第3回
「勉強ができる=頭がいい」なのか?
2019.06.13更新
齋藤孝先生の最新刊は「頭のよさ」の本! 6月5日発売!「頭がいい」とは脳の「状態」なのです。頭のはたらきがいいときは、目の前の問題が簡単に解決できるし、未来を楽しく創り出していくことができる。すっきりと気分もいい。そんな状態のときをどんどん増やしていくにはどうしたらいいか?本書で詳しく解説します。
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学校生活を軸にした毎日を送るきみたちは、テストの点数だとか成績だとか偏差値というもので評価され、判定されています。
目に見える数字のかたちで、突きつけられている。
だから、「勉強ができる、できない」が、頭のよさを測る絶対的な「ものさし」であるかのように思えます。
だけど、じつはそうじゃないんです。
学生という立場が終わって社会人になると、頭のよさを測るものさしが、突然変わります。「勉強ができること」から、「社会に適応できること」に切り替わるんです。
ぼくは、勉強ができるのはいいことだと思っています。できないよりは、できたほうがいい。
だけど、勉強ができれば社会に出てからも「頭のいい人」としてやっていけるかと言うと、そうとは限りません。社会に適応できなければダメなんです。
たとえば、一流大学を出て就職したけれど、まわりの人とうまくコミュニケーションがとれない人がいます。いま何をすることが求められているのかもピンときていない。こういう人は、
「勉強はたくさんしてきたかもしれないけれど、使えないやつだ」
と言われてしまいます。
それまでずっと「勉強ができる」「頭がいいね」「すごいね」とほめられつづけてきたのが、社会に出たとたん、一気に地に落とされる。プライドがズタズタになってしまいます。
あるいは、すごい学歴をもち、社会的に高い地位についていながら、法を犯してしまうような人もいます。ときどきニュースになりますよね、「自分さえよければいい」という気持ちで、社会のルールに反することを平然とやってしまう人。
どんなに勉強のできた秀才でも、人としてやっていいことといけないことの判断がつかないのは、本質的なところで頭がよくない、と言わざるを得ません。
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