第65回
淳德第六十五
2019.03.08更新
日本人の精神世界に多大な影響を与えた東洋哲学の古典『老子』。万物の根源「道」を知れば「幸せ」が見えてくる。現代の感覚で読める超訳と、原文・読み下し文を対照させたオールインワン。
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淳德第六十五
65 余計な知恵を多く身につけた人々は治めにくくなる(よい政治から遠のく)
【現代語訳】
昔の「道」をよく理解し、実践していた者は、人々を多くの知恵で聡明にするのではなく、むしろ愚直にしようとした。
人々が治めにくい(政治がよくない)のは、人々に余計な知恵が多いときである。だから、さかしらな知恵でもって国を治めると、国家は害されることになる。反対にそうした知恵によらないで国を治めるならば、国家には福がもたらされる。
この二つのことを知って実践することは、よい政治の法則である。いつでもこの法則を守ることを玄徳(奥深い本当の徳)という。玄徳はとても奥深くて遠大である。万物とともに「道」のもとに、返ってくる。そしてそれは大きな順徳となり、「道」と一体となっていくのである。
【読み下し文】
古(いにしえ)の善(よ)く道(みち)を為(な)す者(もの)は、以(もっ)て民(たみ)を明(あき)らかにするに非(あら)ず、将(まさ)に以(もっ)てこれを愚(おろ)かにせんとす(※)。
民(たみ)の治(おさ)め難(がた)きは、其(そ)の智(ち)の多(おお)きを以(もっ)てなり。故(ゆえ)に智(ち)を以(もっ)て国(くに)を治(おさ)むるは、国(くに)の賊(ぞく)なり。智(ち)を以(もっ)て国(くに)を治(おさ)めざるは、国(くに)の福(ふく)なり。
此(こ)の両者(りょうしゃ)を知(し)るは、亦(ま)た稽式(けいしき)(※)なり。常(つね)に稽式(けいしき)を知(し)る、是(こ)れを玄徳(げんとく)と謂(い)う。玄徳(げんとく)は深(ふか)し、遠(とお)し。物(もの)と与(とも)に反(かえ)る(※)。然(しか)る後(のち)乃(すなわ)ち大順(たいじゅん)に至(いた)る。
- (※)愚かにせんとす……「愚」とはここでは愚直のこと。本章を「愚民政治のすすめ」と解する説もあるが、それは誤っていると解する。愚の反対を「明」とか「智」と述べているが、同じくここではさかしらな余計な知恵、知識を身につけることを指している。つまり、自分に都合がよければいいという欲につながる雑多な世俗の知恵でいっぱいの人々から成る国家、社会は問題も多いということである。こうした国家や社会の人々は、マスコミのいい加減な報道に影響を受けやすい危険もある。
- (※)稽式……法則の意味。
- (※)反る……本源に返ること。すなわち「道」のもとに返ること。なお、「反」を「はん」と読み、「物と反す」とし、ものと反しているように見えると解する説もある。象元第二十五の読み方、解釈および老子の復帰の思想から本文のように解したい。
【原文】
淳德第六十五
古之善爲道者、非以明民、將以愚之。
民之難治、以其智多。故以智治國、國之賊。不以智治國、國之福。
知此兩者、亦稽式、常知稽式、是謂玄德。玄德深矣、遠矣、與物反矣、然後乃至大順。
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