にも竹の葉の露でできた酒だからという説もある)。
(※)躱離……体から離れる。身をかわし離れる。
【原文】
蘆芲被下、臥雪眠雲、保全得一窩夜氣。竹葉杯中、吟風弄月、躱離了萬𠀋紅塵。
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