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第3回

ショコラの種(下)

2018.07.13更新

読了時間

【この連載は…】2018年8月上旬発売の瀧森古都最新小説集から、第1話を全文無料公開。涙が枯れるほど泣いたあと、大切な人に会いたくなる「心潤す感動短編集」。

 夜になり、会社帰りの夫が訪れた。弁護士を連れてきた時とは打って変わって綺麗になった部屋を、彼は隅々まで見渡している。
 彼が住んでいたころ使っていたマグカップに、淹れたてのコーヒーを注ぎ、そっと差し出すと、深呼吸するかのようにコーヒーの湯気を吸いこみ、そして一口すすった。
 夫は、安らいだように大きく息を吐くと、マグカップをテーブルに置いた。
 マグカップの底がテーブルにコトンと当たる音と共に、私は「あること」を切り出した。

「ねぇ、もうやめない?」
「何をだよ」
「別居も、訴訟も」
「絶対勝てるってあの弁護士も言ってるし、こちらの要求額が通るかもしれないって」
「あなたが欲しいのは、本当にお金なの?」
「……」
「本当は、お金なんかじゃなくて、直輝と過ごせなかった時間を、取り戻したいんじゃない?」
「……」
「保育園の先生たちは、本当によくしてくれたわ。直輝も先生たちが大好きだった」
「それとこれとは、話が別だよ」
「別じゃない! あなたは……あなたは訴えることに精力を注ぐことで、自分の気持ちをごまかしているのよ」

 私は、脱衣所で見つけた小さな箱を、夫の前に差し出した。

「開けてみて。直輝がくれた、再出発の種よ」
「再出発の……種?」

 夫は、ショコラが包まれていた折り紙を手に取り、一枚一枚メッセージを読んでいった。そして最後に、私宛の『そつぎょうしょうしょ』を読み終えると、唇を噛みしめ、声を震わせて泣いている。
 きっと、夫も寂しかったんだ。
 かけがえのない息子の死を、受け入れられず苦しんでいたんだ。
 やり場のない気持ちを、ぶつけるあてもなく、保育園を訴えることで気持ちのバランスを取っていたのかもしれない。
 私は、今までこんな風に夫の心と向き合ったことがあっただろうか。いや、振り返ればいつも私は怒ってばかりだった気がする。「親なんだから」「夫なんだから」「家族とは」「父親とは」と、凝り固まった自分なりのルールを彼に押しつけるばかりだった。だから夫は、居場所を失ってしまったのかもしれない。家や家族に対して、居心地の悪さを感じてしまったのかもしれない。
 もう繰り返さない。繰り返しちゃいけない。自分なりのルールに彼を当てはめるのではなく、一人の人間として、彼の心と向き合ってみよう。
 そうすればきっと、やり直せる。いいえ、やり直すんじゃない。新たに始めるんだ。
 直輝は、そんな私たちを見れば喜んでくれる。絶対に喜んでくれる。

「ねぇ、あなた。私と一緒にお店やらない?」
「店? 何の?」
「お弁当屋さん」
「そんな簡単に始められるわけないよ」
「確かに、簡単じゃないかもしれない。でも、挑戦してみなければ何も始まらないでしょう? 小さくてもいい、あの子の夢を叶えてあげられるのは、私たちだけだと思うから」
「夢?」
「ええ、これを見て」

私は、卒園式のプログラムを夫に手渡した。そこに書かれている直輝の夢を、彼は黙って読んだ。

『ぼくのゆめは、たくさんのひとを、えがおにしてあげることです』

 彼は、何度も何度も読み返していた。
 何もかも、すぐにうまくいかないかもしれない。夫との生活も、新たな挑戦も。
 でも、スムーズに進むことが目的ではなく、着実に前を向くことが、今の私たちには正解なのかもしれない。
 そして私たちは、直輝がくれたショコラを、泣きながら全部食べた。

 ── 一年後 ──

 夫が訴えていた保育園への告訴は取り下げ、直輝の夢をサポートするためにかけていた学資保険からの二百万円と、賠償責任保険の死亡見舞金五百万円をすべて店の資金にあて、私たち夫婦は小さいながらもお弁当屋を開店させた。
 学生時代に定食屋でバイトしていたという夫は、必死で調理師免許を取得し、日々キッチンに立っている。
 私が勤めていたスーパーからも、たくさんの協力を得て、ようやく軌道に乗ってきた。

「いらっしゃいませ。あら、あみちゃんこんにちは。今日はおつかい?」
「うん。弟が誕生日だから、玉子ハンバーグ買いに来たの」
「そうなの、それはおめでとう。弟さんはいくつになったの?」
「三つ」
「じゃあ、今日は特別あみちゃんと弟さんに、ショコラの種を三つずつあげちゃおうかな」
「わーい、ありがとう。でも、どうしてこのショコラもお弁当屋さんの名前も、『ショコラの種』っていうの?」
「このショコラはね、笑顔の種なの。だから、ここでお弁当を買ってくれた人が、みんな笑顔になるよう、このショコラもお店も『ショコラの種』って名前にしたのよ」
「そうなんだ、すてきな名前だね」
「ありがとう」

 そして、小さなお客さんは屈託のない笑顔を見せてくれ、小袋片手に帰って行った。
 キッチンで汗まみれになっている夫は、小さなお客さんの背中を見て微笑んでいる。私は、お店の外へ出て空を見上げた。
 ナオくん、見てる? パパもママも毎日笑顔で頑張ってるよ。
 ありがとね……ナオくん、ありがとう。パパとママの子どもに生まれてくれて、ありがとう。
 その夜、私の夢の中に久々に直輝が現れた。
 満面の笑みで駆け寄ってくる直輝を、私は思いきり抱きしめた。

(完)
*第2話以降は書籍でお楽しみください。

目次

ショコラの種
最期の小説
真昼の花火
おしるこ
家族だった家族
黄色い鳥と赤い鳥
一本のオール

【単行本予約受付中!】

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著者

瀧森 古都

1974年、千葉県市川市生まれ。両親がイタリアの古い都(バッサーノ)で芸術活動をしていたことから「古都」と名づけられる。2001年、作家事務所オフィス・トゥー・ワンに所属。放送作家として「奇跡体験! アンビリバボー」など様々な番組の企画・構成・脚本を手掛ける。2006年、独立。作家、コピーライターとして活動。現在、主に「感動」をテーマとした小説や童話を執筆。ペット看護士・ペットセラピストの資格を保持。著者に『悲しみの底で猫が教えてくれた大切なこと』『孤独の果てで犬が教えてくれた大切なこと』『たとえ明日、世界が滅びても 今日、僕はリンゴの木を植える』(すべてSBクリエイティブ)などがある。

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