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論語 全文完全対照版 野中根太郎

第43回

120話~121話

2016.09.21更新

読了時間

雍(よう)也(や)第六

120 自分には厳しく他人には優しくありたい


【現代語訳】

孔子先生はほめられた。「弟子の一人雍(よう)(仲(ちゅう)弓(きゅう))は、政治分野でよい仕事ができる人材である」。その仲弓が子(し)桑(そう)伯子(はくし)(※)のことをどう見るかと先生にたずねた。

先生は言われた。「いい人物ではあろう。大まかでこせこせしていない」。

これを聞いて仲弓は言った。「自分自身に対しては慎み深くしていながら、他人と接する際には大まかでこせこせしないのならいいと思います。自分自身に対しても他人に対しても大まかでこせこせしないというのなら、だめだと思います」。先生も、「まったくその通りだ」と言われた。


(※)子桑伯子……詳細がよくわかっていない人物。隠者とも政治家ともいわれる。


【読み下し文】

子(し)曰(いわ)く、雍(よう)や南(なん)面(めん)(※)せしむべし。仲(ちゅう)弓(きゅう)、子(し)桑(そう)伯子(はくし)を問(と)う。子(し)曰(いわ)く、可(か)なり。簡(かん)(※)なり。仲(ちゅう)弓(きゅう)曰(いわ)く、敬(けい)に居(お)りて簡(かん)を行い、以(もっ)て其(そ)の民(たみ)に臨(のぞ)むは、亦(ま)た可(か)ならずや。簡(かん)に居(お)りて簡(かん)を行(おこな)う乃(すなわ)ち大(はなは)だ簡(かん)なるなからんや。子(し)曰(いわ)く、雍(よう)の言(い)うこと然(しか)り。


(※)南面……当時、政治をする人は南向きで行ったという。そこから立派な政治家の意味を指すようになった。

(※)簡……こせこせしない。寛大。


【原文】

子曰、雍也可使南面、仲弓問子桑伯子、子曰、可也、簡、仲弓曰、居敬而行簡、以臨其民、不亦可乎、居簡而行簡、無乃大簡乎、子曰、雍之言然、


121 怒りを他人に移してはいけない


【現代語訳】

魯(ろ)の哀(あい)公(こう)がたずねた。「お弟子の中で誰が学問好きといえるでしょうか」。

孔子先生は答えて言われた。「顔回という者がいまして学問好きでした。怒っても他人に八つ当たりすることなく、同じ過ちを再びくり返すこともありませんでした。しかし、不幸にも若くして死んでしまい、今はこの世におりませんが、私はあれほどの学問好きを他に知りません」。


【読み下し文】

哀公(あいこう)問(と)う。弟子(でし)孰(た)れか学(がく)を好(この)むとなす。孔子(こうし)対(こた)えて曰(いわ)く、顔(がん)回(かい)なる者(もの)あり、学(がく)を好(この)む。怒(いか)りを遷(うつ)さず、過(あやま)ちを貳(ふたた)びせず。不幸(ふこう)、短命(たんめい)にして死(し)せり。今(いま)や則(すなわ)ち亡(な)し(※)。未(いま)だ学(がく)を好(この)む者(もの)を聞(き)かざるなり。


(※)今や則ち亡し……孔子の顔回の死を悔やむ気持ちがよく出ている。顔回の死はいろいろな説があるが一番有力なのは、四十一歳の時である。すると、孔子は七十一歳の時となる。


【原文】

哀公問曰、弟子孰爲好學、孔子對曰、有顔回者、好學、不遷怒、不貳過、不幸短命死矣、今也則亡、未聞好學者也、


*120話、121話は長文のため、今回は2話のみの掲載となります。

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著者

野中 根太郎

早稲田大学卒。海外ビジネスに携わった後、翻訳や出版企画に関わる。海外に進出し、日本および日本人が外国人から尊敬され、その文化が絶賛されているという実感を得たことをきっかけに、日本人に影響を与えつづけてきた古典の研究を更に深掘りし、出版企画を行うようになる。近年では古典を題材にした著作の企画・プロデュースを手がけ、様々な著者とタイアップして数々のベストセラーを世に送り出している。著書に『超訳 孫子の兵法』『吉田松陰の名言100-変わる力 変える力のつくり方』(共にアイバス出版)、『真田幸村 逆転の決断術─相手の心を動かす「義」の思考方法』『全文完全対照版 論語コンプリート 本質を捉える「一文超訳」+現代語訳・書き下し文・原文』『全文完全対照版 孫子コンプリート 本質を捉える「一文超訳」+現代語訳・書き下し文・原文』『全文完全対照版 老子コンプリート 本質を捉える「一文超訳」+現代語訳・書き下し文・原文』『全文完全対照版 菜根譚コンプリート 本質を捉える「一文超訳」+現代語訳・書き下し文・原文』(以上、誠文堂新光社)などがある。

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