第64回
守微第六十四
2019.03.07更新
日本人の精神世界に多大な影響を与えた東洋哲学の古典『老子』。万物の根源「道」を知れば「幸せ」が見えてくる。現代の感覚で読める超訳と、原文・読み下し文を対照させたオールインワン。
「もくじ」はこちら
守微第六十四
64 千里の道も一歩から(千里の行も足下より始まる)
【現代語訳】
物事は安泰しているうちに処理すれば維持しやすく、まだ前兆が現れないうちに処理すれば手を打ちやすい。それがまだもろいうちは溶かしやすく、微細なうちは散らしやすい。だから、まだ問題が何でもない間にそれを処理し、乱れないうちに治めるのである。
ひと抱えもある大木も毛先ほどの芽から生まれ、九層建ての高台も、ひと盛りの土の積み重ねから起工し、千里の道も一歩から始まる。このようにことをわからないで、慌ててことさらなことを為してうまくやろうとする者は失敗し、物事に執着するものは失ってしまうのである。それゆえ「道」と一体となっている聖人は、ことさら何もしないから失敗することはないし、物事に執着しないから失うこともない。
人々が仕事をするとき、いつもほとんど完成しそうなのに、そこのところで失敗してしまう。物事が終わるまで、始めのような気持ちで慎重に対処していけば、失敗することはないのだ。だから聖人は、欲を持たないことを自分の欲とし、手に入れにくい財宝などの品を貴ぶようなこともない。学ばないことを自分の学とし、人々の行き過ぎてしまったところを根本のところに返る。そして万物の自然の在り方をそのままにまかせて、自分からは何かをすることはないのである。
【読み下し文】
其(そ)の安(やす)きは持(じ)し易(やす)く、其(そ)の未(いま)だ兆(きざ)(※)さざるは謀(はか)(※)り易(やす)し。其(そ)の脆(もろ)きは泮(と)かし易(やす)く(※)、其(そ)の微(び)なるは散(さん)じ易(やす)し。これを未(いま)だ有(あ)らざるに為(な)し、これを未(いま)だ乱(みだ)れざるに治(おさ)む。
合抱(ごうほう)の木(き)も毫末(ごうまつ)より生(しょう)じ、九層(きゅうそう)の台(だい)も累土(るいど)より起(お)こり、千里(せんり)の行(こう)も足下(そっか)より始(はじ)まる(※)。為(な)す者(もの)はこれを敗(やぶ)り、執(と)る者(もの)はこれを失(うしな)う。是(ここ)を以(もっ)て聖人(せいじん)は、為(な)すこと無(な)し、故(ゆえ)に敗(やぶ)るること無(な)し。執(と)ること無(な)し、故(ゆえ)に失(うしな)うこと無(な)し。
民(たみ)の事(こと)に従(したが)うは、常(つね)に幾(ほと)んど成(な)るに於(お)いてこれを敗(やぶ)る。終(お)わりを慎(つつし)むこと始(はじ)めの如(ごと)くなれば、則(すなわ)ち事(こと)を敗(やぶ)ること無(な)し。是(ここ)を以(もっ)て聖人(せいじん)は、欲(ほっ)せざるを欲(ほっ)して、得(え)難(がた)きの貨(か)を貴(たっと)ばず(※)。学(まな)ばざるを学(まな)びとして、衆人(しゅうじん)の過(す)ぎたる所(ところ)を復(かえ)る。以(もっ)て万物(ばんぶつ)の自然(しぜん)を輔(たす)けて、而(しか)して敢(あ)えて為(な)さず。
- (※)兆……前兆。きざし。
- (※)謀……手を打つ。対処法を考える。
- (※)其の脆きは泮かし易く……「脆」は柔らかく、もろいこと。「泮」は溶けること。
- (※)千里の行も足下より始まる……有名な「千里の道も一歩から」の語源。
- (※)得難きの貨を貴ばず……安民第三参照。
【原文】
守微第六十四
其安易持、其未兆易謀。其脆易泮、其微易散。爲之於未有、治之於未亂。
合抱之木、生於毫末、九層之臺、起於累土。千里之行、始於足下。爲者敗之、執者失之。是以聖人無爲故無敗、無執故無失。
民之從事、常於幾成而敗之。愼終如始、則無敗事。是以聖人欲不欲、不貴難得之貨。學不學、復衆人之所過。以輔萬物之自然、而不敢爲。
【単行本好評発売中!】
この本を購入する
感想を書く