第66回
後己第六十六
2019.03.11更新
日本人の精神世界に多大な影響を与えた東洋哲学の古典『老子』。万物の根源「道」を知れば「幸せ」が見えてくる。現代の感覚で読める超訳と、原文・読み下し文を対照させたオールインワン。
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後己第六十六
66 人の上に立つ人間はへりくだることができる
【現代語訳】
大河や海がいく百もの川や谷の水を集めてその王になっている理由は、よくへりくだっているからであり、そのためいく百もの川や谷の王となっているのだ。
だから人の上に立ちたいと望むならば、必ず言葉は謙虚にへりくだり、人の先に立とうと思うのなら、必ず自分のことを後にすべきである。
こうして「道」と一体である聖人は、人々の上に立っても、人々はそれを重いとは感ぜず、前面に立っても、じゃまだとは思わない。
それゆえ、天下の人々は、聖人を推すことを楽しんでやるし、嫌がらない。そもそも誰とも争わないから、天下の人々も敵対することなどありえないのである。
【読み下し文】
江海(こうかい)(※)の能(よ)く百谷(ひゃっこく)の王(おう)たる所以(ゆえん)の者(もの)は、其(そ)の善(よ)くこれに下(くだ)るを以(もっ)て、故(ゆえ)に能(よ)く百谷(ひゃっこく)の王(おう)たり。
是(ここ)を以(もっ)て民(たみ)に上(かみ)たらんと欲(ほっ)すれば(※)、必(かなら)ず言(げん)を以(もっ)てこれに下(くだ)り、民(たみ)に先(さき)んぜんと欲(ほっ)すれば、必(かなら)ず身(み)を以(もっ)てこれに後(おく)る。
是(ここ)を以(もっ)て聖人(せいじん)は、上(かみ)に処(お)るも而(しか)も民(たみ)は重(おも)しとせず、前(まえ)に処(お)るも而(しか)も民(たみ)は害(がい)とせず。
是(ここ)を以(もっ)て天下(てんか)は推(お)すことを楽(たの)しんで而(しか)も厭(いと)わず。其(そ)の争(あらそ)わざるを以(もっ)て、故(ゆえ)に天下(てんか)能(よ)くこれと争(あらそ)う莫(な)し。
- (※)江海……大河や海。聖德第三十二参照。
- (※)是を以て民に上たらんと欲すれば……原文は「是以欲上民」であるが、「是以」の次に「聖人」が入るとする説もある。すると「是を以て聖人は民に上たらんと欲すれば」と読むことになる。どちらも間違いではないと思うが、ここは聖人以外の一般論として論じていると解したい。
【原文】
後己第六十六
江海所以能爲百谷王者、以其善下之、故能爲百谷王。
是以欲上民、必以言下之。欲先民、必以身後之。
是以聖人處上而民不重、處歬而民不害。
是以天下樂推而不厭。以其不爭、故天下莫能與之爭。
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