第64回
180話~182話
2016.10.24更新
180 学ぶこと、教えることはあきることがない
【現代語訳】
孔子先生は言われた。「伝説的な聖人や最高の人格である仁者には、私はとても及ばないだろう。しかし、これらの人のあり方をよく学び、それを人に教えることをあきずに行えるのが私という人間である」。
弟子の公(こう)西華(せいか)はこれを聞いて言った。「まさにその通りだと思います。そこが私たちのとてもかなわないところです」。
【読み下し文】
子(し)曰(いわ)く、聖(せい)と仁(じん)との若(ごと)きは、則(すなわ)ち吾(わ)れ豈(あ)に敢(あえ)てせんや。抑(そもそも)もこれを為(な)して厭(いと)わず、人(ひと)を誨(おし)えて倦(う)まざるは、則(すなわ)ち云(しかり)と謂(い)うべきのみ。公(こう)西華(せいか)曰(いわ)く、正(まさ)に唯(しかり)、弟(てい)子学(まな)ぶこと能(あた)わざるなり。
【原文】
子曰、若聖與仁、則吾豈敢、抑爲之不厭、誨人不倦、則可謂云爾已矣、公西華曰、正唯弟子不能學也、
181 困った時の神頼みはしない
【現代語訳】
孔子先生が病気にかかり病状が重くなった。高弟の子(し)路(ろ)が心配して、神に祈りたいと言った。先生は言われた。「何かそういう先例でもあるのか」。
子路は答えた。「誄(るい)(※)という文に、汝(なんじ)のことを天地の神々に祈る、とあります」。
先生は言われた。「そうした祈りなら、普段からやっていたのであらためて祈らなくてもよい」。
(※)誄……一般に死者の生前の行為を述べる文章のことといわれている。「しのびごと」とも訳されることがある。
【読み下し文】
子(し)、疾(やま)い病(へい)す。子(し)路(ろ)、禱(いの)らんと請(こ)う。子(し)曰(いわ)く、これありや。子(し)路(ろ)対(こた)えて曰(いわ)く、これあり。誄(るい)に日(い)う。爾(なんじ)を上下(じょうげ)の神祇(しんぎ)に禱(いの)る、と。子(し)曰(いわ)く、丘(きゅう)の禱(いの)るや久(ひさ)し。
【原文】
子疾病、子路請禱、子曰、有諸、子路對曰、有之、誄曰、禱爾于上下神祇、子曰、丘之禱之久矣、
182 過度のぜいたくとケチはよくない
【現代語訳】
孔子先生は言われた。「ぜいたくしすぎる人は、ごう慢でみにくくなる。一方、倹約しすぎる人は、がんこで人が寄りつきにくくなる。どちらもよくないが、ごう慢はとくによくない」。
【読み下し文】
子(し)曰(いわ)く、奢(しゃ)(※)なれば則(すなわ)ち不遜(ふそん)、倹(けん)なれば則(すなわ)ち固(かた)(※)し。其(そ)の不遜(ふそん)より寧(むし)ろ固(かた)かれ。
(※)奢……おごる。ぜいたくする。
(※)固……頑なで卑しいこと。がんこ。
【原文】
子曰、奢則不孫、儉則固、與其不孫也寧固、
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