第19回
52話~54話
2016.08.17更新
52 先祖や神様は、いつも私たちとともにあり、私たちを見ている(まごころを尽くして先祖や神様を祭る)
【現代語訳】
孔子先生が先祖の祭りを行うときは、あたかもそこに先祖がおられるように行い、神を祭るときもそこに神がおられるようにして、まごころをこめて行った。
先生は言われた。「自分自身が祭りに加わり、まごころを尽して行わないと祭った気になれない」。
【読み下し文】
祭(まつ)ること在(いま)すが如(ごと)くし、神(かみ)を祭(まつ)ること神(かみ)在(いま)すが如(ごと)くす。子(し)曰(いわ)く、吾(われ)祭(まつり)に与(あた)かざれば、祭(まつ)らざるご如(ごと)し。
【原文】
祭如在、祭神如神在、子曰、吾不與祭、如不祭、
53 権力者に媚びたりはしない
【現代語訳】
衛(えい)の大夫(貴族)で権力者の王孫(おうそん)賈(か)(※)がたずねた。「家の奥の神に媚びるより、かまど(台所)の神に媚びよ」ということわざは、どういう意味でしょうか(君主より権力者たる自分に媚びるほうがよいとのなぞかけ)。
孔子先生は言われた。「それはまちがったことわざでしょう。すべては天が決めることです。天に対してまちがったことを行えば、どんな神に祈ろうと意味はありません(私は権力者に媚びるようなことはしない)」。
(※)王孫賈……衛の霊公に仕えた大夫で権力者。名臣であったとされる。
【読み下し文】
王孫(おうそん)賈(か)、問(と)うて曰(いわ)く、其(そ)れ奥(おく)に媚(こ)びんよりは、寧(むし)ろ竈(かまど)に媚(こ)びよ、とは何(なん)の謂(い)いぞや。子(し)曰(いわ)く、然(しか)らず、罪(つみ)を天(てん)に獲(う)れば、禱(いの)る所(ところ)なきなり。
【原文】
王孫賈問曰、與其媚於奧、寧媚於竈、何謂、子曰、不然、獲罪於天、無所禱也、
54 歴史によく学んで今に生かそう
【現代語訳】
孔子先生は言われた。「周(※)の文化、制度は夏(か)、殷(いん)の二代にわたる過去の歴史に学んでつくられている。だからすばらしいのだ。私も周の文化、制度を学んでそれに従いたい」。
(※)周……周王朝のこと。周は文王の子武王が、殷最後の紂王が暴政をしていたため、これを倒してつくった。周公担(魯の始祖)はこの時の功労者で、かつ孔子が尊敬してやまない立派な人であった。
【読み下し文】
子(し)曰(いわ)く、周(しゅう)は二代(にだい)に鑑(かんが)みて、郁郁乎(いくいくこ)として文(ふみ)なる哉(や)。吾(われ)は周(しゅう)に従(したが)わん。
【原文】
子曰、周監於二代、郁郁乎文哉、吾從周、
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