第89回
40〜42話
2020.05.08更新
「超訳」本では軽すぎる、全文解説本では重すぎる、菜根譚の全体像を把握しながら通読したい人向け。現代人の心に突き刺さる「一文超訳」と、現代語訳・原文・書き下し文を対照させたオールインワン。
「目次」はこちら
40 濃は淡に勝てないし、俗は雅に及ばない
【現代語訳】
高位高官のかしこまった服の人たちのなかに、独りあかざの杖をついた隠士が加わると、一段と高尚な趣が増す。また、漁民や木こりが多く往来する田舎道に、かしこまった服の一人の役人が加わると、途端に俗っぽさが増す。こうしたことからも、濃厚で華美なものは、淡白で素朴なものには勝てないし、俗っぽくて品がないものは、高尚で風雅なものには及ばないのがわかる。
【読み下し文】
衮冕(こんべん)(※)の行中(こうちゅう)、一(いつ)の藜杖(れいじょう)の山人(さんじん)(※)を着(つ)くれば、便(すなわ)ち一段(いちだん)の高風(こうふう)を増(ま)す。漁樵(ぎょしょう)の路(ろじょう)上、一(いつ)の衮衣(こんい)の朝士(ちょうし)を着(つ)くれば、転(うた)た許多(きょた)の(※)俗気(ぞくき)を添(そ)う。固(まこと)に知(し)る、濃(のう)は淡(たん)に勝(まさ)らず、俗(ぞく)は雅(が)に如(し)かざるを。
(※)衮冕……高位高官のかしこまった服。「衮」は礼服、「冕」は礼帽。
(※)藜杖の山人……あかざの杖をついている隠士、仙人。あかざの杖は軽くて強いので今でも老人用として使われている。一説によると水戸黄門が使っていた杖もこれであるとされる。あかざは日本でも野性している。なお、「あかざ」の葉を羹あつものにして食することについては、本書の前集11条、後集30条参照。また、34条も参照。
(※)許多の……多くの。
【原文】
衮冕行中、着一藜杖的山人、便增一段高風。漁樵路上、着一衮衣的朝士、轉添許多俗氣。固知、濃不勝淡、俗不如雅也。
41 和光同塵(わこうどうじん)
【現代語訳】
俗世間を超越する方法は、私たちが普通にこの世を渡っているなかで見出せるのであって、必ずしも世間との交わりを絶って、山のなかで隠遁生活をしなくてもいい。また、悟りを開くための工夫は、自分の本来の心を見極めていくことのなかにある。必ずしも欲を断ってしまって、人間的温かみの消えた死んだ灰のようにすることは必要ない。
【読み下し文】
出世(しゅっせ)(※)の道(みち)は、即(すなわ)ち世(よ)を渉(わた)るの中(なか)に在(あ)り、必(かなら)ずしも人(ひと)を絶(た)ちて以(もっ)て世(よ)を逃(のが)れず。了心(りょうしん)の功(こう)は、即(すなわ)ち心(こころ)を尽(つ)くす(※)の内(うち)に在(あ)り、必(かなら)ずしも欲(よく)を絶(た)ちて以(もっ)て心(こころ)を灰(はい)にせず。
(※)出世……出世間(涅槃の世界)のこと。本項のタイトルを「和光同塵」としたが、『老子』では次のように述べる。「其(そ)の鋭(えい)を挫(くじ)いて、其(そ)の紛(ふん)を解(と)き、其(そ)の光(ひかり)を和(やわ)らげて、其(そ)の塵(じん)に同(どう)ず」(無源第四)。本書の趣旨に合うと解される。
(※)心を尽くす……自分の本来の心を見極めていくこと。孟子の言葉による。『孟子』では次のように述べている。「其(そ)の心(こころ)を尽(つ)くす者(もの)は、其(そ)の性(せい)を知(し)るなり。其(そ)の性(せい)を知(し)れば、則(すなわ)ち天(てん)を知(し)るなり」(尽心上篇)。
【原文】
出世之衜、卽在涉世中、不必絕人以迯世。了心之功、卽在盡心內、不必絕欲以灰心。
42 欲望への執着をなくし、自分の心を自由無碍(むげ)にしておく
【現代語訳】
この自分の身を常にまわりに合わせることなく、自由無碍にしておけば、世間が大騒ぎする栄誉や屈辱で私をどうのこうのすることはできない。この自分の心持ちを、常に静かに落ちつかせていれば、世間の是非や利害でもって、私をだまし欺こうとしてもできるものではない。
【読み下し文】
此(こ)の身(み)、常(つね)に間処(かんしょ)(※)に放在(ほうざい)せば、栄辱(えいじょく)(※)得失(とくしつ)も、誰(だれ)か能(よ)く我(われ)を差遣(さけん)せん。此(こ)の心(こころ)、常(つね)に静中(せいちゅう)に安(あん)在(ざい)せば、是非(ぜひ)利害(りがい)も、誰(だれ)か能(よ)く我(われ)を瞞昧(まんまい)(※)せん。
(※)間処……自由無碍な環境。間暇無事な処。
(※)栄辱……栄誉と屈辱、恥辱。なお、『老子』は「寵辱(ちょうじょく)」について、まさに本項の趣旨と似たことを述べている。「何(なに)をか大患(たいかん)を貴(たっと)ぶこと身(み)の若(ごと)しと謂(い)う。吾(われ)に大患(たいかん)有(あ)る所以(ゆえん)の者(もの)は、吾(われ)に身(み)有(あ)るが為(ため)なり。吾(わ)れに身(み)無(な)きに及(およ)びては、吾(わ)れに何(なん)の患(わずら)い有(あ)らん」(猒恥第十三)。つまり、自分の欲望への執着をなくし、自由無碍の境地になることをすすめている。本項の解釈については、本書の後集44条も参照。
(※)瞞昧……だまし欺く。
【原文】
此身常放在閒處、榮辱得失、誰能差遺我。此心常安在靜中、是非利害、誰能瞞昧我。
【単行本好評発売中!】
この本を購入する
感想を書く