第32回
91〜93話
2020.02.10更新
「超訳」本では軽すぎる、全文解説本では重すぎる、菜根譚の全体像を把握しながら通読したい人向け。現代人の心に突き刺さる「一文超訳」と、現代語訳・原文・書き下し文を対照させたオールインワン。
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91 天はちゃんと見ている
【現代語訳】
節操が固く誠実な人格者は、自ら幸福を求めようとあくせくすることはない。そこで、天はそこを見抜いてこのような立派な人に報いようとする。反対に心のねじれた陰険な人は、禍いを避け、うまく生きていこうとする。しかし、やはり天はそこを見抜き、このような人格に劣る人をこらしめる。見てほしい。このように天の神秘的なはたらきはすばらしく、人間の知恵でどうこうしようとしてもできるものではない。
【読み下し文】
貞士(ていし)(※)は福(ふく)を徼(もと)むるに心(こころ)無(な)し。天(てん)即(すなわ)ち無心(むしん)の処(ところ)に就(つ)いて、其(そ)の衷(ちゅう)(※)を牖(ひら)く。憸人(けんじん)(※)は禍(わざわ)いを避(さ)くるに意(い)を着(つ)く。天てんは即すなわち着ちゃくい意の中なかに就ついて、其(そ)の魄(はく)(※)を奪(うば)う。見(み)るべし、天(てん)の機権(きけん)(※)の最(もっと)も神(かみ)なるを。人(ひと)の智巧(ちこう)は何(なん)の益(えき)かあらん。
(※)貞士……節操が固い人格者。
(※)衷……真心、本心。
(※)憸人……心のねじれた陰険な人。人格の低い人。
(※)魄……たましい。気。精神をつかさどる「魂」に対し「魄」は肉体をつかさどるものとされる(拙著『全文完全対照版 老子コンプリート』能爲第十参照)。
(※)機権……巧妙なはかりごと。なお、本項での解釈は、『老子』任爲第七十三の「天網恢恢(てんもうかいかい)、疎(そ)にして而(しか)も失(うしな)わず」が参考になる。また、本書の前集161条参照。天のはたらき、絶対さについては老子のみならず、孔子も全幅の信頼を置き、その思想の基礎にしていた。
【原文】
貞士無心徼福。天卽就無心處、牖其衷。憸人着意避禍。天卽就着意中、奪其魄。可見、天之機權最神。人之智巧何益。
92 人生の後半をきちんと生きる
【現代語訳】
浮いた暮らしをしたに違いない芸妓でも、晩年に縁を得てよく夫に仕えれば、それまでのことは何ら評価の妨げにはならない。反対に貞節だった妻も、白髪になってから遊び人となり、節度を失うなら、それまでの半生の清い苦労も水の泡となる。ことわざにもある。「人の値うちを見るには、ただ後半生だけ見ればよい」と。まことに名言ではないだろうか。
【読み下し文】
声妓(せいぎ)(※)も晩景(ばんけい)に良(りょう)(※)に従(したが)えば、一世(いっせい)の胭花(えんか)(※)も碍(さまた)げ無(な)し。貞婦(ていふ)も白頭(はくとう)に守(まも)りを失(うしな)えば、半生(はんせい)の清苦(せいく)も俱(とも)に非(ひ)なり。語(ご)(※)に云(い)う、「人(ひと)を看(み)るには只(た)だ後(のち)の半截(はんせつ)(※)を看(み)よ」と。真(しん)に名言(めいげん)なり。
(※)声妓……芸妓。
(※)良……良人。夫。
(※)一世の胭花……それまでのこと。それまでの浮いた人生。
(※)語……ことわざ。
(※)半截……半生。『菜根譚』は本項で後半生が大事だと言うが、前半生も大事だという見解もある。例えば、ドイツの作家であるハンス・カロッサは述べる。「魂のこもった青春は、そう安易に滅んでしまうものではない」。また、幼いころからの思いを大切にすべきとの考えもある。やはり、ドイツの大作家であるゲーテは言った。「幸福な人間とは、人生の終わりを始めにつなぐことのできる人間である」。
【原文】
聲妓晚景從良、一世之胭芲無碍。貞婦白頭失守、半生之淸苦俱非。語云、看人只看後半截。眞名言也。
93 自分の人格を磨き、他人のために尽くす人は、すでに立派な政治家である
【現代語訳】
一般の人でも、徳を積み、人格を磨いて人のために尽くせば、それはもう立派な政治家である。逆に、大臣や高位高官であっても、権限を私欲に利用し、人々に恩を売ってはばをきかせようとする者は、地位はあってもただの物乞いである。
【読み下し文】
平民(へいみん)(※)も肯(あえ)て徳(とく)を種(う)え恵(めぐみ)を施(ほどこ)さば、便(すなわ)ち是(こ)れ無位(むい)の公相(こうしょう)(※)なり。士夫(しふ)(※)も徒(いたず)らに権(けん)を貪(むさぼ)り寵(ちょう)を市(う)らば、竟(つい)に有爵(ゆうしゃく)の乞人(きつじん)となる。
(※)平民……一般の人。無位無官の人。なお、『論語』に、一般の人でも、自分を正しく修め、家庭を幸せにすることも政治に通じるとの孔子の考えが説明してある(拙著『全文完全対照版論語コンプリート』為政第二参照)。『大学』にも「古(いにしえ)の明徳(めいとく)を天下(てんか)に明(あき)らかに欲(ほっ)する者(もの)は、その国(くに)を治(おさ)む。その国(くに)を治(おさ)めんと欲(ほっ)する者(もの)は、まずその家(いえ)を斉(ととの)う。 その家(いえ)を斉(ととの)えんと欲(ほっ)する者(もの)は、先(ま)ずその身(み)を修(おさ)む」とある。『孟子』にも「天下(てんか)の本(もと)は国(くに)に在(あ)り。国(くに)の本(もと)は家(いえ)に在(あ)り。家(いえ)の本(もと)は身(み)に在(あ)り」(離婁上篇)とある。つまり、儒教の「修身斉家(しゅうしんせいか)治国平天下(ちこくへいてんか)」の政治倫理観が本項の前提にあるようだ。
(※)公相……大臣のことで最高位の三公と宰相を指す。ここでは「立派な政治家」と訳した。
(※)士夫……高位高官。士大夫。
【原文】
平民肯種德施惠、便是無位的公相。士夫徒貪權市寵、竟成有𣝣的乞人。
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